第12話:お姫様を味方につけよう

 街の中央、[雲地区]の外れに、巨大な庭園がある。

 その中心には庭園のシンボルとなる女神[アルマシア]像の巨大な噴水があり、十数人もの庭師によって徹底的に管理されたその庭園には枯れ葉一つ落ちていない。

 整然とした花壇や植木の造形は、庭師たちの誇りであろう。

 だが、街に住む者たちがこの庭園を訪れることは無い。

 [雲地区]にある巨大な冒険者ギルド本店や、[暁の大神殿]がすっぽりと収まってもなお余るほどの広大な敷地は、全てがとある騎士団の私有地なのだ。

 庭園の最奥には、高さこそ街の規定により制限はされているものの、それならばと意地になった職人たちによって磨き上げられた宮殿が佇んでおり、そこがかつて[暁の騎士団]として名を馳せた世界最強の部隊、[ハイドラ戦隊]の本拠地であることはこの国に住んでいる者なら誰もが知っていることだ。


 丁寧に舗装された石畳の広い道を歩きながら、しかし、と黒竜は思う。

 騎士団という癖して訓練をしている様子が全く無いのだ。

 これだけ大きな土地を独占しているくせして、庭師が数人見える程度。

 もっとこう、騎士団というのはそこら中に任務帰りだったり出発だったりと、せわしなく行きゆく騎士たちがいるものでは無いのだろうか。

 いやまあ見たことなんて無いので全部想像でしかないのだが。

 だが、こうもうなると――やはりというべきか、ブランダークの言っていた『家を継げない末っ子貴族たちの就職先』という表現は正しいのかもしれない。


 少し前まではそれでも好き勝手を働く者たちが多かったようだが、メリアドール・ガジットというたった一人の天才が実験を握ってからずいぶんとマシになったようだ。

 騎士団の拠点だと言うのに、黒竜たちを出迎えたのは初老の執事とメイドたちであったので、黒竜は内心少しばかり落胆し、同時に心持ちを入れ替える。


 黒竜は、思う。

 この世界が力で支配されているのなら、わかりやすくて良い。力には力で対抗できるからだ。

 しかしそうでないのなら、自身のこの刃で傷一つつかない頑強な鱗と甲殻、空を自在に飛ぶ翼、そして岩すらも砕く[言葉]と[息]は無力である。


 黒竜は自問する。

 世界で一番強い者は誰だ?

 総合格闘技の世界チャンピオンだろうか? いやいや訓練された軍人だろうか? それとも暗殺者とか……?


 違う、と黒竜は考えていた。

 恐らく、かつて自分のいた世界で一番強いものは、合衆国の大統領だろう。

 即ち、権力者である。

 国が強大になればなるほど、その国の権力者の力は強まっていく。

 もちろん自由に力を行使できないという制約はあるが、それはあくまでも彼らのルールに則ってのものでしかない。

 制約は、縛りは――人間同士の戦争限定なのだ。


 例えば人類共通の脅威などが現れたりしたら、そのルールに則り最強の力が一点に向けられるだろう。

 黒竜はこの城塞都市に来てから、街の様子を注意深く観察していた。

 建物にはすべて[付呪]と呼ばれる技法が施されており、それは[魔法文字]によって様々な効果をもたらされている。

 エアコンやストーブといったものは無いが、[付呪]を利用して似たような効果をもたらす道具は当たり前のように存在している。

 下水施設は整っているようで、上下水道は街の端にまで行き渡っている。

 お湯は、[熱の付呪]が施された水道から当たり前のように出てくるようだ。

 であればシャワーや風呂もあるだろう。

 この世界では、[付呪]の力が科学なのだ。

 黒竜の知るエアコンやストーブ、様々な科学は存在していないが、黒竜の知らないエアコンやストーブと[魔道具]と呼ばれる未知の科学は、既にここにあるのだ。

 この世界の人々の、常識として。


 もう、[暁の勇者]と呼ばれる者たちが何者なのか、どこから来たのかなどわかっている。

 そして、確信する。


(彼らは、帰ることができなかったのだ――)


 その事実が黒竜に重く伸し掛かる。

 彼らは帰ろうとしなかったのだろうか?

