第34話 銀幕の裏側で⑥<SIDE: ヴァーユ>
「またお前さんか。何度頼まれても一般見学用の部屋以外での撮影はダメだって言ったろ」
ジュースを片手に、両足は机に乗っけて寛ぐコアラの管理委員が目も合わせず言った。声はぶっきらぼうだが、それは嫌悪や威圧を与えたいがためのものではなく、いつも出している音のようだった。
ヴァーユとシエルは、バイジンに連れられ、遺失物保管庫に来ていた。といっても、メドウが車を取りに行った第一保管庫とはまた別、離れたところにある第二保管庫という棟だった。
外から見上げると、それは青い塗装が目立つ四角い形をした建物だった。建物の中央部からは大きな円柱が突き出している。屋根は一面ガラス張りで側面の天窓から中の様子が少しだけ見えるようだった。
保管庫は、この街の中でもひときわ大きな存在感を放っている。鉄筋コンクリートで作られた建物は、拳でこんこんと突いてもびくともしない。ヴァーユが今までに見た図書館やら病院やらといった建物と比較しても引けを取らない堅牢さだった。
建物に入る時、何気なくスクリーンを見ると、テロリストの一団がビルに押し入ってくる様子が騒がしいBGMと共に映し出されていた。どうやら物語は佳境に突入しているようだった。見覚えのある顔をした主演俳優の緊迫した表情が画面いっぱいに広がっている。
中に入ると、まずはロビーが出迎えてくれる。ここの利用客と思しき者は一般通用口から更に奥に進んでいき、身分証を首から下げた事務員らしき者は「関係者以外立ち入り禁止」という文字が仰々しく貼り付けられた扉の向こうへと消えていったりしている。
ロビー中央には、輪っかの形をしたテーブルがあった。そこに腰掛けていたのが、勤務中とは思えないくらい崩した格好のコアラの職員だった。
「カメラは持ってるけど、そのぐらい弁えてるよ。今日はこの子と物々交換しにきたの」
バイジンがパーカーのポケットに空けた小さな穴からカメラを覗かせる。いつインスピレーションが訪れるかわからないから、という理由でいつもそこにカメラを忍ばせているのだという。それから彼女はポケットから手を取り出し、掌をヴァーユに向けてひらひらと揺らめかせる。
コアラはようやく雑誌から顔を上げて、ヴァーユとシエルを一瞥した。
「見ない顔だな。新入りの撮影スタッフかい?」
「俺たち、ただの、観光客」
コアラの物珍しげな視線を、ヴァーユは声を低くして振り解こうとする。
シエルは慌てて「ワタクシは管理委員ですよ」と付け加えた。
「へぇ、俺の知らないうちに管理委員の業務に子供のお守りでも加わったか」
コアラは小さな同僚に皮肉めいた一言を告げてから、バイジンにカードキーを放り投げた。
「物々交換って、欲しい物は奥の部屋の棚だよな? 欲しいもの見つけたらここへ持ってきな」
「うん! 対価はいつものツケでね」
途端にコアラが眉を歪めた。ツケとやらの内容に不満があるらしい。
「おいおい、そりゃないぜ」
コアラに顔を近づかせバイジンは耳打ちした。
「いいの? 言いふらしちゃうよ、秘密の部屋のこと」
「うぐぐ」と喘ぎ、皿からつまみ上げたドーナツをひとつ口に放り、もうひとつをバイジンに差し出した。
「ほら、お前にもご馳走してやるから」
「いいよ。私は家で散々食べられるもん」
どうやら観念したらしく、不満顔をごくりと唾と一緒に飲み込み、その次の瞬間には真顔になった。
「わかったよ。いつものツケでってことにしとく。まったく今日は災難続きだ」
「何かあったの?」
「さっきコレクターが押しかけてきてよ、長時間粘られたんだ。向こうの世界の紙幣を出すから沢山くれってこっちの話も聞かずにゴリ押してきやがった。あの種類の紙幣はもうここじゃ在庫十分だっての。追い返すのに骨が折れた。これから換気設備の点検が来るからその応対もせにゃならんってのに」
「そりゃ災難だね」
「ああ、今も災難だがな。もう災難はこりごりだ。とっとと目的の物取ったら帰ってくれ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
保管庫という言葉を聞いて連想されるのは、棚が整然と並び、その棚の段にも落とし物が整然と並んでいる光景だ。落とし物は、風も光も通りの悪い場所で、誰かが回収しにくるか、あるいは期限を過ぎるまでつまんなそうに待機させられる。実際に見たことはないけれど、ドラマや映画に出てくる保管庫とはえてしてそのイメージから逸脱することがない。逸脱するとしても、人はそれに保管庫などという硬い名前は付けないのだ。
