第12話 和洋折衷コーデの青年

 黄色い怪獣を背にしたミナギ達は、そこから5分と経たずに目的地に到着した。だがミナギは最初、それが本当に目的地なのか目を疑った。


 森の中に見えたのは木造の建物だった。屋根からは煙突が突き出していて、そこから立ち昇る煙が、今も人の気配を周囲に伝え続けている。焦げ茶色の材木が積み上げられてできた建築物は、周囲の自然のまま突っ立っている林から仲間外れにされているかのようにポツンと浮いて見える。


 ドアの上には「Cafe Gulliver」と書かれた楕円形の看板が掲げられていた。入り口のドアの前には二つ折りの看板が立てかけられていて、そこにチョークで営業中と書かれている。ついでに本日のお勧めメニューは「スフレパンケーキ 天然木苺のジャム添え」らしい。払いの部分に至るまで丁寧に書かれている文字と適度にカラフルなイラストが、巧妙に購買意欲を掻き立てる。といっても、今は生憎の一文無しのわけだが。


 なかなか雰囲気のいい店舗だが、こんな辺鄙な場所に思いっきり人工の建物があるという事実もなかなかに不審だった。


 もっと不可解なのは、その建物の側面にタイヤが付いていることだ。立て掛けてあるとか、飾ってあるとかではなく、家屋の四隅が丸くくり抜かれていて、そこにすっぽりとタイヤが収納されている。車体が家という点を除けば、車とまるで同じである。建物ごと走ったりする姿を想像してみるが、あまりに突飛な想像だと思い直し、そういうデザインの建物なのだろうと結論づけた。


 ミナギはここまで引いてきた自転車を店の前に停めた。こんなところで駐禁のラベルをつける人はおるまいという考えながら。


 それからミナギは暖かい光が漏れた丸い窓付きのドアに向き合い、ドアノブを回した。


 中はこちらの期待を裏切らず、落ち着いた雰囲気のカフェだった。丸太で作ったと思しきテーブル席が3、4つ並んでいる。それそれの周囲には切り株から背もたれの木が生えたみたいなデザインのスツールがある。天井からぶら下がっている提灯が、店内を柔らかい光で満たしてくれている。和紙を透過して届いてくる光にコーヒーの残り香が加勢し、視覚と嗅覚の両面で来客の疲れを癒すーーそんな意図があるかは定かではないが、少なくともミナギはじゅうぶんに眠気を誘発されていた。


 テーブル席が並ぶその奥にカウンターが構えられていた。カウンターの向こう側に立っていた店員らしき男性がまずこちらに気づいて「ようこそ」と手短に挨拶をしてきた。


 店内の照明光をしっとりと吸い込む黒い肌に、白髪混じりのグレーの髪が真っ先に目に映る。「こんばんは」と挨拶をし返しながら眺めたその顔の下半分は綺麗に整えられたショートボックスの髭を蓄えていて、上半分はワインレッドの縁のメガネをかけていた。ロマンスグレーやらナイスミドルといった言葉を具現化したに等しい、壮年の男性だった。この森でヴァーユ以来に会う人間だったものだから、余計に注目してまじまじと見てしまっていた。


 その店員らしき男性とミナギの間で交わされた挨拶に反応して、バーカウンターに座っていた小さな体の獣がびっくりしたようにこちらに振り返った。他の誰でもない、白と黒で出来た燕尾服模様が特徴の、かのシエルだった。