 いや、そんなはずは無い。手段を模索したはずだ。

 そうであって欲しい。

 彼らは、必死に元の世界に帰ろうとしたのだ。


 ――千年。


 それはあまりにも長く、彼らの無念を思うと黒竜は胸が張り裂けそうになる。

 だが、黒竜は今、ここにいるのだ。

 彼らの記録が、欲しい。

 何かしらの希望は、あるはずだ。

 そして、一抹の不安もよぎる。

 帰れなかった彼らが残した、[禁書庫]に、どれだけの情報があるのだろうか――。

 何も、無いかもしれない。

 その想像は黒竜の心を不安で押しつぶそうとする闇そのものだろう。

 遠く遠く、手の届かないかもしれない希望が見せかけかもしれないという可能性は恐ろしいのだ。

 だから、[暁の大神殿]を後にしたミラと黒竜を待ち構えていたメスタが、黒竜には救世主に思えた。

 むすっとした様子で「探したぞ、馬鹿」と言ったメスタは、ミラと黒竜を[ハイドラ戦隊]に誘った。

 彼女は言う。


「……メリアドール・ガジット。あいつは現女王の四女だ。継承権も持っている。

 闇雲に手段を探すより、内部に潜り込んでしまった方が良いはずだ。

 ……私も、借りは返したい。それに、どうせ逃げ道塞がれて渋々入ることになるんだ。

 メリアドールはそういうことをするやつで、それだけの権力があるやつ。

 なら、こっちから出向いて良い条件を引き出す」


 彼女の提案は渡りに船であり、ミラは『友達の頼み』という言葉で渋々、黒竜は藁にもすがる思いでそれに賛同した。

 偶然とはいえ、こんなに早く王家に近づけるとは思っても見なかった。

 それは僥倖であり、[禁書庫]の存在が近くになるに連れて不安も一層大きくなる。

 不安が、黒竜の歩みを重いものにする。

 やがて黒竜らは執事に付き従い中庭へと案内されると、そこにいた男装の令嬢がこちらを捉え、にっと笑った。


「やあやあキミたちから出向いてくれるとは思わなかったよ」


 言いながらその令嬢――メリアドールが近づき、メスタを抱擁しようと手を広げた。

 するとメスタは苦笑し、彼女の行動を軽く制する。


「変わらないな、お前は」

「ははは、たかが一年程度で僕はそう変わらないよ。だけどキミは少し変わったね?……打ちひしがれたように見える」


 メスタの目元がぴくりと動いたのを見たメリアドールは、にいと意地の悪い笑みを浮かべる。


「いやいや、キミが僕を捨てて出ていった時はね、少しだけども苛立ったよ。

 だけどね、こうも考えた。現実を知らない夢見る乙女の考えそうなことだ、とね?

 ただの家出娘さ。であれば、すぐに帰ってくると思っていたが……一年も持つとは思わなかった。

 キミにしては上出来だね?」


 彼女の口元に浮かんだ薄ら笑いに、黒竜は、


(何この子怖い)


 と素直な感想を持ったが、口を挟める雰囲気では無いのでそのままメスタの顔とメリアドールの顔を交互に見ることしかできなかった。

 だが、メスタが肩を微かに震わせながら唇を噛むとすぐにメリアドールは表情を改め、「いやすまない、今のは言い過ぎた」と訂正し、なおも続けた。


「だがねメスタ・ブラウン。キミという数少ない友人に出ていかれたこちらの気持ち、

 そうやって好き勝手に振る舞えるキミの自由さを妬む僕の気持ちも少しは考えて欲しかったというのが実際のところだ」

「……それは…………悪かったと、思ってる」


 俯いて言ったメスタの顔をメリアドールは覗き込み、


「ホントに?」


 といたずらっ子のような笑みで問うと、メスタは視線を反らした。

 メリアドールが笑う。


「ふふ、まあ良い。僕の鬱憤も少しは晴れた。――で、どうして欲しいって?


