第4話

三、

 ラムルは、朝から勤めに集中できなかった。それで上午ごぜんは、上役うわやくに何度も注意をされてしまった。

 昨夜の出来事で生まれた自己嫌悪は、特大の鉛錘おもりのように、ラムルを押しつぶそうとしていた。己れの、あまりに身勝手な、サラの気持ちを省みない所業に、顔から火を吹く思いだった。女子おなごにとってーーもちろん漢子おのこにとってもーー縁談は一生を左右する重大事である。相手の心を無視して進めてよいことではなかろう。

 もっとも、こんなことを思う時点で、ラムルもかなりの変わり者であると言えた。士族スキュロの婚姻は命令婚であり、すべては家長のーーつまりは男のーー決定権のもとに行われる。ガイウスとラムルの父が縁談をまとめたならば、異を唱える理などあろうはずもない。

 とはいえ、小童こどものころから見知っていて、じつは憎からず思ってもいたサラから、ああもハッキリと拒絶されると、胸がひしゃげそうになる。

 昔からサラには、どこかとらえどころのない部分があった。まるで、会うたびに、中身がそっくり入れ替わったように感じたものだった。それでもラムルとは、兄のジクロともども昵懇じっこんの間柄だと自惚れていたのだ。しかし昨夜ときたらーー。

(サラはーー彼女には誰か意中之人おもいびとがいるのだろうか……いるだろうな、そりゃ……年頃だものな……)

 そしてどうみてもその相手は自分ではありえない、というのがまた、ラムルを凹ませるのであった。

「こら、また手が止まっておるぞ」

 同輩にこっそり肘でつつかれ、ラムルは頭をひとつ振った。とにもかくにも今は仕事に、調べものに集中しなければならない。

 いまホーロンの士族社会は、騒然とした空気に包まれていた。

 ホーロン太守ユスナル・ロカンドロンは、春先から、流行り病の黄死熱おうしねつにより臥せっていて、いまだ恢復かいふくの兆しがみえなかった。それにともなって、宮城内に不穏な空気が立ちこめていた。太守位の継承にからむ水面下の争いが、その原因というのがもっぱらの噂だった。

 そこに先般、大事件が起こった。宮城警備の責任者であり、太守の近習きんじゅうとして隠然と権勢を振るっていた衛士令えいしれいバダンが斬殺されたのである。

 奇妙なことに、犯行当日、バダン衛士令は従者を連れずに外出している。きな臭い話が囁かれている昨今にしては無用心な話だが、自身が〈ホーロン七剣〉の高名な剣士であるだけに、用心など歯牙にもかけなかったのだろう。

 だが結局、その自信が命とりとなったのだ。

 事件が、宮城内の権力争いに端を発するのかはまだ分からない。近来、ホーロンの平民階級ゾックに、士族としてのさばるガドカルの民を排しその支配のくびきから脱しようといううねりが彭湃ほうはいと沸き起こっていた。ゆえに、バダン殺害は、反体制を標榜する一派による暗殺とみる向きもあった。

 しかし、斯様な実在も定かでない相手ではなく、ある意味身近な相手の仕業と受け取る士族が多いのは間違いなかった。

 ラムルが行っているのは、衛士令えいしれい殺害に絡んで、過去に似たような手口の事案が存在するか調べることである。

 ホーロンにももちろん犯罪はあるが、おおかたは、激情に駆られた者の起こす、分かりやすい事件である。しかし今般の事案はそうではない。手練れの剣客を一撃でほふったうえ、手掛かり一つ残さないなどという狙いすました兇行は、かなり特殊である。早くも行き詰まりかけた金吾衛が、手掛かりを求めて過去の事案を見返すよう麟台りんだいに求めたのもむべなるかなだった。

 ガドカルの民の三百年に渡る統治のあいだ、よくも悪くも、大きな動乱は起こらなかった。士族階級を形成するガドカルの民も、往時の勇ましい気風は薄れ、すっかり統治官僚となっている。官僚は先例を重んじるのだ。

