にしのとりかえばや
@ikuesan
第1話
序、
そのころ、ホーロンを治めていたのは、北方から到来したガドカルの民であった。
大陸の、東西交易の大動脈たる
遡ること三百年の
遊牧騎馬民の彼らは、良くも悪くも、
正史に載らない民びとの物語を、
後世の年代記の記述にない、しかしそのじつ、
逸、
濃い
静まり返る上級
典型的な武官のなりで、短い丈の上衣に
男の頭の中は、いましがたのさる
(あの方は、かような不手際を許さぬのだ)
ある程度の危険は、はじめから予想していた。そのために慎重にことを運んできたつもりだった。あと少し、あと少しですべてが上手くいくはずであった。それが……。
(ーーよりによって
ぎりり、と奥歯を噛みしめる。再び「あの方」の顔がよぎり、男はいま一度、身を震わせた。
(ーー早急に手を打たねばなるまい)
知らずのうちに歩が速まる。
(まずはーー)
男の頭の中で、幾つかの応手が交錯した。
(捕吏の動きをどう封じるかだが……)
そこまで考えたとき、男の足がふいに止まった。自分でも理由のわからない、無意識のうちの行動だった。男の剣士としての本能がそうさせたのである。
男は背後にかすかな、本当にかすかだが何者かの気配を感じとった。
再びゆっくりと足を踏みだす。滑らかさに、油断のなさが加わった足運びだった。
従者を連れていないことを、男は後悔した。余人をはばかる秘事だ。あえて一人での道行きだった。それに、自らの腕を
ホーロンは、交易路を行き来する旅人たちに〈剣の都〉と呼ばれている。
〈溺れ分岐〉から南へ二日の小山の麓に、刀工たちの集まる刀剣の産地があって、ホーロンは昔からそこの品物を独占的に扱っていた。やがてホーロンは、刀剣商人、
ことに
〈ホーロン七剣〉ーーとりわけ名高い歴代七人の剣客ーーそのうちのひとりが男、宮中警護の衛士を束ねる
警戒と同時にバダンは、敵を迎え撃つべく、頭をめぐらせてもいた。この場所では襲ってこまい、とバダンは判断した。左右に連なる日乾し煉瓦の塀が、存分に剣をふるうのを妨げるからである。
バダンの
路地を抜けると、水路べりの少し広い街路に出る。仕かけてくるとすれば、そこにちがいなかった。
東の碧天山脈から地下をつたってきた雪融け水が岩盤にあたって湧きだし、ナリン砂漠のただなかに、夢幻境めいた
しかしいま、恩寵のはずの水分をふくんだ夜気が身体にまとわりつき、心なしか粘り気をおびてきたようだった。
思うように空気が胸に入ってこない。息苦しさに喘いだ。寒さにもかかわらず、じわり、と汗が吹きだしてきた。
そしてバダンの予測は、あっさりと裏切られた。水路沿いの竜木樹の並木がみえるよりも早く、背後の気配が大きく膨らんだ。次いでこちらに向かって疾走する足音。
はじかれたように身をひるがえすと、振りむきざまにバダンは抜刀した。
あらわれたときと同様に、唐突に足音がかき消えた。
短く鋭い刃唸り。バダンの眼に、ゆらりと闇が揺れたように映った。それが最後の光景だった。
次の瞬間、腕自慢の剣士バダンの
バダンの腕が一度、ひくり、と持ち上がったようだった。それきり衛士令は動かなくなった。
暗殺者はそのさまを、最後まで見とどけていた。闇が凝り固まったように微動だにしなかった。
やがてーー。
息ひとつ乱したふうもなく、暗殺者は
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