けれども、この遺失物保管庫はその定説を覆すような場所だった。
ロビーから廊下を通って中央保管室という場所にたどり着くと、そこは円形の吹き抜け構造になっていた。ヴァーユ達のいる1階からは、地下1階の広間を見下ろすことができた。そのまた逆に、見上げてみると円形の壁に沿って床の備え付けられた2階がある。そのもっと奥、つまりもっと上空には、外からも見えたガラス張りの一面の天窓がこの空間に蓋をしている。
上にも下にも、沢山の利用客が行き交っていて、壁一面を埋め尽くす茶色い棚の中に丁寧に置かれた遺失物を見て回っている。フォークやスプーンといった小物に至るまで、ひとつの格納スペースをあてがわれていて、見ているうちにヴァーユも自然とため息を漏らした。
「保管庫ってより図書館みたいだ。」
ヴァーユは足元から伝うスカーレットのカーペットの柔らかい感触や、棚の材料の木から漂う落ち着いた匂いを味わいながら、自分が今までに通った図書館を思い出していた。
「言い得て妙ですね。ここは、向こうの世界からやってきた遺失物という名の知を蓄積する場所とも言えますから」
ヴァーユの耳元でひそひそと囁くシエルの声も、この静かで広い吹き抜けには少々大袈裟に響くようだった。
「管理委員は拾ったものをここへ集めるの?」
「ええ。生活に役立ちそうな物や資料的価値の高い物は、ワタクシ達委員が拾得して各地にある遺失物保管庫にて管理します。そして、ここから民間の方々に配分したり、取引したりするのです。あとは……」
「2人とも、こっちこっち」
バイジンに促されて更に奥の廊下へと歩いていく。吹き抜けの大部屋よりも奥には、もっと高価であったり、珍しい物が保管されているらしい。
廊下の出入り口には、「見学コース」と書かれた立て看板が置いてあった。廊下を行くと、左右には部屋があり、中の様子がガラス越しによく見える。「仕分け部屋」では、沢山の動物がベルトコンベアから流れてくる物品を色の異なる籠に仕分入れているようだった。
また奥へ行くと、「検査室」という表札が掲げられた部屋があった。白衣を身に纏ったトラの職員が、アヒルの玩具をピンセットで慎重に持ち上げて、ルーペを装着した片目で真剣に見つめている。その部屋では他にも何人もの白衣姿の職員が物を観察してはコンピュータを操作していた。
反対側の部屋では液体類の検査をしているようだった。ペッドボトルに酒瓶、アルミ缶、一斗缶、ドラム缶、ラムネ瓶、ワイングラスといった膨大な数の容器が置かれていた。職員がそれらを順番にピックアップして、中央に置かれた検査装置にセットしている。丁度可燃性の液体を検査したところ、装置のランプが赤く発光して、取り扱い注意を知らせる音声が流れた。
「あとは、このように遺失物を調査・研究して、向こうの世界の技術や文化をこちらの世界に取り入れる役目もあるのです」
「あの白衣を着ている人達も管理委員なの?」
「いえ、あれはツァイトライゼの方々でございます」
「
「遺失物管理委員とは別組織の研究機関です。高い科学技術を活かして、危険物の検査はもちろん、遺失物の複製、改良、新種の製品開発に至るまでお手のものです。彼らなくしてこんにちのハートバースの発展はありえません」
シエルは解説しながら、しきりに感心したように頷く。ガラスの向こうで今もせっせと働く白衣の職員を尊敬しているようだ。
「ヴァーユ……ツァイトライゼを知らないの? ほら、この街の巨大スクリーンだって、ツァイトライゼの研究者が作ったんだよ」
バイジンが黒い斑点模様に覆われた目をパチパチと瞬きさせる。その反応を見て、ツァイトライゼとはこの世界では常識も常識の、科学権威を有する機関なのだと実感した。
「見学コース」を抜けると、棚が迷路のように並んだ部屋に辿り着いた。随所に現在地を示したマップが掲示されているが、これがなければ確実に迷子になるだろうというぐらい、同じ景色の連続だった。
「ねえ、さっきロビーで喋ってた秘密の部屋ってなんのこと?」
「聞こえてたんだ。あれはねえ、あの委員さんが勝手に私物化してるスペースのこと」
そう言うと、バイジンはとある棚の前で止まった。力を込めて棚を少しずらした。すると、扉の端が現れた。
「まさに秘密の部屋、でしょ?」
「こんな隠し部屋まで使って何してんだろう」
「お菓子作り」
「へ?」
