第1部 第30話 奏の本心

「はい、そこまで!筆記用具を置いて、解答用紙を後ろから送ってください。」


 沙希にとって2度目の定期試験、1学期の期末試験が終わった。

 相変わらずの高難易度の試験に、周囲から、絶望の声が聞こえてくる。


「あ~。終わったわ。2つの意味で。試験も終わったけど、俺の楽しい学生ライフも終了だこれは。来月からのこづかい絶望だ。」

「お前の学生ライフはそもそもそんなに楽しくねえだろ。始まってもないものは終われないぞ。」

「配点が1問50点の文章題があるって、いくらなんでも数学Ⅰ、おかしくない?」


(うう~。相変わらず数学難しい…平均点は無理として、なんとか赤点だけでも回避できてればいいんだけど…)

 奈津美の指導で入学当初よりはいくばくか、学力は向上しているはずだが、相変わらず沙希は数学で苦しんでいた。


(でも、今日で期末試験終わりだし。久しぶりに楽器に触れる!)

 沙希が10日ぶりに音楽室に向かうと、既に3年生は揃って楽譜の山を眺めていた。


「こんにちは~。」

「あら沙希ちゃんいらっしゃい。期末試験、おつかれさま。」

 奏は相変わらず余裕の笑みだ。まあ、以前から奏が試験の出来が悪そうで落ち込んでいるところを見たことがないところからすると今回の期末試験も余裕だったのだろう。頭の出来が良くてうらやましいな…と一瞬思いかけたが、同じようなことを中学生の時に優美に対して考えていたことを思い出し、準備不足を改めて自戒した。


「みなさん、試験終わったからさっそく楽器吹いてるのかと思ったら、楽譜並べてどうしたんですか?」


「そろそろ、アンサンブルコンテストでる曲、決めないとなって話してたんだよ。」

 埃をかぶった楽譜にフッと息を吹きかけながら千晶が言う。


「夏のコンクールに出られない私たちにとって、唯一のアドバンテージといったら、アンサンブルコンテストの曲を一足先に決めて、ゆっくり練習できることくらいですから。」

 睦はアンサンブルの楽譜を、楽器の編成別に分けている。もちろん、沙希たちが演奏できるのは金管5重奏の楽譜だけ。

 選択肢がそれほど多いわけではないが、どの曲を選ぶか、というのはコンテストにおいては大きな要素の一つだ。


 出場するメンバーの力量に合っていることはもちろん、できれば「演奏効果」が高い方がいい。

 演奏効果というのは、要は「聞き映え」がするかどうか、ということだ。


 アンサンブルコンテストは出場する団体ごとに編成が違うため、審査員が審査するのもとても難しい。

 サックスアンサンブル、フルートアンサンブルなど、同じ発音原理の楽器だけで編成されているアンサンブルはやはり音が揃っており、一体感が強く感じられるが、発音原理の違う楽器が集まるアンサンブルは逆に、ブレンドされた音が生み出されるため、音の組み合わせの妙を生み出すことができる。それらを、同じ評価基準で審査するのだ。


 審査員といえども全ての編成の専門家、ということはありえないので、演奏する方も、自分たちの演奏がより曲を選曲したい。

かといって、これまでさんざん演奏されてきた定番曲だと、これまでの名演奏と比較されてしまう。

 さらに、これから長い期間、一曲をずっと練習するのだ。途中で飽きてしまってはモチベーションが保てない。


 程よく難しく、程よく演奏しやすく、程よく映える。

「…ある意味、演奏することよりよっぽど難しいかもね。選曲。」

 山積みされた楽譜のスコアを取り出して眺めていた奏がため息をつく。

「うー。吹くんじゃなくて楽譜見るばっかりなんて、もう、つまんないじぇ。いっそのこと、沙希ちゃんに決めてもらう?」

 既に選曲に飽きてしまったみうが突拍子もないことを言い出した。

「えええ!わたし、アンサンブルの曲なんて知らない…というより、吹奏楽の曲すらほとんど知らないんですけど…」

 みうの無茶振りに、沙希は救いを求める視線を奏に送ったが、

「うん。いいかも。」

と、まさかの同調をされた。


「先輩たち、次が最後のアンサンブルコンテストなのに、私に任せちゃっていいんですか?」

 沙希以外の4人は3年生。高校生最後のアンサンブルコンテストであると同時に、沙希と一緒にコンテストに出られる最初で最後の機会だ。


「逆にいいかなって。」

 奏は視線を窓の外に向けたまま、達観した様子で話す。

「逆というと?」

 沙希に聞かれると、奏は沙希の方を向きなおして、改まった様子で話し出した。

「私たちって、この人数でやってきたからさ、アンサンブルの曲やアンサンブルコンテストには詳しいんだけど、その頭で選曲すると、どうしてもを選びたくなっちゃうのよね。」


