第11話
十二、
小さな邨を通り抜け、道は〈羊頭山〉へ向かってゆるやかに登っていく。歩くにつれ、ぽつぽつと左右に木立ちが数を増してくる。
空はかわらず高く、陽が燃えさかっていた。熱になぶられた草いきれが、鼻につく。
ラウドの
ぽっかりと開いた扉から覗き込むとすぐに土間で、丁寧に掃われているらしく埃っぽくはなかった。ガイウスが掃除をしたのかもしれない。
煮炊きをする
そこは灌木が払われ薪割りなどの作業ができるようにした、ささやかな裏庭だった。
三人は、無言でその場に立ち尽くした。
「ガイウス様は」シナハは、地面の一ヵ所を指さした。「こちらに倒れておいででした」
二人とも同じ想いだったろう。できれば見たくない、目をそらしていたい、という衝動とたたかいながら、そこに目をやった。
だがそこは、禍々しい凶刃も凄惨な血溜りもなく、乾いた茶色の土があるだけの、ただの地面であった。
ラムルは想像する。黄昏時の森に対峙するガイウスともうひとつの影を。
「ガイウス様は
シナハが訥々と話を続けている。サラ自身が求めた説明とはいえ心配になって見やると、彼女の顔が真っ青になっていた。ふっと力が抜けたように膝が崩れる。慌てて抱き留めた。
「ーーサラ。サラ!」
サラはラムルに肩を抱かれていることにも気づかない様子だった。目の焦点が合っていない。意識が遠のいているのだ。
ラムルは、かたわらの石にサラを座らせ、シナハに水を持ってきて欲しいと頼んだ。
気づかわしげなシナハに差し出された木椀の水を、サラはかろうじて飲んだ。なんだか急に、身体が重くなったような動作だった。
「行こう、サラ。もう充分だろう」
ラムルがうながすと、サラは素直に従った。
*
リオ老とシナハに礼をのべて、サラとラムルは帰途についた。
行く手の砂漠には西日がさし、大地が茶色から茜色に移ろう時分だった。
前を行くサラは、意気沮喪してどうにかこうにか手綱を握っている様子だった。きっと自分を不甲斐ないとさいなんでいるのだろう。しかし、己れの父の死にざまを、直視するのは並大抵のことではない。
うつむきながら進むサラに、後ろにいたラムルは馬を寄せていった。
「これ、食べな」
ラムルが袋からとり出したのは、干した果実を伸ばしたような塊で、濃い飴色をしている食べ物である。
「今はいい……」
「そういうなって」
「ありがとう、でも、本当に……」
「まあ、まあ、ひと口だけでも」
ラムルは、食い下がった。それ以上、すげなく断るのも気が引けたらしく、受けとったサラは形ばかりかじった。たちまち、うええっ、と仰天して、かじったものを吐き出した。
「ぺっ、ぺっ! なにこれ!」
ラムルも笑いながらかじる。痺れるような強烈な苦みと、ツンとくる刺激臭が鼻を突いた。たまらず吐き出した。
「ドッピの葉だ。目が覚めたろ?」
ドッピは薬草の一種で、乾燥させて気付けや疲労回復の薬として使う。長旅の際に、隊商たちが持ち歩く必需品だ。
サラは水筒の水を流しこんで、口をゆすいだ。
「ひどい味!」
サラの抗議をとりあわず、ラムルは馬を
「さて、元気がでたところで、日没までに帰ろう! ジナさんに怒られる」
「ちょっと、待ってよ!」
サラもそれに続いた。
砂丘が、うねる波のようにうしろに飛んでいく。
少しだけゆるんだ暑気が、体中をなぶる。
顔をおおった布が、はだけた。
ほほが、風にくすぐられる。
二頭は、戯れるように先を急ぐ。
サラの顔にちらりと笑みが浮かび、ラムルはそれだけで有頂天になった。
と、ふいに、先を行くサラの馬の速度が落ちた。追いついた。
「どうした、サラ?」
答えをきく間もなく、ひゅん、ひゅん、という無数の音が襲ってきた。その正体を、ラムルはすぐに聞きわけていた。
(矢音!)
そこは、ちょうど砂丘と砂丘の谷間にあたる場所で、周囲より一段、低くなっている箇所であった。
丘の上、沈む陽を背にして、
再び、矢が放たれた。
黒い
「散! 散!」
弾かれたように、ラムルとサラは、右と左に散り散りに駆け出した。
二人を追って、騎馬も二手にわかれる。サラに二騎、ラムルに一騎。
「うわっ!」
北側の斜面を駆け上がっていたラムルの馬が、ふいにつんのめった。ラムルは宙に投げ出された。あっという間に砂地が迫り、衝撃とともに砂塵が舞い上がる。
砂まみれで谷間の底に転がり落ちながら、途中でどうにか起き上がる。手早く身体を検める。幸い、骨などに異常はなさそうだった。
上方を見れば、ラムルの騎馬の尻には矢が生えていて、苦し気にもがいていた。カッと頭に血が上った。ひどいことしやがる!
