第142話 小森田衿香の初体験ー③

 小鬼は、右手に持っている脇差を振り回す。


 びていようが、刃こぼれで見るも無残むざんだろうが、刃物は刃物だ。

 明確な殺意を向けられれば、だいの男ですら怯む。


 ヒュオッ


 刀剣を振り回した時に生じる、独特の風切音。

 それは小森田こもりだ衿香えりかをさらに緊張させ、後ずさっていた足をもつれさせる。


「あっ!」


 ドタンッと尻もちをついた衿香の頭上に、振り上げられた脇差の刃が光った。

 反射的に横に転がって、からくも凶刃を避ける。


 刃と床がぶつかり、ギインッと火花が散った。


 衿香は小鬼の動きが止まった隙に立ち上がり、長い杖を再び構える。


 身体を駆け巡るアドレナリンのせいか、今度は前よりもスムーズに足が動き、突き出した長杖で振り回される脇差の刃を逸らしていく。


 小鬼の表情が変わり、こちらも慎重な動きになった。


 お互いに距離を取って、円を描くように動き出す。

 り足で相手の側面に回り込もうとするも、合わせ鏡のように対照的で、向き合ったままに。



「衿香! そっちから攻撃しないと、日が暮れちゃうよ?」



 退屈そうにしている沙雪さゆきが、叫んだ。


 その大声に、思わず後ろを向いた小鬼。

 衿香はその隙を逃さず、全身に霊力を込めて、一気に踏み込んだ。


 これは、杖だ。

 槍のように穂先がない以上、ただ突いても大きなダメージは望めない。

 上から叩きつけることが、最大の攻撃方法。



 衿香は両手で杖の端を持ち、自分の背中に向けて、背負う。

 霊力による強化を行い、全力で走りつつ、間合いを測る。


 最後に左足を前に踏み込んで半身になりつつも、後ろの爪先はバランスを取るため、外側へ斜め45°ぐらいに開いた。

 下半身を固定したら、後ろから前への重心移動に合わせて、杖を振り上げていく。

 走ってきた勢いで、立ったまま滑る。


 最終的には、小鬼の正面を向く形で、後足の爪先も同じ方向へ。

 

 突進、遠心力、さらに腰のひねり。

 全ての運動エネルギーが、長杖の先端に集まることに。


「タアアアアァ!」


 衿香を中心に、長杖が天井を突かんばかりに半円を描き、その先の小鬼へ吸い込まれていく。


 ドゴゴンッ


 隙だらけで時間のかかる大技だが、それだけに当たれば必殺だ。

 小鬼が低身長とあって、ちょうど頭部に当たった。

 頭蓋ずがいを半分ほど凹ませ、勢い余って右肩も砕く。


 長杖の先端を床につけた衿香は、手から伝わってきた骨を砕く感触に顔をしかめた。


 荒い息で、身体が求めるままに新しい空気をむさぼる。



「やった……。やったよ、ユキちゃん! 私――」

「まだ終わっていないよ?」


 やり遂げた顔で宣言する衿香に対して、沙雪はすぐに否定する。

 

