第68話:ドリオ・ミュールの思い出

 ザカールの[言葉]は、その場にいる全ての者に影響を与えていた。

 ドリオの剣が鈍り、ザカールの魔法が増援に駆けつけた冒険者たちを薙ぎ払った。

 リディルは目に見えて動作に精彩を欠いており、これではアンジェリーナどころかメリアドールにすら太刀打ちできまい。


「〝もうあの頃に、戻ることはできない〟」


 更にザカールの[言葉]が波動となって一帯に響き渡る

 その[言葉]はささやくように、ぞわりぞわりと心の臓に響き渡る。

 自らの名であるドリオとは、本来千年前の王の名である。

 戦を勝利へと導いた、武神。

 最後の戦いでは自らが先陣を切り、決戦の場へと導いた戦闘神。

 父が、その名を実の息子に名付けたのは、正しく野心の現れであろう。

 同時に、ミュール王朝の守護者でもある。

 国王の系譜を、いつか来るその時まで維持し続けているのだ。


 ――決して良い人間では無かった。


 だが、良い父ではあったのかもしれない。

 そういう思いが、ドリオ・M・アーリーエイジにはあった。

 傲慢で、野心家で、人当たりも悪い。だが、家族のことを悪く言ったことは一度も無かった。

 ドリオは野心に満ちた父の背中を見て、しかし褒められて育ったのだ。

 それがドリオを父と同じく傲慢にし、大人になり、壁にぶち当たり、限界を知った。

 だが、じわり、じわりと運命とも思える道が彼に開かれていく。

 母系であるギネスと違い、ミュールは父系の血筋を維持し続けている。

 ミュールでは、女王の座は告げないのだ。

 そしてその長い歴史をドリオは否定するつもりも無い。

 騎士として、忠を尽くすのだと、ドリオは決めたのだ。


「〝キミが大人になれば、家族はまた一つ年を取っていく〟」


 ザカールの[言葉]が、ドリオの記憶を鮮明に思い浮かばせる。

 ある日、転機が訪れた。

 努力し続けていたことが報われたのかはわからない。

 ギネスの血統が――G・イット家の次女が、ドリオの花嫁となったのだ。

 王位継承権を持つ、しかし病弱でか細く、穏やかな女性だった。

 美しい女性だった。


 じわり、じわりと微かに受け継いでしまった野心が燻ぶるのを自覚したドリオであったが、それでも国家のために忠を尽くし、騎士としての務めを果たした。

 燻ぶる野心を振り払うように、仕事に没頭したのだ。

 少しずつ、少しずつ、事態は移り変わっていく。


 子供が生まれた。

 可愛らしい女の子だった。

 名は、妻がつけた。

 アンジェリーナという、美しい響き。

 ギネスを継ぐ……王位継承権のある、娘。

 正当な、血統を持つ者。

 ミュールとの間に、生まれた――。


 また、ドリオは仕事に没頭した。

 次に生まれたのは、男の子だ。

 その次は双子の男の子と女の子だった。

 子どもたちはすくすくと育っていった。

 くすぶり続ける野心を押し隠し、それでもドリオは現女王であるオリヴィア・グランドリオに尽くした。

 若くして女王になってしまった彼女は、皆に愛される穏やかな女性だった。

 武門の家柄であるミュール・アーリーエイジには少々風当たりが強いように感じられた。

 理想主義者なのだろう、とドリオは結論付ける。


 それでも、ドリオは忠を尽くす。

 彼女は妻と同じ血筋なのだ。

 妻は彼女を、オリヴィア姉さんと慕っているのだ。

 それだけでも十二分に、この身を捧げる価値はある。


 アンジェリーナが生まれて二年がたった。

 その類まれな才能に、ドリオは気づく。

 [先天属性]が、七つもある。

 同時に、[強属性]という神からの贈り物も得ていた。

 将来が約束されたようなものだ。

 だが、後に生まれた子たちの[先天属性]はドリオよりも少ない、三つであった。

 アンジェリーナだけが、特別なのだ。

 また、チリチリと野心がうずき始めた。

 それでも、女王への、ギネスへの血筋への忠義でそれを押しつぶし――。


 それは、起こった。

 オリヴィアが、失踪したのだ。

 妻の病気の悪化と、時期が重なった。

 女王の、失踪である。

 ドリオはあらゆる情念を置き去りにし、忠を尽くした。

 三日三晩探し、ようやく発見された女王は、既に物言わぬ屍になっていた。

 男と、会っていたと……あとになって聞いた。


 ドリオは、妻の死に目に立ち会うことができなかった。

 押しつぶしていた野心が、ぞわり、ぞわりと膨れ上がり、それは怒りと恨みを孕んだ激情となってドリオを飲み込んだのだ。

 これは、復讐ではない。

 部下にねぎらいの一つかけることのできない女王であっては、ならない。

 こんなことは、許せることではない。許してはいけない。王とは、民のためにあるべきなのだ。

 でなければ王に尽くす民が、報われないではないか。

 何のために、忠義を尽くすのか――。

 たった一言、たった一言で良かったのだ。

 こんなにも尽くしている自分を、たった一言――ねぎらってくれるだけで良かった。

 それだけで、報われるはずだった。


「〝もう二度と会えない、その時が近づいてくる〟」


 我が娘ならば、素晴らしい女王になれるはずだ。

 そう考え始めたのは、いつの頃からだったか。

 それは、娘への無限の期待でもあった。

 だが、同時に呪詛返しであることに気づかないドリオは、アンジェリーナにとっての毒となった。

 そして、長男にはロードという名を――王朝をギネスに奪われた王子の名を、つけてしまっていた。


 ――何故だ?


