第640話 戦いは始まる前に勝敗が決まる

 30代前半で、爽やかな雰囲気の男。

 メガネをかけていて、優しそうな顔だ。


 早朝には、学校や職場へ向かう人々。

 日の出が早くなったものの、誰もが自宅を出るのを面倒がる。


 高級住宅地の道を歩いているため、都内の朝とは思えない静けさ。

 車道を兼ねていることで、たまにピリピリした雰囲気の車が通っていく。


 犬の散歩をしている主婦が、挨拶をしてくる。


「おはようございます」


 笑顔の男は、すぐに応じる。


「おはようございます」


 耳に心地よい、イケボだ。



 寝坊したのか、制服を着た女子高生が走ってくるも、見慣れぬ男を見たことで、思わず立ち止まった。


 視線を感じた男が微笑んだら、女子は真っ赤になるも、相手の顔をジッと見つめたまま。


「おはよう。急がなくて、いいのかな?」


「あ、はい! お、おはようございまにゅ! ……し、失礼します!!」


 噛んだ。


 その恥ずかしさもあって、女子高生は凄い勢いで、走り出した。




 彼は、とある日本家屋の前で、立ち止まった。

 高い塀に囲まれていて、中の様子は見えない。


 “那須なす


 表札を確認した男は、インターホンに手を伸ばした。


『……はい、那須です。どちら様……ああ、九条くじょうさんですか! 先生にお話は――』

「その声は、成瀬なるせくんか? 今日は、アポなしだ。無理なら、日を改めるよ」


 千陣せんじん流の十家の1つ、九条家の次期当主にして、隊長を務めている、九条和眞かずま


 彼の返事に、成瀬と呼ばれた男が応じる。


『とにかく、中へお入りください! 先生には、すぐお伺いしますので!』


「手数をかけるが、お願いするよ」



 若い男が敷地内の詰所つめしょから出てきて、正門の前にいる和眞を招き入れた。


「ああ、これも頼む。先生にはコレで、こちらは皆でどうぞ……」


 出迎えの男は、まるで上官を相手にするかのように、バッとお辞儀をした。


「いつも、ありがとうございます! 受領いたします!」


 お歳暮で選ぶような、和菓子の詰め合わせが2箱。


 両手で受け取った男は、相手を気遣いながら、玄関に案内した。



 ガラガラと引き戸を開ければ、板張りの上で正座をしている男たち。


 一斉に頭を下げて、挨拶をする。


「「「おはようございます。九条隊長!」」」


 笑顔のままで、和眞は返事をする。


「おはよう! 皆も元気そうで、何よりだ……」



 奥から摺り足で近づいてきた男が、スッと正座をした。


 頭を下げた後で、報告する。


「先生は、今からであれば、時間を取れると……」


「分かった。では、案内してくれ」




 1人で過ごすには広い、畳を敷き詰めた部屋。


 障子を開けているため、縁側から中庭が見える。



 上座に座っている、老いた男は、夏向けの和装だ。


 着物のような所作で座った、九条和眞を見る。


「君と会うのも、久しぶりだな……。用件は?」


「都内に出たついでに、先生の顔を見に来たんですよ。……それにしても、若い人が多いですね?」


 私服だが、軍人らしい行動。

 それも、実戦を前にしたような雰囲気だ。


 暗に、何かを始める気だろ? と言う、和眞。


 いっぽう、那須は、苦笑する。


「私では、どうにも抑えられない……。せめて、警察が『ネイブル・アーチャー』作戦の時に、四大流派へ謝罪してくれれば、良かったのだがな?」


「難しいでしょう。彼らも、ギリギリで回していますから。……いっそのこと、彼らを逮捕する警察でも、作りますか?」


 その毒舌を聞いた那須は、フッと笑った後で、用意された茶を飲む。


 中庭のほうを見ながら、独白する。


「死んでも、異能者には謝れんか……。九条くん。我々は魔法師マギクスと共に、国を守るため、戦った」



 外では、日差しが強くなってきた。


 気が早いセミも、鳴いている。



「ひどい戦場だった……。意気揚々と出征した近衛師団も、半分以下になった。新品の軍服が、血の色と臭いで染まってな? 私は、高校生ぐらいのマギクスが死ぬ場面を何度も見たよ」



