第23話

二十五、

「サラ殿におかれましては、ご機嫌麗しゅうーー」

 麗人の貴公子は、物騒な容子ようすに似合わぬ場ちがいな優雅さで問候あいさつをした。口元には、あるかなしかの微笑みを浮かべている。

 前に出ようとするサラを、ラムルは制した。

「お初に御目かかりまする。卑職わたくし麟台りんだいにてしたやくを勤めまするラムル・ノドノスともうします。以後お見知りおきを」

 のんびり、とでも形容したくなる口ぶりで、ラムルは問候あいさつを返したが、実際には口から心臓が飛び出しそうな心持ちだったが。そして、ゆっくりとアガムのほうへ歩みよろうとした。

「そこまでです」

 柔らかいが判然きっぱりとした物言いで、それが押し止められた。アガムは、ぎらりと刃をきらめかせた。

「それ以上近づかれますと……」

「ご老人をお放しくださいませ!」

 サラが叫んだ。彼女の肩を掴んだまま、ラムルが静かに訊いた。

「我々のあとを付いて来られたのですか?」

 アガムがにやりと笑う。

「実は、サラ殿が御史台を飛びだして、お二人であの坊主頭のところに逃げ込まれたあたりからでして」

「そんなところから……」

 ぞっとして、頚筋の毛がそそけ立った。アガムは、城内と閣子こやでのこちらの行動を完璧につかんでいたのだ。

「黒獅子候ーーライゴオル様の命で、太守弑逆事件を追っているのですね」

「ええ、そうです」

 ラムルの質問に、少年はあっさりと答えた。

「遺憾ながら、父上はいま大変追い詰められていましてね。〈サラ殿のお父上とハーリム医師を使嗽しそうした影の牽線人くろまくは黒獅子候なり〉、ということで、赤獅子候と御史台が狙い定めておりまする。ーー何方どなたかの自白のせいで」

「違うのでございますか」

 サラがあえて挑発的に言い放った。

「さてーー」

 少年は唇の端を、わずかに吊り上げた。

真実まことは、わたしにも分かりかねます。わが父ながら黒獅子候ウルス・ライゴオルというのは腹の底の読めぬお人。自分でやっておいて子どもに調べさせるとも思えませぬが、如何いかんせん〈蝮蛇まむしの巣のぬし〉でしてねーー」

 〈蝮蛇まむしの巣のぬし〉とは、〈悪だくみが得意な者〉という慣用句である。そのなめらかすぎる弁舌にラムルはいっそう不安が募る。

「その方を放してください。関係ないでしょ!」

 サラが重ねて懇願する。

「そういうわけにも参りませんなあ」

 アガムは可憐に小首を傾げた。

「どうして……」

「だって、こうでもせずば遊んでもらえませんからね」

「なーー何?」

 サラが理解不能という声を出す。が、ラムルはむしろピンとくるものがあった。

「無駄だ、サラ。この方は……事件のためにここに来たのではないんだよ。おそらくは……サラと決着をつけるためだ」

 ラムルの言葉にアガムはたちまち破顔した。話が早いとうそぶく。

「立ち会っていただけますね。むろん真剣勝負ですよ」

 無邪気そうな言いぶりだが中身は剣呑だ。今度は総身がそそけ立つ。

「いかん! 真剣ですと? たわむれでは済まなくなりますぞ!」

 狼狽うろたえて止めに入るが、今度はサラに止められた。サラの心はすでに決まっているようだった。ラムルの目を真正面から見据えて、手出し無用と念を押してくる。アガムに向きなおる。

「お願いラムル。剣を頂戴。アガム様ーーいざ、尋常に勝負」


 斬り合いは唐突に始まった。

 するすると地を這う毒蛇くちなわのように音もなく間合いをつめると、アガムがサラの上体に一撃を送ってきた。サラが後退してかわす。アガムは返す刀で、切り上げの二撃めを見舞った。