 忠を尽くすと、誓っていたあの頃に、既に、怨念の名を我が子につけていたのはドリオ自身である。

 だが、それでも――それでも、ドリオは思う。

 そのようなことをしては、ならない。

 現王朝を破壊すれば、どれだけの混乱が巻き起こるか。

 どれだけの人が、奪われるか。

 怨嗟と信念の闇の中を迷いながら、ドリオは歩み続けた。

 そして一つの逃げ道を見出す。


 女王となった我が娘を側で支えるのは、俺でなくてはならない。


 鍛錬を重ね、剣聖ティルフィング・G・イルムンドを打ち倒し――。

 それは、現れた。

 小さな小さな、黒い、闇。

 遅れてその闇が少女なのだと気づき、それが剣聖の娘だということを思い出した時、ドリオは再び全てを奪われた。

 もはや、残されているのは、意地と怨念だけだった。国の未来のためという大義は憎悪に飲み込まれたのだ。

 それでも、剣聖は、動きを大きく鈍らせながらも懸命に剣を振るう。

 ザカールの魔法と剣撃の嵐を掻い潜りながら、同時にドリオの援護までしてみせるのだ。


「〝想像してごらん。その瞬間を〟」


 リディルの動きがまた鈍ると、ザカールは〝雷槍〟を撃ち放った。

 雷鳴と共にリディルの体が弾き飛ばされる。

 辛うじて剣を盾にしたようだが、既に何度も攻撃を食らっている。

 あの鎧でなければ、既に死んでいよう。

 いや、あの鎧であっても体へのダメージは計り知れないはずだ。

 ザカールはそれほどの敵なのだ。

 ドリオは暴れ狂うオーバーゴーレムから冒険者や騎士たちを守るので精一杯だ。


 千年前の魔人ザカール。

 [暁の勇者]を幾度となく窮地に追い込み、数多くの[暁の盾]を葬った、怨敵。

 だが、辛うじてでもオーバーゴーレムと渡り合う冒険者たちと騎士たちの姿、そしてたった一人で魔人ザカールと戦う少女の後ろ姿を見、ドリオは胸の内に湧き上がるかつての情念を強く感じていた。


 幼い頃から鍛錬を続けてきた。

 厳しい父に育てられた。

 父とは違う道を行こうとした。

 女王に忠を尽くした。

 裏切られ、かつての人生全てを否定された気がした。

 それでも、ふと考えてしまうことがある。

 あの後、憎悪に駆られたドリオはリディルの強さの秘密を調べ上げたのだ。

 強くならねばならないという強迫観念。

 それを容易く超えて行った、十にも満たぬ幼子。

 一体どれだけの才能を授かったのか。

 神々の寵愛を一身に受けた、天賦の才能を持つ唯一無二の存在。

 妬んでも妬んでも足らないほどに苦しみ、陥れてやるという憎悪によって、全てを調べ尽くした。


 見つかった答えは実にシンプルで、残酷なものであったのだ。

 徹底した英才教育。

 親と子の情を完全に捨てた、戦闘人形を作るための、少女の、幼い日々。

 ドリオは、それをアンジェリーナに行おうとした。

 才能も、体格も、美貌も、全てアンジェリーナが上回っている。

 それどころか、リディルという小娘は先天属性が一切無いのに加えて弱属性でもある、出来損ないでは無いか。

 本来ならば、戦いをするような子では無いのだ。

 ほんの少しだけ、勘が、あるいは観察力が良かっただけの、普通の子でしかないのだ。

 だから、同じことをアンジェリーナに行えば、容易く超えることができる。

 生まれながらに七つの属性を持ち、その全てが[強属性]である我が娘ならば、やがては全属性を使いこなす最強の剣士になるはずだ。

 剣聖ガラバすらも超える、最強の、何者かに――。


 ……だが、できなかった。

 娘と亡き妻の姿が重なり、幻影となった妻が言うのだ。


『そこまでしてはいけない』


 と。

 その感情が、壁なのだろう。

 それはきっと、最後に残された良心の呵責なのだろう。

 同時にドリオは理解する。


 ティルフィングは壁を超えてしまったのだと……。

 今、リディルはその様を鮮明に思い出させられているのだ。

 それは、地獄なのだろう。

 壁の内側にいるドリオでは、想像もできないほどの――。

 最初にあの子が剣を握ったのは、母の真似だったと聞く。

 褒められたかったのだろうとは容易に想像がつく。

 それを、ティルフィングは――。

 そしてこうも思った。

 俺は、壁を超えられない人間なのだ。

 どこまで行っても――そこできっと立ち止まり、壁を遠くから眺めているだけの、人間なのだ。

 ザカールの[言葉]が、波動になる。


「〝永遠の、別れの瞬間を〟」


 その時だった。

 魔人とドラゴンが激戦を繰り広げる遥か上空で、一帯全てを震わせる爆音が鳴り響いた。

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