 少しでも関連がありそうな記録を、手分けして探しだした。

 それらの冊子や巻子まきものをまとめ目録を作ると、物持ちの従者二人に持たせて、金吾衛衛に運ぶ。付き添うのはもちろん一番下っ端のラムルである。

 

 届け先の金吾衛は、宮城から南西に下った方角にある。

 昼下がりの大通りをのんびり進み、途中で巷曲よこちょうに入りこんだ。長くつづく低い土塀に行き当たった。塀に囲まれた向こうは、エフリア神殿の神域である。土塀ごしに、敷地内に植えられた、梨や杏の樹木の梢がのぞいていた。いまの時期なら李の実がたわわに生っていることだろう。

 塀沿いにさらに歩くと、てっぺんに赤い三角幟のぼりがはためく、布でできた小山が見えてきた。それですでに、エフリア祭の準備がはじめられたと知れた。広い神苑しんえんの一画に、臨時の大天幕が設営されているのだった。

 剣呑な威喝いかつが聞こえたのは、敷地の裏門にさしかかったときである。それと野次馬たちのざわめき。

 聞き知った声が混じっているように思え、ラムルは、開け放たれた門扉のあいだから、神苑をのぞきこんだ。

 とたんに、異様な雰囲気が漂っているのが感じられた。果樹園の、拓けた場所の真ん中で、二組の集団が睨みあっているのだった。

 片方に、ひときわ他を圧する体格の男がいた。

 背丈は周りとさほどかわらないが、全身をおおっている肉の厚みがけた違いである。そのゴツゴツした岩みたいな顔と濃い赤髭に見覚えがあった。ホーロンの軍事をつかさど都尉といの、百戸長グルクスだ。

 かたや、もう一組にも特徴的な者がいてこちらも百戸長であるサハムだ。

 サハムは、グルクスとは対照的に、かなりの長身で頭一つとび出ている。ただし貧弱な印象はなく、ひきしまった体つきをしている。顔も剃刀のような印象だ。二人とも〈ホーロン七剣〉の一角を占める剣客である。

 遠巻きな物見ものみの中に、見知った顔をみつけ、ラムルは近づいていった。聞き覚えのある声の主は、かつての学友だった。

「これは、なんの騒ぎだ?」

「む、ラムルか……」

 ふり返って目を瞬かせたそいつは、声をひそめて、「いつものやつさ」と耳打ちしてきた。

 それで事情が察せられた。同時に、危なっかしいな、と、ラムルは胸の裡でひとりごちた。

 二つの集団は、ホーロンの名門武館どうじょう、ジュダス修練場とオウダイン修練場の門人だった。これにサラのいるベルンを加えたものを、ホーロン三大武館どうじょうと呼ぶ。

 ジュダスとオウダインの二つは、伝統的に反目しあっていることで知られていた。それには、単なる武館どうじょう同士の対抗心をこえた、根深い問題がからんでいるのだった。

 ホーロンのまつりごとは、太守と丞相じょうしょう、それに六名の千戸長から成る執政会議で決定されているのだが、実際には、太守家ロカンドロンと、有力な士族であるライゴオル家、ベルデラント家という三つの勢力の綱引きによって決まっている。

 ライゴオル家は、ホーロン開闢以来の名門で、その紋章が黒い獅子ウルタスをかたどったものであることから、代代、黒獅子候ウルタールの名で呼ばれる。オウダイン修練場は、元々ライゴオル麾下の士族が武芸の腕を磨くためにできたものだ。

 対する〝もう一つの獅子〟ベルデラント家は、ライゴオル同様古い家柄で、こちらも深紅の獅子アバロを紋章にしていることから、赤獅子候アバルーネの名を持つ。ジュダス修練場はその起源にベルデラント家をもっている。公然のライバルである両家のあいだには、〝両獅子並び立たず〟という言葉があるほどであった。