 薄い青色の髪をした少女が指差した方向を見たら、瀕死の小鬼が立ち上がっていた。


 ヨタヨタと歩くものの、どこを見ているのかも不明で、再びドタンッと倒れる。



「トドメを刺して、衿香!」


「え? で、でも、もう……」


 すでに戦う力をなくしていると言いたかった衿香は、沙雪の冷ややかな目に黙り込む。


 暗めの灰色の瞳に気を取られていた衿香は、周囲の警戒を忘れた。


「キャッ!?」


 完全に油断していた衿香は、足にまとわりついた小鬼がグイッと引っ張ったことで床に倒された。


 長杖も手放してしまい、仰向けの体勢に。


『ウヒヒヒィ!』


 瀕死とは思えない動きで起き上がった小鬼は、喜びの声を出しながら、衿香にまたがる。


「え? エエエエエエエ!?」


 目の前でそそり立つ物体に、衿香は大きな悲鳴を上げた。


 物心つかない頃に父親のものを見たかどうかの処女の眼前で、モザイクのない卑猥物がある。

 心なしか、小鬼の頭にある角も膨らんでいた。



「あ、言い忘れていたけど……。そいつ、女を襲うから! もちろん、性的に」



「それは、早く言ってよオオオォ!」


 暢気のんきに説明する沙雪に、衿香は絶叫した。


 完全にマウントポジションを取られてしまい、必死に抵抗するも効果が薄い。

 服の上からこすりつけられる部分に対して強烈な嫌悪感を催すことで、余計に焦ってしまう。



 お互いに素人であれば、どちらかが相手に馬乗りになった時点で勝敗が決する。

 なぜなら、地面に押さえ込まれているほうはろくに動けず、ガードも許されず、硬い地面で最大のダメージを食らうからだ。


 総合格闘技であれば、この状態からの脱出を必ず教えている。

 なるべく地面との接地面積を小さくしながら、足の裏で床を蹴ってポジションを変えていく『エビ』など、合理的な動きで抜け出す。



「んうううっ。こ、の……。ユキちゃん、手伝って!」



 膠着こうちゃく状態に陥ったことで、衿香は助けを求めた。

 しかし、沙雪は動こうとせず、立ったまま。


 自分の貞操が風前の灯火ともしびになった衿香は、生まれて初めての恐怖に襲われていた。

 床で仰向けにされたまま、自分の上に跨っている小鬼の両手を必死に掴んで、押しとどめる。


「ねえ! 助けて、ユキちゃん!! 意地悪しないでよお!」


 泣きながら絶叫した衿香に対して、沙雪はようやく返事をする。



鎧通よろいどおし」



 ハッとした衿香は、自分の右手から小鬼の左手を振り払い、自分の右腰に手を伸ばす。


 さやが前を向いている短刀のつかを上に向け、つばのないこしらえである鎧通しを逆手で引き抜いた。



 鎧通しは、右手で抜くように作られているうえに刃長はちょう20cm前後と、片手で使いやすい形状だ。

 刃が短い理由は、逆手で使いやすいよう、肘までの長さに留めているから。


 よく逆手で持つメリットが議論されているものの、密着した状態で刺すのに有利だ。

 たとえば、アイスピックで氷を砕く時には、誰でも逆手にする。


 組打ちでは、自分の腕を伸ばすことすら許されず、腕を畳んだままで押し合いをする場面も多い。

 順手に比べて手首を動かしにくいからこそ、力を入れやすく、相手の攻撃をさばくことにも適している。

 


 衿香が自分の胸を揉んでいた小鬼の左手を刺すと、奴はその痛みで上体を後ろに逸らした。

 小鬼の腰が大きく浮きあがったことで、床に押し倒された状態から抜け出す好機に。


 余裕を取り戻した衿香は、ようやく霊力を使うことを思い出した。

 自分の上体に引きつけた両足を一気に伸ばすことで、小鬼を蹴り飛ばす。


 空中から仰向けに叩きつけられた小鬼は、低いうめき声を上げた。


 今度は、起き上がった衿香が小鬼にのしかかり、右手による逆手で握ったまま、左手で柄頭つかがしらを覆った、いわゆる両手持ちで振りかぶり、上からハンマーのように突き刺す。


『グギャッ!!』


 刺すたびに小鬼が悲鳴を上げるも、衿香は攻撃を止めない。

 何度も、何度も、やたらめったらに攻撃を続ける。



 ガシッ



 近づいてきた沙雪に腕を掴まれ、静かに言われる。


「……そいつは、もう死んでいる。お疲れさま、衿香」


「え?」


 間抜けな声を上げた衿香は、ようやく我に返った。


 全身が血塗ちまみれで、倒れた小鬼の上に跨ったままの自分。

 その両手には同じく血肉に塗れた鎧通しが握られ、敵の死体は穴だらけ。


 ハアッハアッと、思い出したように呼吸をする。



 カラン



「これ……。わ、私が、やったの?」


 鎧通しを床に落とした衿香の問いかけに、沙雪はうなずいた。


 ふらふらと立ち上がった衿香は、ぶつぶつと言う。


「私、が……。う、うぷっ!」


 両手で口を押さえた衿香は、たまらずに吐いた。


「無理せずに、出せるだけ出したほうがいい! 下手に我慢すると、のどに詰まらせ、窒息してしまうから」


 沙雪の声を聞きながら、衿香はひたすらに床のほうを向く。


 ごそごそとバッグを漁った沙雪は、衿香にペットボトルと携帯用のウェットティッシュを開封したあとに差し出す。


「はい! これで両手を洗って、次に手を拭いて殺菌。それから、口をゆすいで……。最初は飲まずに、必ず吐き出してね? 胃液は歯を溶かすから、その水を使い切るぐらいの勢いで洗い流すように! あとの掃除は別のスタッフが行うから、気にしないで」


 言われた通りに、最低限の身嗜みだしなみを整える沙雪。


「今日は帰ろうか? 忘れ物がないように、確認して……。ここからの警戒と退治は、全てあたしがやる!」


 沙雪の提案に、衿香は無言で頷いた。




「大丈夫! ここは訓練施設だから、業務用のレベルで洗浄できるよ……。服一式も、ここのサービスで処分してもらったほうがいい。家庭用のゴミで出した日には、通報されかねないし……」


 前を歩きながら、長杖の端を肩にのせた沙雪は、まるで下校中のような雰囲気でしゃべった。


 次の瞬間に、前方へ移動した。

 左半身のまま突き出した長杖の先端で、小鬼が上段から振り下ろしてきた刃を受け止める。

 ……のではなく、すり抜けつつ、上から叩く。


 カアアンと音が鳴り響き、小鬼は刀を握ったまま、前につんのめる。


 沙雪は右半身に切り替えて、逆側の先端をすぐに突き出しつつ、刀のみねを叩いた反動を利用した勢いのまま、左足で踏み込む。


 ボゴオッと凄まじい音を響かせ、小鬼の頭が弾けた。



 沙雪は振り向きつつ、全身を使った投擲とうてき


 一筋の光が通りすぎ、衿香の横で一陣の風を巻き起こした。


『アギャッ!?』


 こっそりと衿香の背後に忍び寄ろうとしていた小鬼に、長杖が槍のように突き刺さった。


 同じく一瞬で距離を詰めた沙雪は、刺さっている長杖を引き抜き、まるでビリヤードのように淡々と小鬼の頭を潰す。



 これまでの癒し系の雰囲気とは真逆で、古武術の達人のような戦いぶりに、衿香は目を丸くした。

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