「あの人、お菓子作りが趣味なんだよ。さっき食べてたドーナツも手作りだね。『生クリームをふんわり泡立てる方法を教えてくれ』とか『卵黄だけ使っちまって卵白だけ残った時はどうすればいいんだ』って相談持ちかけられたこともある」
バイジンは顔の骨格まで寄せて、あのコアラのモノマネを披露した。ヴァーユは吹き出しそうになるのを、顔を背けて辛うじて耐えた。
「職場で勤しむべきはそこじゃないだろ」
「ふふ、ごもっとも」
バイジンが苦笑いを浮かべた。けれども、それは冷笑や戸惑いというより、親しみ故の下手笑いに見えた。
「なぜあの隠し部屋のことをご存知なのですか?」
「私のとこが農場を営んでてさ。砂糖と小麦粉をこの街の取引先に届けるついでに、こっそり余剰分をいつも分けてあげてるってわけ。いつも裏口に届けてるんだけど、こんな大量の砂糖と小麦粉、どうやって家に運んでるんだろうって後をつけたら、まさかのここだったってわけ」
「ふむ、農場主ということはなかなか裕福なお家なのですね」
「まあねー」
そしてまた地図を見てはバイジンの言う目的地へと歩いていくと、やがて玩具が並んだ棚に辿り着いた。バイジンは棚から遺失物を取り出した。
手にしていたのは、真っ白な体毛を基調に、尻尾の先と胴体が燕尾服でも着ているように真っ黒に染まったオコジョの人形だった。ヴァーユはつい肩に乗っているシエルを目で確かめた。だが、シエルは変わらずそこに座っているのだ。シエルにそっくりの人形だった。
「なんだこれ」
「へへへ、どう? 欲しくなったでしょ」
近くにあった机の上にその人形を置いた。にまにまとした笑顔を振り撒きながら、バイジンはまるで販売員らしく、その人形の付属品の説明書を読み始めた。
「なになに……『対象年齢4歳以上。ジェントルアニマル人形シリーズ第三弾、紳士オコジョ・ジェームズ。表向きはお屋敷の執事を勤める紳士オコジョだが、その裏の顔は慇懃無礼な言葉遣いで敵を追い詰める不敵のギャンブラー。最近の悩みは、愛想を尽かされ家を出て行った奥さんと娘さんのことが忘れられず、夜な夜な枕を濡らすこと』だってさ」
バイジンとヴァーユの視線が一斉にシエルに向いた。
「そうだったんだ」
「そんなわけないじゃないですか! 空似ですよ!」
ヴァーユは叫び反論するシエルを両手で包んで、人形の横に置いた。見れば見るほどシエルと人形はそっくりだった。
「こんなに似ているもの同士が並んでるの見てると、変な気持ちになってくるね」
「変だ」
ヴァーユは、手帳にメモを取りながら呟いた。
「まるでシエルをモデルに作ったとかじゃないとここまで似ている理由が思い浮かばない。空似っていうのはちょっと無理がある気がする」
「ワタクシ、結婚はまだです!」
「そうじゃなくて……」
一定のリズムでペンのノックをカチカチと鳴らしてみる。目の前にある現象に説明をつけられないもどかしさだけが時間と共に増大していく。
出入り口の方で誰かが叫ぶ物音がした。それに続いて銃声が鳴った。銃声の後に金属音が響いた。どうやら何者かが威嚇射撃を発したらしい。
周囲にいた利用客がざわつき始めた。異状を察知した者から裏口に向かって走り出したらしく、人の波が生じ始めた。ヴァーユ達がその波に流され出した頃合い、しかし裏口と思われる方からも威嚇射撃の音が鳴った。
一方は吹き抜けがあるメインホールから、もう一方は裏口から、人混みが何かに押され、この区画の中央に追いやられつつあるようだった。
「ヴァーユ! こっち!」
それを察知したバイジンが、いち早く人混みからヴァーユの手を引いた。
流れから外れたヴァーユとバイジンは近くにあった棚の影に隠れた。人が最も集まっているところの様子を伺っていると、やがて裏口方向から2人、メインホールから2人ほど銃を構えた動物の姿が現れた。いずれも顔の形に合ったマスクを装着していて、素顔は見えない。
「騒ぐなっ! 撃たれたくなかったらメインホールに移動しろ!」
そして棚に置かれた熊のぬいぐるみを撃ち抜いた。ぬいぐるみの中に詰められた綿が、弾の裂け目から飛び出し、辺りに舞った。
悲鳴をあげることすらしなくなった利用客の一団は、恐る恐るメインホールに向かって歩を進めた。
様子を屈んで見ていたヴァーユとバイジンに、別の影が重なった。先に気配に気づいたのはヴァーユだった。しかし恐怖のあまり体が硬直し、振り向くことができなかった。
2人の肩を、その影の主はぎゅっと掴んだ。
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