父帰る

 この屋敷の主人の帰りは遅い。大詰めを迎えた実験と検証の洗い出しの連続で今夜も随分と月が空高く昇ってからの時刻となった。

 屋敷内の温もりとやわらかな灯りにやっと人心地つく。凝った肩を揉みながら深く息を吐いた。と――玄関広間に朗らかに弾む声がした。


「おとうさま、おかえりなさい」


 不意をつかれて思わず目を瞬いた。

 ややあってから、かろうじて大きく頷く。それを認めると、まだ小さな娘は一仕事を終えた顔で誇らしげに胸を張った。それから「きちんと言えました」とでも訴えるかのように大きな瞳いっぱいにきらきらと光を散らし、母と兄を上目遣いに見上げている。兄は小さく息を落とすと、年の離れた妹の頭を静かに撫でてやる。

 満面の笑みを浮かべて甘える娘と、眉一つ動かしてはいないが口元だけはほのかに緩めている息子。淡い金髪と紫水晶の瞳の色彩こそおそろいだが、年齢も身長も表情もまるでかけ離れている兄妹の微笑ましい出迎えに彼は穏やかに目を細めた。

 屋敷内に変わりはなかったという簡単な報告を妻と家令から受けていると、娘の金髪が、かくん、かくん、と揺れ始めた。無理もない。いつもならばとうに夢を見ている時間帯である。肩を支えた息子を見て、妻の紫玉の瞳が綻ぶようにやわらかく弧を描いた。

「今夜はお父様がお帰りになるまで絶対に待つ、と強く言い張るものですから。どうしてもお話したいことがあるのですって」

 黙したまま大きく頷く息子の瞳にも穏やかな色の光が宿っていた。


「……子どもたちにあたたかいミルクの用意を」

「かしこまりました」

 家令に指示を出し、彼はうとうとと舟を漕ぎ始める娘を抱き上げた。軽やかな、けれど確かにそこにある重みとあたたかさに熱いものが込み上げ、そっと目を伏せる。

 娘はこちらの首元にあたたかい頬を擦り寄せた。ほにゃりと笑う気配がする。

「おにいさまのおじさまのねこがこねこでふわふわで。おとうさまはご存知ですか」

 久方ぶりの父とのおしゃべりは楽しいのか、眠さに懸命に抗いながら何やらたくさん話しかけてきてくれる。オーキッド侯爵は疲れの吹き飛ぶひとときを、その腕に甘えるあたたかな重みからゆっくりと噛み締めた。

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