 このドラゴン、ただでくれるなんて話じゃあ無いんだろう?」

 そのまま素手で黒竜の顔に触れようとしたメリアドールの行動をメスタが体で割って入ることで止め、言った。


「彼は世界初の、[魔獣の冒険者]としてギルドに登録されている。騎士団の子飼いにさせるつもりは無い」


 だが、メリアドールは興味を別のところに移らせたようで、


「彼? 雄なのか? 男? ドラゴンに性別は無いと聞いていたが」

「そこは今議論するところでは無い。[ハイドラ戦隊]の私物には決してならないと言っているんだ」

「ああ、それは別に構わない。必要な時に力を貸してくれればそれで良いし、それ以外は自由にしてくれて良い」


 と、メリアドールが即答する。

 すると、メスタは目をぱちくりとさせ驚いた表情になる。


「えっ」

「ん? 何?」


 メリアドールが問うと、メスタが少しばかり驚いた様子で言った。


「いや、もう少し……くらいは、縛られるのかと思った。着飾らせたりとか」

「あのねぇメスタ、引っ越してきた時のこと覚えてる?

 それともたった一年で忘れてしまったかい?

 既に[小型飛空艇]や[魔導アーマー]すらもある今の時代において、

 自分たちで伝統がどうとか言って、競技を引退した飛竜をわざわざ取り寄せたくせして、

 いざ実物を目にすれば汚いとか臭いとか言って小屋を遠くに移させるような子たちだよ?

 緊急時はどうするんだ? あんな遠くに移してしまって。走っても十分はかかるぞ?

 それどころか、時々匂いが風に乗って来るからもっと遠くに移せと苦情が来るんだ。

 この距離で来るか馬鹿って言いたい僕の気持ち、わかるかい?

 キミが出ていってから一段と酷くなった」

「ああ……」


 メスタが頭を抱えると、メリアドールが苦笑し言った。


「あの子たちが欲しいのは、毎日のお菓子と服とそれなりの体裁さ。

 それとあわよくば結婚相手をと考えてるくらいで、他のことに興味は無い。

 この黒いドラゴンのことだって、

 パーティに連れていけば見栄えのする装飾品ってくらいにしか考えていないし、

 そのためにわざわざ調教する気も着飾らせる気も無い。

 その時が来たら誰かに任せてそれで終わり。

 だから、そのいつ来るかもわからないその時が来るまで好きにしてくれて良いってことを言っているんだ」


 彼女らの会話を聞きながら、黒竜は『腐敗した官僚』という言葉が脳裏に過った。

 いや、それでも汚職をしないだけマシなのだろうが。いや、どこかで野心を持っている者の方が結果を出そうとするのでマシと聞いたことがある。となれば、この子たちはいわゆる下の下に位置するのかもしれない。


 同時に、ふと思う。

 何だか、メリアドールは意図的にミラを無視しているように思える。

 そしてミラも同じく、意図をもって口を挟まないようにしている、気がする。

 なんだろうか、息遣い的なものでそう感じるだけなのだが。

 もしくは視線とか、そういうもので。

 ふと、メリアドールが黒竜の顔を覗き込み、


「触って良いかい?」


 と少年のように目を煌めかせて言った。


「あ、はい、どうぞ」


 思わず返すと、メリアドールは満面の笑みになって黒竜の頬をわしわしと触れた。


「意外と固くて、臭くないんだな? 飛竜の匂いとはまるで違う……まあうちのはみんな香水つけさせられてるけど」


 その飛竜たちかわいそうだな、という言葉を飲み込み、黒竜はただなされるがままに努めた。

 黒竜の頬から顎を撫で回しながら、メリアドールがメスタに言う。


「……大体検討はつく。こうしてキミがここに来ることで、先手を打ったということなのだろう?