「聞き捨てならん。取り消されよ」

 グルクスが静かに吼えた。

 赤銅に焼けた色の肌が、怒りのため、いっそう紅潮している。

「ふふん。なにをむきになっている。拙者はただ、『首を狙うのは貴殿らの得意技だろう』といっただけだ。それともなにか、思い当たるふしがあるとでもいうのかね」

 サハムが鼻で笑った。あからさまに嘲りの色が浮かんでいる。

「図星ならば、いっそ今ここで、告白したほうがいいのではないか。オウダインの者が、バダン衛士令を殺したと」

 あっと、その場の誰もが息を飲んだ。あまりに軽はずみな一言だった。ラムルもギクリとなった。まさにいま手元の書類にかかわるものだからだ。

 星のない闇夜であったにもかかわらず、衛士令はたった一太刀で首を刎ねられていたという。そして、上段の構えから首や肩を打つ攻撃的な戦法は、確かにオウダイン修練場の得意とするところなのだ。

 問題はバダン衛士令が、歴然とした赤獅子派の人間だったことだ。

 赤獅子派側は、すわ、黒獅子派の差し金であると色めき立ったが、それを表立って口にしなかったのは、証拠がなかったからにほかならない。しかし、内心はサハム同様、オウダイン内部の者の犯行と考えていたにちがいなかった。

 その疑惑を、サハムは口にしてしまったのだ。

「貴様……」

 相手を睨み据えたまま、グルクスの太い腕が腰の剣へと伸びた。

 サハムも剣の柄に手をかける。ごくり、と隣の旧友が喉を鳴らした。まさに一触即発の状況だった。

「待たれよ」

 緊迫した雰囲気をものともせずに割って入った声は、場にそぐわぬ涼やかなものだった。

 その場の誰もが一斉に声の持ち主を追い求めた。人垣が二つに割れ、預言者のように声の主がすすみでた。

(なんと……)

 ラムルはわが目を疑った。二人の人物がそこにいた。

 一人は、りゅうとした身なりの壮年士族だった。華美ではないが、上等な仕立てのほうをまとっていて、その正体に気づいた一同が、慌てて跪いて礼をとろうとするのを、片手でさえぎった。ラムル含め一同は、直立不動になった。

 恐ろしげな様子など微塵もないのに場を掌握する威圧感を持ったこの御仁ごじんこそ、ベルデラント家当主“赤獅子侯”にして、ホーロンの丞相ヨン・ベルデラント閣下であった。

 しかし、先ほどの声の主は、丞相閣下ではなかった。むしろ、そちらにこそ、ラムルは度肝をぬかれたのだった。

 それは、ハッキリと一同の目が吸い寄せられたと判るほどの麗人であった。

 金髪碧眼に色白の相貌おももちで純血のガドカルの民としれるのだが、その場に集っている、武骨な士族たちと同じ民族なのかと思うほど異質に映った。

 砂のついた外被マントにたすきがけの背嚢という旅装のうえからでも、ほっそりとした、華奢で、なよやかな腰つきがみてとれる。

 年齢としはラムルの少し下、サラと同じくらいだろうが、物憂げな長いまつげのしたの瞳は、妖艶さすら漂わせている。

 頭に巻いていた布をとりのぞきながら、麗人はゆっくりと二人に近づいていった。あらわになった、やわらかそうな巻き毛がつややかで、足どりは、剣呑な空気をものともしない軽やかなものである。紅すぎる唇の口もとは、微かな笑みさえうかべている。

「奉納試合は、至高神エフリアのしろしめすもの。なるほど、エフリアは戦の神でもあるがーー」  

 そういって麗人は、春風のような笑顔で対峙している男たちを見回した。

「ーー無益な争いは好まないのではないか。われらの太祖ナクバル・ロカンドロンも、ホーロン攻略の際、


みなごろしすること道なれば、たれかへいほうの道ならわん〉


といって、部下をいさめたといわれています」

 いたずらに殺しあって敵の被害ーー味方の被害もーーを出すのであれば、戦略にどんな意味があるだろう、という意味だ。つまり、むやみな殺生を禁じることの謂いとして、引用しているのだが……。

 言葉の中身よりも、どっちかといえば、芝居っ気たっぷりの登場に、殺気立っていた男達の毒気が抜かれた格好だ。それに、麗人の発音には、可兌カタイ風の響きが混じっていて、その異国風に口調も、浮き世離れした印象にひと役かっているのだった。

 背後に立つ赤獅子侯が、愉快げな表情を浮かべている。ラムルのごとき下っ端は、二、三度顔を見たことがあるくらいだが、果断で知られるこの殿上人てんじょうびとがこんな表情をするとは驚きである。

 何よりも、そのよく通る澄んだ声でラムルは、相手が少年であることに気づき、より愕然となった。

(何者だ?)

