第13話 準成人のお祝い

 夏が来ました。ニースケルトの街には、湿った温い風が吹くようになり、太陽がじわりと肌を焼きます。わたしとフレッド君はそれぞれの依頼を全て終わらせ、久し振りにゆっくりと朝ご飯を食べていました。

 この街に来てからずっと同じ宿に泊まっているため、旦那さんだけでなく、他の使用人達とも顔馴染みになっています。依頼が終わったということで、今日は特別に果物の盛り合わせをつけてくれました。しかも、今朝採れたてです。


「リル、出発はいつにするか? 依頼で疲れているなら、数日休んでからでも良い。お前に合わせるよ」

「いいえ、わたしは大丈夫ですよ。それでは明日にしましょうか」

「わかった。今日はどうする?」


 普段街を出る前には、旅の資金を稼ぐために、作成した魔法具や調合した薬を売っています。けれども、今回はたくさんの依頼でわたし達の懐はそれなりに潤っているのです。わざわざこれから稼ぐ必要はありません。


「そうですね、お世話になったところへ挨拶をしに行きましょうか。……あ、あとですね」


 そこで不自然に言葉が途切れたわたしに、フレッド君が先を促します。


「……依頼先で聞いたのですけれど。ニースケルトの夏の海は、とても綺麗なのだそうです。も、もし良かったら……一緒に見に行きませんか?」


 それだけのことを言うのに、何故かとても緊張してしまいました。一瞬考えるような顔をしたフレッド君は、少しだけ真面目な顔で笑って頷きました。


「海か、わかった。それに丁度良い。少し話したいことがあるんだ」

「話したいこと、ですか?」


 どく、と胸が鳴りました。もしかしたら、これからのことかもしれません。どんな話になっても、用意した贈り物を受け取って貰えなくても、お祝いの言葉だけは伝えられるでしょうか? ……何だか、今から不安になってきました。


「いや、大した話じゃないから。そんな顔するな」


 フレッド君は苦笑いしますが、真面目な顔でそんなことを言われたら不安にもなります。口を尖らせると、彼はくしゃっと頭を撫でてきました。せめてもの反抗と、真面目な顔を作って口を開きます。


「わたしも……わたしも、フレッド君にお話があります!」




 色々なところへ挨拶をしに行った後、五の鐘の頃にわたし達は海へやって来ました。強い日差しが波に反射されて、きらきらと輝いています。夏になり、海の青が濃くなっているように思いました。


「わぁ……! 本当に綺麗ですね。この前来た時とも違います」

「そりゃ、この前は夕暮れだったからな」

「あ、いえ……。その後で、薬屋のソウさんと、そこの見習いのファルさんと三人で来たのですよ。海藻を採りに」

「ふーん……。で、話って何だ?」

「わ、わたしからで良いのですか?」


 フレッド君の顔を覗き込むと、彼は何を考えているのかよくわからない顔で頷きました。


「……では、フレッド君。準成人、おめでとうございます!」


 そう言うと、フレッド君は少し驚いたように目を丸くさせました。それが面白くて、ふふ、と笑いながらポシェットからナイフを取り出し、ホルスターごと渡します。


「これは、そのお祝いです。気に入って貰えたら嬉しいのですけれど」


 彼は更に驚いて目を見開いた後、ナイフをホルスターから出してよく見たり、握り心地を確かめたりしました。心なしか、喜んでいるように見えます。


「これ、魔力金属か……? まいったな。……いや、まさかこんな物を用意してくれてるとは。ありがとう」


 少し照れくさそうなお礼に、こちらまで照れてしまいました。緩んだ頬を引き締めて、「話」を続けます。


「それでですね。フレッド君はその、準成人になったわけですよね」

「……? そうだな」

「ということは、見習い仕事ができるようになったということですよね。……ですから、その……どこかで働き始めるのかしら、と……」


 最後の方は小さくなりながら、恐る恐る聞いてみると、フレッド君はむすっとして軽くわたしを睨みました。え……と、わたし、いけないことを聞いてしまったのでしょうか……?