 条件は……ん、まさかドラゴンの自由を認めろとか、本当にそれだけのつもりだったのか?」


 メリアドールはわざとらしく困惑したように素振りを見せてから続ける。


「ふふ、まさかそんなはずは無いだろう? その程度のことで[竜人の里]の忌み子メスタ・ブラウンがわざわざ頼みに来たりはしないはずだ。それも、自分から勝手に出ていった家出娘が」


 やがて黒竜を撫で終えたメリアドールはメスタに向き直る。


「このドラゴンを手に入れることは容易い。はっきり言う。

 [冒険者ギルド]はこのドラゴンのことを持て余している。

 そういう情報はもうこちらに入っているわけだ。

 であれば、交渉次第ではこちらの管轄にすることだってできる。

 うちの[禁書庫]に入りたがってることだってね?」


 なめらかに言われた言葉で黒竜は身をびくりと固めた。

 メスタも同じだったようで、緊迫した顔色で言う。


「その、ことは――」

「ああ。もう伝わってるよ。本国にだって、ね。……女王直下である[暁の盾]の情報収集能力を舐めないほうが良い。あそこだけは本物だよ?」


 メリアドールがさらりと言ってから、苦笑を作る。


「自意識過剰という言葉はあるが、キミたちはその逆だね。

 [古き翼の王]の動向は本国だってずっと注視している。

 そして[暁の勇者]の末裔リドル卿の愛弟子にして[刻印]を継ぐメスタ・ブラウン」


 そしてメリアドールは一度冷ややかな目でミラを流し見てから、言った。


「言っておくが、本国ではもっと細かな情報収集がなされている。

 ……僕のとこに漏れ聞こえてきただけでもこれだ。

 とは言え、僕は古くからの友人メスタ・ブラウンの全てを知っているわけではない。

 ――キミの方から出向いてくれたということは、確かに手間を省くという面ではプラスだ。

 でも足らない。その程度ではまだ足らないと僕は考えている。で?

 メスタ、キミの本当の目的は一体何だい? この一年でキミは何を見て、何を得た?

 何を欲するようになったんだい? 言ってご覧? 僕が聞いてあげるかどうかは別として」


 メリアドールの視線に、品定めをするような冷たい色が宿る。

 すると、何も言わず黙りこんだメスタを見かねてメリアドールが大げさにため息をついた。


「言っておくがメスタ、キミが隊に戻ることは前提条件だ。で、キミは何を差し出せる?

 はっきり言う。僕は少し苛立っている。放任ということでキミの我儘に付き合ってやったんだ。

 メスタ、キミの望みは? そしてキミは僕に何をしてくれるんだ?」


 メスタは困惑し、視線を泳がせ、気恥ずかしそうに赤面し、ようやく言った。


「い、いや、それで終わりなんだけど……」


 すると、メリアドールはここにきて初めて表情をひくつかせ、見るからに絶句して長い長いため息と共に言った。


「……ああ、キミ馬鹿だっけな」


 と。



 ※



 その後、『後は任せろ』と半ばメスタに追い出される形で宮殿を後にした黒竜は、「ふー……」と深くため息を付き、隣にいたミラに言った。


「なんか、みんな色々と苦労してそうだね」


 どっと疲れが出たのはミラも同じようで、


「メスタですから……」


 と力なくそう述べただけだ。


「……いつもあんな感じだったの?」


 問うと、ミラがやつれたような顔を向ける。


「いつもっていうか……メスタってなんでも力で解決するタイプっていうか、あまり戦略とかたてないっていうか……」

「あー……あー……」

「だから、実力は金級すっ飛ばして黄金級、それ以上って言われてるのに面接で落とされてるんです」

「面接とかあるんだ……」

「銀級からだけど。筆記もあります」

「筆記もあるんだ……」

「[暁の勇者]が作った組織って、なーんか色々とガチガチなんですよねぇ」

「あー……」

「それでメスタが、『実力より面接重視とは何事か』みたいに一人で怒ってるとこをわたしが声かけて、友達になったみたいな」

「そ、そう……キミも大変なのだな……」

「そんでパーティに誘ったは良いけど、薬師と鑑定と交渉色々全部兼任してくれていたアメリアの代わりにメスタだったから……大変でした」

「あ、ああ、うん、そうか……そうだね……そうだろうね……」


 メスタ・ブラウンという子はとても真っ直ぐな印象を受けたが、真っ直ぐ過ぎるのも考えものかもしれない。

 自分が間違ってるかもしれないとこでは折れて欲しい。

 その道が本当に合ってるのかどうか時々で良いから考えて欲しい。

 折れないならせめて迂回して欲しい。

 黒竜は呆然と空を見上げ、呟いた。


「これからどうすれば良いのだ」


 と。

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