 持っていたスコアを机に置くと、奏は再び視線を窓にやり、風に揺れるグラウンドのクスノキの葉を見下ろしながら続けた。

「確かに、コンクールやアンサンブルコンテストで上位の大会を目指すことは、目標としてはいい。結果が出ることだし、モチベーションにもつながる。何より…」

 4人の方を向きなおすと、奏は

「みんなと音楽できるもんね。次があれば。」

「次…」

 その言葉を聞いて、3年生の残り3人は、今までなるべく考えないようにしてきた事実を言葉にされて、お互いの顔を見合わせた。


「私たち、アンサンブルコンテストが終わったら引退だからね。ウチの高校、一応進学校だし。冬のアンサンブルコンテストに出るのを許してもらえてるだけでもありがたいくらいなんだけど。」

そこまではいつもの、余裕に満ち溢れた淡々とした口調だった奏が、

「だけど」

と言った瞬間、急に口調を暗くする。


「私は、みんなと離れたくない。それは無理だってわかっていても、離れたくない。どうして?こんなに私たち大切な仲間なのに、時間が過ぎた、それだけでばらばらにならないといけないの?」

 普段の奏の口からは決して漏れてこない本音が思わず出てきて、本人もうろたえてしまったのか、奏は慌てていつもの飄々とした口調に戻った。

「ま、そういうわけなんで、あんまりと、結局後悔しちゃうと思うんだよね。だってさ、それって、このメンバーのカラーとか、良さとか、やりたい曲かどうかとか、そういうのと関係ないじゃん?この5人で、同じ制服で最後に演奏する曲なんだよ?それが『勝ちを狙った曲』じゃあ寂しすぎるわよ。一番やりたかった曲を、『勝てないかもしれないから』で諦めたら、一生後悔するんじゃないかなって。」


「カナ…」

「奏せんぱい…」

 奏の思いを聞いて、みうと沙希は涙ぐんだ。

「おお!沙希ちゃんまた泣いちゃったじぇ。もう泣かないんじゃなかったのか?」

 別れの時が近づいていることを思い知らされ、らしくない表情をしていたみうは、ここぞとばかり沙希をダシにしてごまかした。

「今は合奏中じゃないのでノーカンです。でも、いいんですか?本当に私が曲決めても?」

 そういうと、奏は珍しく、普段は奥底にしまっている、高校生らしい素直な表情で沙希を見つめた。

「沙希ちゃん。今だけは、真剣に言わせてもらうわ。この話終わったら忘れて。」


「私は、いや、私だけじゃない、睦も、千晶も、みうも、沙希ちゃんにはものすごく感謝してる。うちの高校の吹奏楽部が4人になって、しかも、ラッパ2本とトロンボーンとテューバっていういびつな編成になって、私たちには曲の選択肢がほとんどなくなった。そこにあなたが来てくれたのよ。ホルンに選ばれたあなたが。そして、今のあなたは誰よりも真剣にホルンに向き合って成長してきた。」

「中途半端に吹ける経験者が入ってくるより、真剣でひたむきな沙希ちゃんが来てくれたことが、どれだけありがたかったか。私たち4人は、ちょっと楽器が吹けるようになったことで忘れかけてた『音楽は誰かに自分の気持ちを伝えるためのものだ』ってことを、あなたの毎日の練習で思い出させてもらった。だから、あなたの選ぶ曲を、私たち3年生へのプレゼントにしてもらおうかなって。睦、千晶、みう、どうかな?」


「もちろんいいぜ!沙希は中国大会で親友に今の沙希を見せてやらないといけないんだもんな?じゃあ、沙希の想いが存分にこもった選曲するといいんじゃないか?今の沙希が県大会を突破できるとしたら、想いを表現する、そこの一点突破しかないだろ?」

「決まりね。うちの部室にある金管5重奏の楽譜から選んでもいいし、一曲だから買ってもいいわ。今はネットで簡単に楽譜が探せるから、来週あたりをメドに決めておいてちょうだい。」

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