第3話 優雅な日曜日/サンデー・ブランチ
昨晩、遅くまでパーティを楽しんでいたカーラが目覚めたのは正午――ということでもなく、午前八時のことだ。起きてすぐに“ブランチ会までの支度を手伝ってほしい”とトレーシーとグレイスに連絡すると、一時間ほどで二人は到着。メイドのベアトリス・クショフレールが、カーラの母、エストレア・ロッドフォードの用意した“ブランチ会は二時から。新しく買ったジュエリーを着けて!″と書かれた母の名前入りメモが添えられたドレス一着と三人分の軽い朝食と温かな紅茶をカーラの部屋に運ぶ。
カーラの部屋はホワイトのドアを開くと大きなシャンデリアが目に付くが、その大きさを感じさせないほどに広い部屋。ダークブラウンで統一されたにダブルベッドやドレッサー、壁に備え付けられた本棚付きのデスクなどの家具たちが、メヌエットの壁紙に良く映える。
「ありがと、ベアトリス」
「ありがと。カーラの家って、ほんとエレガントね」
「ありがと! 優雅で大好き」
ベアトリスからうれしそうに受け取る二人を背に、カーラはメモを素早くはずして、ドレスを手にとり眺める。二人はそれぞれ、ライトグレーのベッドに腰掛けたり、ライトグレーのカウチに腰掛けてくつろいでいる。
「エイプリルなんて、二度と顔も見たくない。今日のブランチにも、学校にも来なきゃいいのに。もう絶交よ」
「それはキレ過ぎ」
「ちょっと落ち着きなよ。さすがに怖いよ」
「エイプリルみたいな裏切りをする気?」
「いや、まさか」
「冗談」
そんなのしない、と肩をすくめて笑いあう二人にカーラも頬を緩ませる。
「ロミオ、今日のこと覚えてるかな? 恋人がいてくれなきゃ、カッコつかない」
手にしていたスマートフォンからロミオの番号を見つけだし、呼び出す。
だが、しばらく経っても出る気配のない恋人に、カーラの不安は刺激される。
*
昨夜散らかしたビール瓶やグラス、ゲーム機が置かれた机の上でカーラの名前と共にスマートフォンが震え出す。期待した名前とは別の名前にがっかりしつつ、まだ酒の抜け切らない体でやっとの思いで手に取り、短く返事をしたが、かすれた声がカーラを不機嫌にさせる。
「おはよう。寝てた?」
「いや、起きてるよ」
今度は先ほどよりクリアに発せられた声に、カーラの機嫌も元に戻りロミオは胸をなでおろす。
「そう、よかった。エスプレッソ飲んで、熱いシャワー浴びて。ニックのパパのブランチよ」
「そうだったな。じゃあ、またニックの家で」
ぐちゃぐちゃに乱れた髪を撫でつけ、通話を終えたスマートフォンに表示された時刻に溜息を零す。
「もう十時か・・・・・・」
ソファーで痛めた体をしっかりと伸ばし、筋肉だとか骨だとかがなんとなく、伸びている感覚で体を目覚めさせて、部屋においている炭酸水と、野菜や果物など栄養価のある食品を加工し、粉末状にしたものを適量とココナッツオイルを数滴入れて、シェイカーで混ぜ合わせながら階段を下りる。
「おはよう。ロミオ、コーヒーとパンケーキはいかが?」
にこやかに微笑む母、シンディ・パーシヴァルにロミオは少し悩んだふりをしてから「エスプレッソが飲みたいな。それか・・・・・・ダブルショット」と微笑んだ。
お手製の回復ジュースを飲みながらイタリアから輸入したコーヒーメーカーを操作するシンディを見守っていたが、シェイカーの中身もなくなり、すっかり目覚めたロミオはスマートフォンにエイプリルからのメッセージが届いていないか確認するが、一通も届いていない。
「母さん、ブランチの前にちょっと走ってくるよ」
いってらっしゃいの声を聞くより先に、ロミオは自宅のタウンハウスから飛び出した。
*
まだ数日前に着いたばかりのダンボール箱を次から次に開けて、服や小物などをいくつかベッドに投げては、また次の箱へと手をつける。
「ああ! もうゴチャゴチャ! ママ、私のミッシェル・ペリー知らない?」
「荷解きしないからでしょう。うちに戻ったんだから、ちゃんと片付けなさい」
すっかり怒りのままに部屋を乱すエイプリルに、母のオリヴィア・ブラウニングはやれやれといった様子でお目当てのミッシェル・ペリーを差し出す。
「あなたの大好きなパーティーよ? そんなにイラついて。帰ってきたばかりで、気苦労はわかるけど――もっと、余裕を持ちなさい」