 これもかわしたサラは、横面を放った。アガムが受ける。切り返してもう一撃。かわすアガム。

 二人はとも間合いを広げ、ぴたりと静止した。

「ずっと退屈だったんですよ」

 油断なく構えながらアガムはうたうようにいう。

可兌カタイでも、ホーロンでも、ね」

 リオ老の邸第やしきの前庭で、二人は対峙していた。玄関先から、シナハがおそるおそる仕合の様子を眺めている。あの、奉納仕合の日のような陽光が、二人に降りそそいでいた。

 少年は独り言のように続けた。

「楽しかったのは、貴女あなた仕合しおうた、あのときだけでした」

 少年の視線が、サラにひたと据えられた。

「また、お楽しみの時間です」

(冗談じゃないぞ)

 ラムルは胸の中で吐きすてる。怒りがわいてきた。少爺おぼっちゃんの道楽につき合っている余裕などこちらにはないのだ。

 二人とも、すぐには動かなかった。

 アガムの剣先は拍子をとるように小刻みに揺れている。そこから無言の圧力が、ひたひたとさざ波のようにサラに打ち寄せていくようだった。

 対するサラは微動だにしない。波濤はとうを裂くいわおのようである。互いに、相手の心を読みつつの睨み合いだ。木剣の仕合とはわけが違う。命のとりあいだ。さしものアガムも緊張しれてもいるようだった。

 今度も先に動いたのは、アガムのほうだった。構えをじりじりと変じると、半身になりながら刃を寝かせるようにする。

 刺突しとつの構えだ、とラムルが思った刹那、少年は一気にサラに殺到していった。まるで少年自身が、一本の刃に変じたようだった。

 閃光は立て続けに二度、はしった。初めは喉、次は胴めがけて。必殺の意をこめた、ニ段構えの剣。ラムルには、光芒がサラを刺しつらぬいたかにみえ、全身の血がいっきに下がった。

 だがーー弾かれたように吹っ飛ばされたのは、アガムのほうだった。サラは、二撃目をかわしざま身体を捻って横なぎの一撃を放ったのだ。

 恐るべき速さの刺突は、通常けることすら叶わないに違いない。サラの、相手の心の内を測る心法しんぽうまさればこそ稍微わずかに先手を取ることができたのだろう。あるいは、先般以来続く「実践」経験の差かもしれない。

 サラは膝を落として、その場にしゃがみこんだ。

「サラ!」

 ラムルは思わず駆けよった。サラは肩で息をしていた。冷や汗で、髪が額に貼りついている。尋常でない緊張感であったのだ。

 助け起こそうとしたラムルの手を借りずに立ち上がったサラは、少年のもとへ向かった。

「ーーアガム様」

 少年は生きていた。サラは咄嗟に剣を返して、刃のない部分で少年のこめかみを打ち据えていたのだ。

 うめき声が漏れた。びくり、と身体が動き、少年が震えはじめた。

 警戒しながら、ラムルも近づく。

 呻きと聞こえたのは、少年の含み笑いだった。苦痛に歪んだ赤い顔のまま、少年は身悶みもだえして笑っているのだ。

「ーーアガム様」

 サラがもう一度声をかける。少年はようやく痙攣をおさめると、緩々のろのろと上体を起こした。まだ少し朱の差した顔色以外は、平静にもどっている。

「参りました」

 サラを見上げ、少年は歯切れよくいった。

「完敗ですよ。あれを返されてはね」

 そういってアガムは笑った。初めて見せる、少年らしい含羞はにかみの笑いだった。

「アガム様」

 ラムルは少年に向かって跪き、礼をした。

「我らは、ガイウス様殺しの下手人を追っています。ですがおそらくそれは太守弑逆事件ともつながっている」

 アガムがラムルを見つめ返した。

「あるいは我らは貴方の御父上と敵対するやもしれませぬ。そんな我らが申すのも異なことですが」

「……」

御身おんみのお力をわれらに是非、おかし願えませんでしょうか」

 サラがこちらに訝しげな眼差しを送ってきたのはわかっていたが、ラムルは前言を撤回するつもりはなかった。

 少年は意外そうな顔で、ラムルとサラを交互に見やった。が、やがてラムルの差しだした手を握りかえし、アガムは立ち上がった。

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