第105話:そうはならなかった未来
[鮮血の巨人]から放たれた[八星砲]とも呼べるその雨が、障壁を撃ち破り、一帯に降り注いだ。
そのうちのいくつかが、獲物を求めて暴れ狂うようにねじ曲がり、何かを守るようにしてうずくまった[古き翼の王]に直撃する。
旗艦、[グラン・ドリオ]から放たれた[フィールド]は既に消失しており、全てのエネルギーを使い果たしたため艦は不時着している。
警報が鳴り響く。
「――誰もが皆、心に闇を抱えている」
うめいた言葉は警報の音にかき消され、しかしフランギースには呪詛のように感じられた。
[ゼロコード]。
千年間一度も使われなかった、[古き翼の王]の復活を検知した際の専用の警報。
あれが誤動作では無いのだとしたら、ビアレスが施した四つの封印のうちの一つが、完全に解けたということだ。
数ヶ月前に現れた黒い竜、彼に[ゼロコード]反応がなかった理由は、[禁書庫]には記されていない。
肉体に関しては[古き鎧]や、今フランギースが着ている[古き衣]という形で封印されている。
力は、代々王家が封印を引き継いでいる。
精神も此方側だ。
ならば解けた封印は魂か。
完全に――目覚めたのだ。
そしてその依代は……。
それは、フランギースの絶望である。
気づいてやれなかった。
ずっと、ずっと――。
幼馴染だった。
[グランドリオ]の下、力を象徴するゲイルムンド家と、補佐を務めるガジット家は日陰者だった。
――それで、良かったのだ。
それで幸せだったのだ。
ゲイルムンド家は、形ばかりの[剣聖]を継ぎ、ガジット家も同じく、その日が来ることのない代役の座を継ぐ。
それでも、ずっと王家を支えていこうと約束したのだ。
十六年前、[暁の剣]の長にして大戦の生き証人――。語り部となった[古き翼の王]の司祭レイジと、オリヴィア・グランドリオはたった二人で、目覚めようとした[古き翼の王]の力と対峙した。
代々、[封印の刻印]に眠る[古き翼の王]の力が周囲の男から魂を少しずつ奪ってきた。
それは呪いでは無い。気づくのが遅れた、封印の漏れなのだ。
そうして[古き翼の王]は、歴代王家の刻印の中で、虎視眈々と復活の機会を伺い続け――。
何故教えてくれなかった。
何故、一緒に戦おうと言ってくれなかった。
それだけで、きっと何もかもが――。
そして、思う。
オリヴィアが死に、彼女の夫であるレイジから[古き翼の王]復活が目前だと聞かされた時。
女王になり、間近に迫るその時が、自分の代だど知らされた時。
ただ、流されるだけだった、過去に対して。
逃げることはできなかった。
嫌だと言うことはできなかった。
それは、過去から続く絆であり、恩恵であり、呪いであり、願いでもある。
だから、だからこそ――それに縛られてはいけなかったのだ。
ただ一言――。
[古き翼の王]復活に怯えた[暁の盾]が、慌てふためき軍備を増強しようとしたその時。
なんとかして国を、世界を守ろうと奔走し、たった一人の――リディルという、幼い天才に縋り付いた時。
その非道に対して、ティルフィングが是非を求めた時。
言うべきだったのだ。
『そこまでしてはいけない』
と。
きっと、ティルフィングはその言葉をずっと求めていたのだ。
真面目な人だから。
ついさっきだって、そうだ。
ただ一言、[古き翼の王]に呑まれた彼女に対して、『ティル』と名を呼ぶことができれば――。
こうは、ならなかったはずだ。
ならなかった、はずなのだ――。
「ダイン卿」
フランギースは、今もなお慌ただしく指示を飛ばしていた神殿騎士に声をかけた。
彼はすぐに、
「ハッ」
とフランギースの元に駆け寄った。
同時に思う。
[鮮血の巨人]は、本来ならば完全な形で復活した[古き翼の王]と、世界が団結して戦うために用意された決戦兵器。
だから、ビアレスが最も信頼していたエルフの国にそれを置き、人の国の血筋を鍵としたのだ。
それを、足元からゆっくりと――まるで蝕む毒のようにザカールのいたずらな悪意が少しずつ崩していき、決定的な破滅を迎えたのが三百年前。
鍵とされたのは、メリアドールだ。
しかし、あくまでも鍵は鍵でしかない。
封印を解かれ、しかしそれを支配する者がいない今、[鮮血の巨人]たちはただひたすらに獲物を求めて暴れ狂うだろう。
それは、無理やり鍵を使われた時の防衛システムでもあるのだ。
だから、今やるべきことは一つ。
「私が出ます。貴方と――信頼できる者を、一人」
フランギースが短く言うと、ダイン卿は顔色を変え、
「き、危険です陛下! わざわざ前線に――」
「貴公には、[禁書庫]の真実の一つを見せることになる。急いでください」
有無を言わさずそう言うと、ダイン卿は息を飲み、
「承知しました」
とだけ返し、周囲を一度見渡す。
そして、こう叫んだ。
「二番隊隊長、騎士トラン・ドール!」
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