ザック・ポーゼンのバッグにスマートフォンなどを入れて、エイプリルはまるでオリヴィアから逃げるようにして自宅を後にする。
「おはよう、カーラ。まだ寝てるんだろうけど、今からそっちに行くね。話がしたいの。だから・・・・・・待ってて!」
留守番電話を残すエイプリルだが、そのメッセージはカーラに届くことはない。なぜならもう二度と話さないと決めたカーラは、エイプリルのことを着信拒否に設定して、インスタグラムもブロックし、今後一切の連絡を取れないようにしているからだ。だが、それを知る由もないエイプリルはカーラの自宅であるペントハウスに到着し、専用エレベーターでダイニングルーム直行した。
そこへ、たまたまカーラがドレッシングガウンをひらひらとさせながら、二階にある自室へと繋がる螺旋階段から優雅に下りてきた。
「おはよう、カーラ。カプチーノとクロワッサン持ってきたの」
にこやかに笑ってクロワッサンの香ばしいバターの香りがする紙袋と、フルーティなコーヒーの香りがするタンブラーを掲げたエイプリルに、カーラもにっこりと笑い返す。
その緩んだ表情にエイプリルは“ああ、元の彼女だ”と安心して、カーラの近くに寄るが途端に、眉を寄せて苛立ったような、呆れたような表情を浮かべる。
「今日も、家来てって言った覚えはないけど」
そう言ってテーブルに向かって歩き出すカーラを友達に戻りたいエイプリルはめげずに追いかける。
今までと同じような口調で、冷たくされたのも気にしてないといったように接する。
「電話したよ。それに日曜の朝はコーヒーとDVD鑑賞が私たちのしきたりでしょ」
「伝統を新しくしたの」
「新しかったら、伝統じゃないわ。だって、続けなくちゃ」
エイプリルの言葉を無視しただけじゃなく、顔すら見ることなくカーラはカウチへ体を預けて、机に置いたままになっていたお気に入りのファッション誌を開く。
「カーラ。どうしてもわかんないんだけど、私たちって友達だったよね?」
「友達だったよ。わたしのカレと寝たと聞くまではね」
カーラの鋭い言葉にエイプリルは顔を見る事が出来なくなり、視線を泳がせ、空気を求める魚のように口をはくはくさせる。
長い沈黙の後「私・・・・・・」とようやく口を開いたエイプリルに、カーラはにっこりと微笑んで、言葉を遮った。
「何も言わないで。何言われても信じない」
自室に戻ろうとカウチから体を起こし、階段へと向かうカーラの背中をエイプリルは追いかけて呼び止める。
ぴたり、歩みを止めたカーラが振り返って見たエイプリルの表情は悲しげで、仲直りしたいと訴えてくるが、そんな表情一つで許せるほど、カーラのロミオに対する想いは軽いものではない。
「あなた――やっぱり、尻軽ね。しかも嘘つき」
「償わせて。なんでもするから」
「やめて、エイプリル。わたしに近づかないで。ロミオにも、友達にも。さよなら」
タイミングがまずかったエイプリルの訪問にカーラは振り返ることもせず、テンポ良く螺旋階段を上がり「おまたせ」と自室で待っていたトレーシーとグレイスに微笑んだ。
ドレッシングガウンとスリップ(女性用ランジェリーの一種)を脱ぎ、ベッドに置いたままにしていたコルセットをグレイスに付けるよう頼むと、グレイスは慣れた手つきで締め上げていく。カーラが苦しそうにすることはあまりなく、あっという間にフルクローズとなった。
「うっそ! このサイズでフルクローズなの!?」
「まあね。でも、まだだめなのよ。あと八百グラム落とさなくちゃ」
用意されていたドレスをトレーシーが手渡し、早速着替えたもののカーラは残念そうに溜息を零した。
「すごいわ、カーラ。とってもきれい」
「ほんと。すごくステキよ」
「普通よ。終わったシーズンのカラーだし、この前見たプラダの方がいい」
盛り上がった二人とは裏腹に、カーラは不満げにエストレアの用意したドレスを脱いだ。次のドレスに袖を通しながら鏡へ移動するが、それはチェックすらすることなく、すぐさま脱いだ。
「もう、決まらない! まともなドレスがない」
「そんなことない。これ見て」
グレイスがクロゼットから見つけ出したホス・イントロピアのドレスに、カーラは「それステキ」と満足げに笑った。
✳︎