「ミナギ様! ヴァーユ様! ご無事ですか!」


 事態を飲み込むや否や、椅子の上に立っていたシエルがミナギの元に駆けてきた。涙を流して、「ううぅぅぅ……」と嗚咽めいた泣き声を漏らしている。


「こっちこそ心配したんだからーー」


 安堵の言葉を告げようとした時、べったりと紅く染まったシエルの口元の毛が目に入った。ーーまさか、こやつ。


「先にパンケーキ食べたな!?」


「あわっ! これは……その……申し訳ございません! 他のお客様が食しているのを見て、つい!」


「いいや、許さん! 私達はずっとシエルの安否を何よりも考えてここまでやってきたというのに」


「そうだったっけ……」


 ヴァーユが冷ややかな視線をシエルとミナギに交互に向けるものだから、ミナギはこっちを見ないでと、精一杯にかぶりを振った。


 数時間ぶりの再会によってスタートした、和気藹々とした言葉のキャッチボール。そこに横から思わぬ球が投げられた。


「彼を責めないであげてください」


 シエルの位置からひとつ空けた先のバーカウンター席に座していた青年が語りかけてきた。


 青年は、奇妙奇天烈摩訶不思議で、異国情緒溢れ出る姿をしていた。やや長めの円筒のシルエットを振りまくシルクハットを被っている。ツバは綺麗に真っ平で両サイドだけが反り上がっている。頭だけ見れば正統派の紳士だが、体の方に目を向けると全体は珍奇な印象に様変わりする。広い袖、腰を覆う角帯、Y字に重ねられた襟元ーーシルクハットとは国籍違いも甚だしい和の着物を着ているのだ。それは、鮮やかさと落ち着きを同時に匂わすえんじ色の着物だった。独特の路線を突き進んだファッションは、傾奇者という単語がよく似合う。しかしそれでいてゆるりとした余裕を纏い、悠々自適なオーラを放つ青年の構えのおかげで、はたと違和感を覚えさせず、妙に調和しているとさえ思わせる。その様子から、ミナギは自分より歳は上ではないかと推測した。


 その青年が今、ミナギの方に振り返った。そして微笑みかけてきた。


「はじめまして」


「あ……はじめまして」


 春の訪れを感じさせる陽射しのような微笑みだった。


 栗色の髪は清潔感のあるすっきりした短髪で、前髪は眉にかからない程度の長さ。一方でやや長いと見える後ろの方の髪は藁の紐で1本にまとめて縛っている。凛々しい眉毛の下には、琥珀色の眼光を持つ瞳がこちらを見据えている。すっと通った鼻梁を滑り降りるようにして視線を落とすと、綺麗な弓状に結ばれた唇が対話相手を和ませようとしていた。


「彼は遠慮していたのに、僕がむりいってお裾分けしたんです」


 そう言って彼は目の前に置かれた食べかけのパンケーキに目をやった。皿の端には、ジャムの痕跡が残っている。


「なるほど、うちの子がどうもお世話になりまして」


 青年はメドウと言った。変テコな格好に反して、物腰は柔らかく、落ち着いた口調の大人の男性だった。


「ミナギさん達もこの森で迷子なんですよね」


「あ、はい。『も』ってことはあなたも?」


「ええ。気づいた時にはどうしてかここに」


 ミナギは、遭難してから今に至るまでの出来事をメドウに語った。目覚めた時に森の中で寝ていたこと、偶然にも喋るオコジョのシエルに導かれたこと、キャンピングカーに籠もっていた少年ヴァーユと出会ったこと、彼らと共に森の出口を目指していること。そしてさっきパニック状態の動物達に流されてシエルとはぐれ、今こうして合流したこと。


 森で頻繁に見かけるモルフォ蝶にも似た蝶の研究や、さっきのトンネルで見た用途不明の機械は省いた。初対面の人に口で事象を説明するのが難しいと思ったからだ。


「なんとも不思議なことだらけですね」


「まったく、人智を超えた事の連続。もう一生分の不思議を見た気分ですよ」


「ーーその黄色い怪獣というのも何だか妙だ。話を聞く限り、突然森の中に現れたって感じが」


「それだけじゃなく、色々な物が落っこちてるのも変なんですよ。いったい誰が捨ててるんだか」


「でも、その捨てられた自転車を使って臨機応変にここまで来れたのだから2人ともタフですね」


 そこまで話したところで、店長が奥の方にある石窯からピールを引き出した。ピールの板に乗っていた容器から程よく焼けたパンケーキの生地が顔を出していた。それをお皿に盛り付ける最中も些細な動きひとつで香ばしい匂いが漂ってきて、食欲を刺激する。


