第28話 知識の箱

 北部領の領都、カシェカルの街に着いたのは、冬が始まり、ちらちらと雪が舞い始めた頃でした。あれから何度も狼の群れに遭遇しましたが、狂暴化していたのは西部領に近い群れだけで、北部領の中心に近づくにつれて穏やかな旅路となっていきました。


 北部領は、長い冬の間に発展させた、学問が盛んな土地です。特に領都にある図書館が有名で、エステリーチェ王国内最大の蔵書を誇ると言われています。

 その図書館が目的であったため、滞在する数日間を快適に過ごせるよう、久し振りに良い宿屋さんに泊まることにしました。冬の支度が大変な時期ということもあり、一泊小銀貨二枚です。


「フレッド君! 雪、雪ですよ!」


 荷物を下ろして一息ついていると、窓の外、雪が降り始めたのが見えました。しっかりと積もりそうな、本格的な雪です。……何だか、うきうきしてきました。王都にも雪は降りますが、話に聞く、「銀世界」というものは体験したことがないのです。


「……あぁ、見えてる。こりゃ冷えるわけだ」


 それなのに、フレッド君の反応は薄すぎます。むぅと口を尖らせると、彼は小さく溜め息をつきました。


「……図書館に行くんだろう? それとも明日からにするか?」

「――っ! 酷いです、今日行くに決まっているではありませんか」


 彼の意地悪に慌ててポシェットを準備し、さりげなく差し出された手を掴みます。最近は、街の中でも手を繋ぐことが多くなりました。……わたし、石畳や木の床の上なら普通に歩けるのですけれど。

 その理由は気になりますが、「落ち着きがない」などと言われてしまいそうで、中々切り出すことができません。それに、安心するのも事実ですし……。




 図書館の受付で、わたしは「少しお待ちください」と言われました。奥の事務室に入っていく職員さんの後ろ姿を眺めていると、先に受付を済ませていたフレッド君に声を掛けられます。


「どうしたんだ?」

「さぁ……。待つように、としか言われませんでしたから」


 それほど時間は掛からずに戻って来た職員さんの手には、小さな魔法具がありました。彼女は、申し訳なさそうに口を開きます。


「ごめんなさいね。忌み子の方には皆、魔力の扱いを見させて貰っているのです。当館には、貴重な魔法書もありますので……」


 そういうことなら納得です。フレッド君はむっとしたようですが、実際に魔力暴走を起こしてしまう忌み子は多いのです。魔法具ひとつで操作能力を証明できるのであれば、それに越したことはありません。


「どうしたらよろしいのですか?」

「この魔法具を発動させてください。魔法陣が複雑なので、それだけで扱いの巧さがわかるようになっています」

「へぇ……それは面白いですね」

「頑丈に作られていますから、安心して魔力を流してくださいね」


 そうして渡された魔法具は、なるほど、高抵抗金属で作られていました。確かにこれなら、魔力暴走を起こして大量の魔力を流してしまっても、びくともしないでしょう。早速、魔力を流してみることにします。入り口の印があったので、その通りに流すと、僅かな抵抗を感じつつも魔力が吸い込まれていきました。


「わぁ……!」


 すぐに感じた構造の緻密さに、思わず歓声を上げてしまいました。怪訝な表情をする職員さんと溜め息をつくフレッド君に誤魔化し笑いを向け、作業を再開します。


 と、少し進んだところで魔法陣が行き止まりました。あれ、と思い戻ってみると、小さな分岐を発見します。そこに魔力を流すと、魔法陣はまた続きました。それから何度も分岐をしながら進んでいくと、今度は違う仕掛けに当たりました。


「……?」


 何やら強い抵抗を感じたので、多めに魔力を流してみますが、その仕掛けより先には流れてくれません。不思議に思って少しずつ流す魔力を減らしていくと、ある一定の量になったところで急に流れ始めました。


 何て楽しい魔法具なのでしょう……! 他にも属性の指定があったり、テンポよく魔力を流す必要があったりと、様々な技術を要求されるのです。夢中になって魔法陣をなぞり、ついに完成した時には、じんわりと達成感が広がりました。


 発動した魔法は、それはそれは美しいものでした。優しい光と、穏やかな気持ちになれる音楽が流れます。それをうっとりと楽しんでいると、わざとらしい咳払いが聞こえてきました。


「えぇと……。操作能力に問題が無いことは十分にわかりました、けれど……」


 何やら歯切れの悪い言い方に首を傾げると、フレッド君が大きな溜め息をつきました。


「全く。やりすぎなんだよ」

「どういうことですか?」

「この魔法具を発動させられたのは、あなたが初めてなんですよ。複雑なので、最初の方、いくつかの分岐を進むことができればそれで良いのです」

「……」

「お前があまりに楽しそうにしているから、彼女が止めに入れなかったんだ」


 あ……。


「忌み子どころか、当館の職員だって発動させられるのは上層部の一握りだけです。少なくとも私には、そんな操作能力はありません」




 館内に入ると、そこには本の森が広がっていました。ずらりと並べられた本棚に、ぎっしりと本が詰まっています。窓際には読書をするスペースが設けられていて、いくつかの席が埋まっています。