 グルクスはとうに見知っていたようで、緊張の面持ちである。

「アガム様……」

「久しいな、グルクス」

「はっ!」

 グルクスがはじかれたように跪いた。

「若様も御機嫌うるわしく恐悦至極に存じます。いつ、お戻りになられたのですか」

「たった今だ」

 少年は、急にしゃちほこばったグルクスを愉快そうに眺めた。

 それを見て、サハムが雷に打たれたように固まった。彼もまた、少年の正体に思い当たったようだった。

「父上にもまだご拝謁していないんだ。どちらにいらっしゃるのかな? ご出仕されているかな?」

「いえ……御舘おやかたさまは、お邸第やしきーーいや別墅べっそうに居られます。最近はめったに外にお出になることは御座いません」

「そんなにお加減がよろしくないのか」

 少年が、心配そうに眉をよせた。

「いえ、そういうわけではございませんが……」

 グルクスが困ったように顔を顰める。大勢の前で話す話題ではないと思っているのだろう。

「まあよい。父上には後ほど目通りいたそう。それより少し休ませてもらおうかな。なにせ、たった今、駱駝の背から降りたばかりでな。ヨン様、こちらで失礼つかまつります」

 赤獅子侯がうなずくと、少年はさっさと歩き出した。グルクスとオウダインの一党が、慌ててその後に従う。もはやサハムのことなどまったく目に入っていない様子だった。

 赤獅子侯も目顔でサハムを呼び寄せ、歩きだした。サハムは真っ青な顔で、つき従った。それで、赤黒どちらでもない野次馬たちも、三々五々散ったのだった。

 気を取り直して、金吾衛を目指しながらラムルは、今のひと幕に想いを馳せた。

 グルクス百戸長の態度からして、あの見目麗しい少年が、ライゴオル家の若殿の一人なのは間違いないと思われた。

 当代の黒獅子候ウルス・ライゴオルは老練な政治家であるが、数年前に病を得てから国政の表舞台から遠ざかっている。代わりに、嫡男が執政会議に参加しているが、若輩ゆえか発言力に欠けるという噂である。

 一方、赤獅子候ヨン・ベルデラントは、まだ三十の半ばだが、穏やかで理知的、しかも決断力に優れた人柄が人望を集めており、太守の寵も厚い当代の丞相である。

 すなわち、赤有利、黒劣勢というのが現状と言われているのだが、先般、太守が病に臥せって以来、黒獅子側が、密かに巻き返しを図っているという噂が宮城で流れはじめていた。

 黒獅子候が、太守亡き後の後継者として、太守の次弟アデルを擁立する動きがあるというのだ。

 すでに皇太子に指名されている太守嫡男ルウン太子はまだ幼く、先例からすれば、あらためてアデルを世継ぎとして立坊りつぼう(立太子)することも充分考えられるところである。そうなれば現太守の引き立てで勢力を広げた赤獅子候は、著しく不利な立場となる。

 そこで赤獅子は嫡子の立場を強調し、現太守の叔父で太守一族の長老格サウル候を後見に据えることを主張しはじめた。

 衛士令バダンの暗殺に代表される昨今の不穏な空気は、この二派の暗闘が背景にあると士族たちが動揺するのもうなずける。

 少年が黒獅子侯の何番目の男子かは知らないが、いずれ一族の力を結集しようとしているのかもしれないーー。

 ラムルは、事態がより風雲急を告げているようで、不安感が増していくのだった。

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