「……リル。お前は俺に、見習い仕事を始めて欲しいのか?」


 いきなり低くなった声にびくっと身体が揺れ、「い、いえ!」と答えます。続けて「そういうわけではありません」と否定しようと思いましたが、何を怒られているのかがわかりません。止めておきました。……正直、少し怖いです。


「いや、悪い。……これは八つ当たりだな」

「……?」


 しかし、彼の不機嫌はすぐに収まったようでした。代わりに顔に浮かぶのは、寂しげな笑顔です。


「俺はこの旅が気に入ってるし、止めるつもりもない。だから……俺が旅を続けるか否かは、リル、お前が決めろ。俺はそれに従うから」

「……」


 想像以上の答えに、そしてその重さにわたしは一瞬たじろぎ、それからゆっくりと頷きました。


 わたしにはこの旅を始めた責任があります。それならば、終わりもわたしが決めるべきなのでしょう。

 それに、わたしと旅をすることがどういうことなのか、フレッド君はわかっているはずです。それでもこうして覚悟を決めてくれることに、安心感と罪悪感が渦巻きました。……だからこそ、自分もしっかりしなくてはいけないと、強く思います。


「……わかりました」

「頼んだ。……ま、それまで俺は、旅人見習いってとこだな」


 重くなった空気を払拭するかのように、フレッド君は軽い口調でそんなことを言います。わたしはくす、と笑いました。


「もう。そんな仕事はありませんよ? さぁ、次はフレッド君の番です」

「そうだな、何か先を越された気もするが……」


 そう言って服のポケットから取り出した、小さな布の包みをこちらへ寄越してきました。受け取って開いてみると――


「えっ、と……?」


 そこには小さな耳飾りがありました。シンプルながら美しいデザインの銀細工に、深い青の宝石が埋め込まれています。手に持ってみると、陽の光が当たって透き通って見えました。

 贈り物を貰う理由がわからず首を傾げると、フレッド君は溜め息をつきました。


「贈り物は拒まないんだろ?」

「……? まぁ、そうですね」


 よくわかりませんが、せっかく用意してくれた物を拒むはずがありません。とりあえず納得して、手の中の耳飾りを眺めました。


「驚きましたが、嬉しいのも本当ですよ。ありがとうございます」

「あぁ」

「綺麗な色ですね。夜が始まる時の空みたいです」

「……この前ここで、お前の色の話をしただろ? せっかくなら、夜の色まであった方が良いと思って」

「なるほど。ふふ、これで夕焼けの完成ですね!」


 髪の赤と瞳の紫、そして耳飾りの濃い青。

 自分で見る機会は少ないですが、きっと綺麗なグラデーションになるのでしょう。少しだけ、自分の色を好きになれる気がしました。


「それに――」

「それに?」


 フレッド君の瞳の色で、安心します――そう言いかけて、それがあまりにも恥ずかしい言葉であることに気がつき、口を閉じました。「いいえ、何でもありません」と首を振り、誤魔化すように耳飾りを着けてみます。


「どうですか?」


 そう言って左右に首を振ってみせると、何だか嬉しそうな顔でフレッド君は笑いました。が、珍しい、と思う間もなくいつもの意地悪い顔に戻り、頭に手を置いてきます。


「似合ってる。それに、いつでも綺麗な夕焼けが見られるみたいだ」

「……」


 わ、わかっていますよ? ……耳飾りは空の色で、その空の色が綺麗なのです。けれども、フレッド君の顔を、その瞳の色を見ると、頬が熱くなるのを感じました。

 同時に湧き上がってくる感情は、抱いてはいけないもののような気がして。それを隠すように、左手で胸を押さえるのでした。




 次の日。“気”の違和感に起こされるのは毎日のことですが、今日はいつもとは少し違った感覚で目を覚ましました。その違いを探る前に、フレッド君が口を開きます。


「おはよう。どんな感じだ?」

「おはようございます。……何か、変でした」


 その返事を聞いたフレッド君はニヤリと笑い、わたしが昨日あげたナイフを振ってみせました。


「この魔力金属、リルの魔力が使われてるんだろ?」

「はい」

「こうなっていても、自分の魔力として認識してるんじゃないかと思ったんだ。だから変に動かせば気づくかもしれない、と」

「確かに……何と言うか、自分の魔力が意図しない動きをしている感じがしました」

「なるほど。……これもありか」

「もう、わたしで遊んでいるのですか?」


 楽しそうなフレッド君に口を尖らせて文句を言うと、彼は口の端を持ち上げたまま「鍛練だ」と答えました。絶対に遊んでいます。けれども、先程からずっとナイフを眺めているのが嬉しくて、そして何だか気恥ずかしくて、つい顔を緩めてしまいました。