 わたし達は最初に、二つ並んで使える席を取ることにしました。受付で渡された腕飾り型の魔法具から、小さな宝石を取り外します。それを机の穴に填め込むと、利用登録ができるのです。王都の図書館にはありませんでしたし、面白い魔法具だと思いました。さすがは北部領です。


 それから各々読みたい本を探しに行きます。フレッド君は身体の構造に関する本を、わたしは勿論、魔法に関する本を選びます。特に“気”に関する内容が書かれているもので、随分と古い言葉で書かれているようでした。あまり得意ではないので、辞書も用意してじっくりと読み進めていきます。


「うーん……」


 閉館時間まで粘り、何とか半分ほど読み終わりましたが、わたしの欲しい情報を得ることはできませんでした。それでも新しい知識は増えましたし、それなりに満足感を覚えて宿のお部屋に戻ります。


 次の日も図書館に向かいました。受付にいたのは昨日と同じ職員のお姉さんで、「いらっしゃい」と微笑まれただけで止められることなく、利用者用の魔法具を渡してくれました。

 昨日と同じように席を取り、昨日と同じ本を読みます。古い言葉に慣れてきたのか、読むのが少しだけ速くなっているような気がしました。


「……あ」


 もう少しで読み終わるというところで、わたしが詳しく知りたいと思っていた、光属性と闇属性の“気”について書かれている箇所を見つけました。しかし、その部分はまた一段と難解な言い回しで書かれていて、上手く内容を理解できません。


『深淵を穿つ穴は、光明へと続く。柱を包むのもまた、暗闇である』


 この一文は、あの洞窟にいた悪魔のことを思い出させます。深い影の中で光る瞳と、その魔法陣……。何とか理解できるところを繋ぎ合わせると、「“気”と魔力が延々と巡り、続いていく」というような意味になりました。それはわたしの“気”と魔力に対する理解と一致するものではありましたが、まだ何か見落としているような気もします。それが何かわからないまま、この本を読み終えてしまいました。


 お昼を挟んで、また別の本を読み始めます。今度は魔法具に使われる魔法陣について書かれたもので、かなり新しい本であったため、すらすらと読み進めることができました。……ふふ、この知識を上手くいかせるようになって、いつかウィルムさんと再会した時に、驚かせるのです。


「久々にこう知識を詰め込むと、さすがに疲れるな」


 それからまた閉館時間まで本を読み続け、魔法具を返そうと受付へ向かいます。その途中で、目の上をぐりぐりとほぐしながらフレッド君が言いました。


「ふふ。では明日は、お休みにしますか?」

「お前は来るんだろう?」

「勿論です」

「なら、ついて行く。疲れはするが、こういう機会は貴重だからな」


 何だかんだ、フレッド君も図書館が好きなのです。そもそもわたし達が出会ったのも図書館でしたし、彼の豊富な知識は本から得たものが多くあります。よく、「何かの文献で読んだな」と言いますし。


 受付に行くと、事務室の方から何やら慌ただしい雰囲気を感じました。職員のお姉さんに魔法具を返すとき、どうしたのかと尋ねてみます。


「明日、第二王子の御一行がいらっしゃることになったのです。その対応に、追われているのですよ」


 わたしとフレッド君は、ゆっくりと顔を見合わせました。


「一般の方の来館をお断りすることはありませんが、明日は少々、慌ただしくなってしまうかもしれません。ご了承ください」


 宿屋さんに戻ると、わたし達は何も言わずに荷物をまとめ始めました。まだ一泊しかしていませんし、広げるような物もありません。それはすぐに終わります。

 それから早めに夜ご飯を済ませ、眠りにつきます。……明日は、できるだけ早く起きましょう。


「おや、もう出発するのかね?」


 次の日、二の鐘が鳴るよりもずっと早く、宿屋さんを出る手続きをします。旦那さんには首を傾げられましたが、数日分の宿泊代は前払いしていたので、何も追及されることはありませんでした。


 外はまだ薄暗く、冷え込みの厳しい朝でした。防寒具をしっかりと着込み、街の門へと急ぎます。


「リル」

「そうですね……あの山の方へ行きましょうか。図書館で使われている魔法具はすべて、その辺りにある盆地の街で作られているのですって」


 どうですか? と見上げると、フレッド君は硬い表情で頷きました。繋いだ手をゆらっと振ると、彼は小さく溜め息をひとつ、落とします。それは白くて、初めて出会う銀世界をなぞるように、ゆっくりと空に溶けていきました。

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