 正座をしている和眞は、黙ったまま。


 過去を振り返った那須が、端的に問いかける。


「私は、許せんのだよ。あの犠牲を知らん連中が、異能者を弾圧しながらも、己の繁栄だけ享受していることが……。君らも異能者であれば、他人事ではあるまい? せめて、君だけでも、同志になってくれんか?」



 和眞の側にあるグラスで、溶けていく氷が動き、カランと音が鳴った。


 ふすまを隔てて、銃口で狙われているような殺気も……。



 顔を伏せていた和眞は、ゆっくりと上げた。


「先生……。あなたのお気持ちは、誰にも否定できないことです。しかし、千陣流は、動きません。良くも悪くも、公的な権力に関わらない。ただ怪異と共にあり、敵対する者を消すだけ。僕も、参戦するつもりはございません」


 分かっていたが、という表情で、那須は息を吐いた。


「そうか……。さしずめ、私との最後の会話か?」


「実は、もう1つ……お伝えしたいことが。室矢むろや重遠しげとおについて」



 ――彼にまつわる、真実を



 ◇ ◇ ◇



 夕暮れだ。

 中高生が帰宅する時間帯で、バラバラに歩いている彼らは、友人と喋っている。


「もうすぐ、USも参加する、MA(マニューバ・アーマー)の火力演習じゃん?」

「あー! そうだったな……。一般公開は、するのか?」


 スマホを弄っていた男子が、不機嫌そうに教える。


「関係者だけっぽい。何だ、つまんねーの!」


「動画が公開されるまで、待つか」

「DVDが出たら、絶対に買う……」



 ボッチ、部活帰り、恋人同士と、それぞれの事情がうかがえる。



 室矢重遠は、どこかの学ランを着たまま、時代に取り残された敷地を見る。


 手入れをされていないため、雑草が生い茂る一方で、目隠しとなる木々。

 軍と思われる、大きな建物の廃墟が並び、巨大なパラボラアンテナも。


 アパートのような兵舎や、航空機も入るほどの倉庫……らしき廃墟。


 敷地は周りの住宅地と隣接していて、そちらに面した窓のスペースにだけ、板が打ちつけられている。



「おっとっと……」


 警備員らしき男が、ジロリと見てきた。


 どうやら、警備会社の見回りのようだ。



 慌てて、別の方向へ立ち去りつつ、通りのコンビニへ入る。


「ついでに、あの中の連中も掃除してくれると、手間がないんだけど……」


 その独白は、学生だらけで騒がしい店内で、すぐに消えた。




 ――日暮れ


 周辺の灯りは、基地跡の敷地内には届かない。


 四方からの光で照らされるのは、ボロボロになった外壁のみ。



 警備員は決して敷地に入ろうとせず、強張った顔のまま、早足で外周を歩いた後で、そのまま帰る。


 中に潜んでいる兵士たちも、気づいた警備員を始末してからは、慎重に動く。


 見張りを兼ねたスナイパーは、スコープ越しに、彼の帰社を見守った。

 小さく息を吐いた後で、ライフルの安全装置をかける。



 暗がりで座り込んでいる彼らは、母国語と思われる言葉で、ひそひそと話している。


「帰ったぞ? あいつらは、もう入ってこないようだ」

「それでいい。例の決行日まで、あと少し。……冷たい缶詰とも、オサラバだ」


 開けられた軍用レーションには、外国語の文字。


 近くの店で調達したのか、常温で日持ちする食料が並ぶ。


 氷砂糖が入っている乾パンは、連食にも耐えうる。

 その他に、クッキー、煎餅せんべいと、ペットボトルの群れ。


 彼らの好物なのか、袋に入った揚げパン、惣菜のマッシュポテト、ソーセージに、ビールの缶も。


 米を使った料理はなく、パン……特に、ライ麦パンを主食としているようだ。