 それから着替えをして食堂で朝ご飯を食べ、受付で退出の手続きをします。昨日の内に準備は済ませてあるので、すぐに出発です。


「いやぁ、若いのがいなくなると寂しくなるな! またこの街に用ができたら、ここにも顔を出してくれよ」

「ふふ。おかげさまで楽しく過ごすことができました」


 海辺の西側にある街の門へ向かうと、そこには見知った顔がありました。


「見送りに来たよ」


 そう言って手を振るのはファルさんです。それからカラットさんとウィルムさん、フレッド君に依頼をしていたお嬢様とその護衛もいます。


「わざわざありがとうございます」

「フレッド! もう、こんなに早く出ていっちゃうなんて……」


 お嬢様が駆け寄って来て、フレッド君の手を引きました。最後の挨拶をしたいのでしょう。文句を言いながらも楽しそうな雰囲気に、わたしは少し離れて様子を伺うことにしました。


「リルちゃん」


 と、すぐにカラットさんに声を掛けられます。


「忙しい滞在だったと思うけど、この街は楽しめたかな?」

「えぇ、とても。色々な魔法を使えましたから」

「ははは、やっぱりそれが一番か」

「良いなぁ、僕もリルちゃんと依頼を受けてみたかったよ。あぁそうだ! 次会うときはもっと凄い技術を教えてやるから、そのつもりでいてよ」

「ウィルムさん。勿論です、わたしも頑張りますからね。どちらがより相手を驚かせるか、競争ですよ?」


 わたし達はふふ、と笑って握手をしました。カラットさんが楽しそうに付け加えます。


「その時は良いお土産も頼んだよ。……フレッド君! 君も、リルちゃんが無茶しないよう見張っておいてね」

「あぁ。無茶を止めるのは無理だが、危険が無いようにはするつもりだ」

「……酷いです。わたし、旅に出てからは無茶なんてしていませんよね?」

「は? この街でも散々してただろうが」


 こちらに来て失礼なことを言うフレッド君に抗議してみるも、誰も聞き入れてはくれません。フレッド君と同じように、皆が溜め息をつきます。……そんなことを言われるような記憶は、これっぽっちも無かったのですけれど。


「……そうだ、リル。これをあげようと思ってたんだよ」


 ふと、ファルさんが思い出したように小瓶を差し出してきました。それを受け取り、蓋を開けてみます。微かに漂う香りに、バッと顔を上げてファルさんの表情を確認し、すぐに蓋を閉めました。


「これって……!」

「いつか使うかもしれないだろう? 持っておくと良いよ」


 彼はそう言って片目を瞑り、そしてちらっとフレッド君の方を見ました。その視線に気づいたフレッド君が「何を貰ったんだ?」と聞いてきたので、慌てて小瓶を後ろ手に隠します。


「な、何でもありません! 薬剤師の営業秘密です!」

「何でもないのに秘密って言ってるけどな。……ファルって言ったか? これ、変なものじゃないだろうな?」

「まさか。女の子には良い物しかあげないよ」


 あれ……? 二人とも穏やかな表情なのに、何故か睨み合っているように見えます。不思議に思い首を傾げていると、フレッド君が溜め息をつきました。


「……まぁ良い。リル、もう行くぞ」

「そうですね。では皆さん、今日は見送りに来てくださってありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をして、既に後ろを向いているフレッド君の横に並びました。今度こそ門へ向かいます。




「良い街でしたね」

「変なやつもいたけどな」

「ふふ、そうですね」


 ニースケルトの街を出たわたし達は、海沿いの街道を西に進んでいました。少し暑いですが、時折、風に乗って聞こえてくる波の音が心地良く感じられます。


「にしても、珍しかったな」

「何がですか?」

「宝石商のところの見習いと、再会を約束してただろ。ああいうのは初めてのはずだ」


 よく気がつきましたね……。確かに、誰かと再会しようという話をしたことは今までありませんでした。わからない未来を約束することが、何となく嫌だったのです。


「そうですね。……彼とはどんな形であれ、また会えるのではないかなと思ったのです」

「それだけ優秀だったということか」

「それもありますが、彼は魔法に対してとても真摯でしたから。わたし自身のことをあまり気にしないところが、というのが大きいですね」

「確かにそれは、逸材だな」

「そうでしょう? ……勿論、この旅が第一優先ですから、実際のところはわかりませんけれど。わたしだって、フレッド君との旅も結構気に入っているのですよ?」


 そこで一瞬、フレッド君は足を止めました。すぐに何事もなかったかのように動き出したので、わたしも何も聞かずに並びます。


 遠くに、海に迫り出す崖が見えました。しばらくは平坦な道が続くでしょうが、だんだんと岩が増えて歩きにくくなるはずです。今の内に、歩き続ける感覚を取り戻しておこうと決めました。

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