「そっちで食べるの?」


 ヴァーユの一声により、カウンター席で集まって会話する形になっていた4人はテーブル席に移動することにした。ミナギが席につこうとすると、いつの間に、メドウが差し出されたパンケーキ3皿分をテーブル席に運んでいた。フォークとナイフ、コーヒーカップまで皿の横に置いてくれている。


 席から立ったメドウを見て、またしてもミナギは面食らってしまった。170cm程度と自分の身長はそれなりにあるものだと自負していたし、連れの1人と1匹を今まで見下ろしていたことからも無意識に年長者としての勝気めいたものが芽生えていた。だがこのメドウ、その自分を遥かに上回って背が高い。頭ひとつ分の差をつけられており、見上げないと視線が合わないのだ。


 ーー190cmはあるかな?


 ミナギはとっさに夫の姿を思い出す。彼は10cm程ミナギより低かった。そこも含めてミナギは彼の良さだと思っていたのだが、こうして手足が長く逞しい男性を目の前にすると、世の他の女性達が黄色い声を交えて浮かれる理由もわかる気がした。きっと鯨や怪獣にロマンを感じるように、人は巨大なものに魅力を感じる性があるのだ。


「今日はお疲れ様です。さ、召し上がれ」


 彼に促され、ミナギ、ヴァーユ、シエルは席についた。席も座りやすいようにと、さりげなくテーブルから引いてくれていた。


 パンケーキの天辺で乳臭を放つバターを、甘いメープルシロップが包んで中和している。隅にはルビーを溶かしたと言っても信じられる真紅のジャムが添えられていて、匂いでこそ主役達に引けをとっているが、料理の見栄えを芸術的に変えている立役者に違いなかった。


 右手に置かれたナイフ、左手に置かれたフォークを手に取って、パンケーキにいざ入刀。すると、フォークが刺さり、ナイフが切り込まれた部分はあっさりと凹み、それ以外の圧を逃れた箇所がふんわりと、生き物のように膨張する。ナイフを前後させると、パンケーキは最も簡単に断ち切られた。


 一口サイズに切って口に運ぶと、真っ先に甘い香りが口の中に広がった。舌を転がすと感じられる微かな苦みが、本来樹木から生まれたことを思い出させる。バターの塩気も舌に伝わると、甘いばかりではない、多様な味わいがこのスポンジを介して伝えられていることに驚く。ジャムはというと、これまた甘さ控えめに自然の木苺のフルーティで爽やかな香りに満ちていた。


 次の一口、次の一口を求めて手を動かす。フォークを動かした際、ふいに左肘がヴァーユの右肘とぶつかった。彼は右手でフォークを持っていた。


「ごめん、席近すぎた。ていうかヴァーユ、左利きだったんだね」


「ああ、うん……」


 ヴァーユは何だか奥歯に物が詰まった顔をしていた。何かに釈然としていない様子だった。パンケーキが口に合わなかったのだろうか。ミナギはそんなことを考えながら、コーヒーカップを口許に運んだ。


 メドウに目を向けると、彼は白い手袋をはめた手を組んでテーブルの上に置いていた。食事も落ち着いたところで、彼と目が合い、今後に向けての会話が再開した。


「ミナギさん達はここで一休みしたら、明日から森の出入り口まで向かうんでしょう?」


「もちろん。ヴァーユの足の怪我もあるし、時間も時間だから今日はここに泊まるつもり」


 食べ終えた後、カフェの店長と何やら話していたシエルが「お泊まりの手続きは済みました。2階の貸し部屋で休めます」と頷きかけてきた。


「もしご迷惑でなければ」メドウはミナギの目を真っ直ぐに見て続けた。「僕も加わってもいいかな。僕もなるべく早くに帰りたくて」


 断る理由はない。もちろんいいですよ、と即答しようとした。が、突然に肩をポンと叩かれた。ヴァーユがミナギの後ろから牽制するようにして、口を開いた。


 彼はメドウに向かって「すみません」と言った。

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