そのラムルヘ向かって、一騎が肉薄してきた。身を隠す場所はない。ラムルは足をとられながらも駆け出した。精一杯、進路をジグザグにして進み、走りながら腰刀を抜き放つ。
ひゅん、ひゅん、とさらに連射が襲う。ラムルは方向転換したり、剣を振るったりして対応した。矢はあまり近づいてはこない。どうやら騎射はそこまで得手ではなさそうだ。馬のごとき大きい的ならいざ知らず、人には上手くいかないのだろう。
業を煮やしたか刺客は、えものを弓から
ラムルは、受けるだけで精いっぱいだった。ぎいんん、という
再び刺客が迫り来る。今度もなんとか直撃はしのいだが、刃の一部が肩を切り裂いた。そこが、焼け串をあてられたかのように熱くなった。さらなる斬擊が来て、腕をかすめた。
今ほどラムルは、剣術遣いではないのを後悔したことはなかった。四合、五合、とつづくにつれ、彎刀を防ぎきれなくなってくるのは明らかだった。さらにギョっとなった。
(ーーまずいぞ)
刺客が馬から降り立ったのだ。確実にしとめるつもりだろう。刺客は一直線にラムルを目指してきた。
横薙ぎの一閃をなんとかかわしたが、足がもつれよろけた。次の攻撃は刃で受けたが、倒れてしまった。砂まみれのまま必死に転がる。しかし相手は容赦なく詰め寄ってきた。
頭上から振りおろされた一撃を、今度は受けなかった。片無我夢中で膝をついた体勢のまま、渾身の
ずくっ、という重い、不気味な感触がして、相手の体がのしかかった。生温かい液体が降りかかり、右のこめかみを伝っていった。ラムルは、自分が敵を串刺しにしてのけたのをしった。
上の男から、しだいに力が抜けていくのが、まざまざと感じられた。人体というのは、こんなにも重たいものなのか。倒れかかってきた相手の身体を、何とか横に転がして避けた。
もはや刺客は、微動だにしなかった。
初めて人間を殺した手ごたえは、吐き気をもよおす感覚だった。命の
ハッと我に帰る。サラは? サラは無事なのか?
奮起して立ち上がり、見回した。
南の斜面に一頭、乗り手のいない
斜面の上の方では、今しも斬り結んだ二騎の騎影が、離れていったところだった。刺客の矢が尽きているようなのはよいが、代わりに大だんびらを軽々と振り回している。
「サラ!」
呼びかけは、なかば悲鳴になった。無我夢中で走り出す。
駆けよっているつもりなのだが、何者かに四肢をつかまれているように、もどかしいほど進まない。初めての実戦による消耗は、想像のはるか上をいく。
「ああっ!」
二騎は
サラと刺客とが、みるみる急接近する。
大きく振りかぶった刺客の彎刀が、馬ごと烈風のように迫りくる。二騎が正面衝突したーーように見えた。
実際は、ほとんど人馬一体の状態で馬にしがみついたサラが、刺客の一撃をかいくぐったのだった。そしてすれちがいざま、横一文字に敵の左のわき腹を、切り払っていた。
はじめに上体を浮かせていたのは、相手の目に身体の位置を錯覚させるためだろう。ラムルも聞き覚えのある、〈
そのとき遠来から、警告を発する声が聞こえてきた。
ラムルは、すわ
それは、ホーロン城外を巡回中の
サラが馬をとめて、転がり落ちるように降り立った。しゃがみこんで、砂漠に嘔吐する。彼女もまた、初めて人を殺めたのだ。それは、今さっき見事な技をみせた剣士とは思えぬほど、痛ましい姿だった。
哨兵たちがサラに駆け寄るをみて、ラムルは気を失った。
十三、
言葉に起こしてしまうと、陳腐で、ありふれていて、薄っぺらですらある。けれども、げんに心の中にあって、硬く冷たい手触りで
これほど烈しく、ひとを求めることがあるだろうか。ジクロを欲する気持ちは、ほとんど実体をともなってサラを巻きこみ、なぶり、翻弄する。
(どうしてこんなときに、ジクロのことが浮かんでくるのだろう)
包帯を巻かれた痛々しい姿で
ラムルが担ぎ込まれたのは、分厚い城壁の内部にある、守備隊や哨兵が使う
傷は、浅手ではなかったものの、奇跡的に、命にかかわるものではなかった。
口やかましくても見立てには信用のおけそうな医官は、ひと月もすれば、問題なく動かせるようになると太鼓判をおした。
サラは、失血の影響で蒼白なラムルの面に手を伸ばして、額にかかった
哨兵と
ラムルは文官のいち
物盗りにしては、賊どもは、まっすぐ二人の命を狙ってきた、そんな印象があったのだ。だが、それが何のためなのかと問われると、答えに窮してしまう。思い当たることなどなかった。
いずれにしても、サラのわがままにつき合ったため、ラムルが痛手を負ってしまったのは間違いない。
見舞いに来ていたラムルの父キセロ・ノドノスとラムルの長兄、次兄は、そろってサラの杞憂を
「士族のくせに、剣術がからきしだからだ。今後は精進すべし」
「うむ、親父殿。われらが一から稽古をつけましょう」
そう言い合って、三男の意識が戻る前に、帰っていった。サラに罪悪感を抱かせまいという気遣いには、恐縮するしかなかった。長兄の夫人だという女性が、自分がラムルが目覚めるまでついているので、一度、お戻りになってください、と気遣ってくれた。
しかしそれは、責められるよりも辛いことだった。
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