 近くに置いている小銃は、シベリア共同体のモデル。

 その雰囲気から、手練れと分かる。



「ヴィリニュスに、帰りたい……」

「言うな……」


 座り込んでいる彼らは、廃墟の建物と同じく、時代に取り残された感じだ。


「このまま帰っても、俺たちの居場所はない……。だから、これまで傭兵に身をやつし、点々としてきた。ここで活躍して、近衛師団とやらに恩を売れば、その支援をもって、必ずや母国の目を覚まさせることが――」


 小隊長らしき人物が演説をした後で、部隊の合言葉を唱和する。


「「「我々に、明日の森の恵みを!」」」



 

 学ランを着ている男子、室矢重遠は、基地跡から少し離れた建物の屋上で、伏せていた。


 スナイパー用の光学機器を使わず、自身の式神の権能を使い、その敷地ごと把握する。


「異能者による特殊部隊の出身……。時代の変化についていけず、そのまま戦場を渡り歩いた口か」



 カレナの権能によれば、彼らは近衛師団に協力して、この都心部で動く兵士たちだ。


 MA部隊による東京侵攻は、言わばおとり


 本命は、近衛師団と共に動く。



「つまり、最初から都内に潜伏していないと、間に合わない。それも、秘密裏に……」


 近くに置いていた、黒の『AS特殊消音モデル』を手に取る。


 バナナ型の弾倉と、トリガーを引くためのグリップ。

 折り畳み式のストックは、伸ばされている。


 銃身になっている、細長い筒は、サプレッサー。


 2ヶ所の金具で、スリングをつけている。

 落下しないように肩掛けした姿は、銃オタクの男子そのもの。


 この小銃は、マギクス用のバレだ。

 玩具おもちゃのような形状で、学生服と相まって、サバゲー感が強い。


 前に、沙雪さゆき小森田こもりだ衿香えりかの奪還で使っていた、シベきょうの特殊部隊向け、AS-17。

 その親戚にあたる。



「対局で勝つため、相手の駒を減らす……」


 そうつぶやいた重遠は、右足のレッグホルスターや、腰の後ろのナイフのさやを気にしつつ、特殊部隊用のグローブの感触を確かめてから、消えた。




 基地跡の廃墟で立哨している兵士は、肩に回したスリングで小銃の重さを軽減しつつ、周囲を見ていた。


 今は、相方が席を外しているため、両手で小銃を持つ。


 すると、地面から重遠の両手が生えてきて、彼の足首をつかみ、そのまま全身を使い、下へ引きずり込んだ。


 氷が割れて水中へ落ちたような感覚に、兵士は混乱するも、周囲は真っ暗でどこかも不明。


 小銃の安全装置を外して、敵の姿を探すも――



 その前に、身体の中央に強い衝撃を受けて、意識を失った。



 向き合ったまま、相手の銃口を外した重遠は、右手で腰の後ろからナイフを抜き、縦に3回ほど突き刺した。


 相手が脱力して、力尽きたことを確認した後で、ナイフを仕舞う。


 今度は、小銃のバレを両手で握った。




 暗闇でトイレから戻ってきた兵士は、姿が見えない相方を探す。


Артемアルチョム, гдеグヂェー тыティ?(アルチョム、どこだ?)」


 パスパスパスと、くぐもった発射音によって、その兵士は声もなく、膝をつき、地面に倒れ伏す。


 棒立ちのため、胸部と頭を撃ち抜かれた。

 持っていた小銃が地面に当たり、ガシャンと音を立てる。


 空気弾だが、異能者をあっさりと貫通。



 伏せていた重遠は、筒のような銃口を前へ向けたままで、ゆっくりと立ち上がった。


 学ランは黒だが、夜間迷彩というには、少し目立つ服だ。

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