エイプリルがカーラのペントハウスから戻ると、自宅の門前でブラウンとグリーが知的なタータンチェックのジャケットのセットアップにベージュのティーシャツを着たルドルフが立っていた。
「ルディ。ハーイ」
「ちょっと通りがかってさ・・・・・・七十ブロックくらいぶらついてたら」
「もう少しマシな口実はないの?」
下手な言い訳を口にするルドルフにエイプリルが笑えば、ルドルフの緊張も解れて自然と言葉が出て行く。
「いや、会って話したかったんだ。昨夜はダサい別れ方をしてしまったから。扉まで送ったりとかしないでさ」
「そうだね」
エイプリルの明るい声と笑顔を見ていると、ルドルフの緊張はすっかり無くなっていつもの調子を取り戻しつつあった。
「あれから僕、ずっと考えてたんだけど・・・・・・そのぉ・・・・・・お腹空いてない?」
「ええ、空いてる! 今日は朝から最悪だったの」
「おお、だったら話を聞こうか? 食べながらでも、食べてからでも」
「じゃあ食べてからね。お腹ペコペコなの」
ルドルフがスマートフォンを取り出してどこに行くか決めようとした時、二人の目の前に止まったリムジンからエイプリルによく似た人物が現れた。
シャネルのサングラスにマックス・マーラーのジャケットとニナ・リッチのパンツを合わせた上品な女性はゆっくりと二人に近づいていく。
「よかった。間に合ったのね」
「ママ」
「どうも、はじめまして。ルドルフ・アンダーウッドです」
「そう。オリヴィア・ブラウニングよ」
握手を求めてルドルフが手を差し出すもののオリヴィアは握手には応じず胸の前で腕を組んだ。
ルドルフはエイプリルの家族もきっと気さくで飾らないいい人たちだと勝手にイメージを膨らませていた為、オリヴィアの態度に驚き傷ついたものの普通は認めてもらえるわけなどない身分だと理解することは容易に出来た。
「私、やっぱりブランチ会に行くの辞めときたいんだけど」
「約束したでしょう?」
「そうだけど、でも実は・・・・・・ルディもお腹空いてるって言うの。ほっとける?」
エイプリルは捨てられた仔犬を飼いたいと強請るようにオリヴィアに言うと、ルドルフに可笑しそうに笑った。エイプリルの作ったチャンスをルドルフは逃さないように掴んだ。
「薄情な。どうかお慈悲を」
「招待制よ」
「だから他へ行くの」
「僕は入れないし」
「今日は彼とブランチすることにしたの」
「そうなんです」
黙って聞いているオリヴィアに二人はうまくいったと思い微笑み合うが、エイプリルの名前を呼ぶ声に緊張が走った。
「あなたは家に戻った以上、私のルールは守ってもらう。どうすればドレスに着替えてブランチ会に出席する気になる?」
もちろんエイプリルの出す条件は一つに決まっている。
*
白い石畳の長い道と美しい彫刻の数々が飾られた噴水つきの庭、家の奥にはテニスコートがあり、一階には広々とした屋内プール。まるでどこかのホテルを思われる豪邸で、ニクラウスの父、ヒューゴ・ジンデルが主催する年に一度のブランチ会が、今年も開催される。
そのため、朝から厨房は大忙しで、ピリピリとした嫌な空気が漂っている。ソースや生地を混ぜる音、肉や魚、卵などを焼く音、野菜や果物を切ったりミキサーにかける音、ナッツや氷を砕く音がさらに焦燥感を与えるそれは、いやな感染病のようにテーブルをコーディネイトする使用人たちにまで広がり、あっという間にダイニングルームまで広がりを見せ、一階はまるで戦場のような状態だったが、今ではそれが嘘のように楽しげな笑い声と微かに聞こえる優雅な音楽、ゆったりとした時間が流れている。
ニクラウスに案内されたテーブルで、ロミオとカーラ、グレイス、トレーシーは食事を楽しんでいたが、ドレスアップしたエイプリルと昨晩一緒にパーティにきた青年の姿に、カーラは気がついた。カーラの視線の先にいる二人をグレイスとトレーシーは睨みつけた。
「冗談でしょ?」
「面白い」
ドレスコードに沿った正装で来たエイプリルはともかく、一緒にいるルドルフは有名ホテルやモデルルーム顔負けの豪華絢爛で、洗練させたおしゃれな内装にそぐわない、カジュアルジャケットにスラックス、襟のないシャツというスタイルに五人は驚いた。
その後、ニクラウスとカーラが信じられない、と楽しげに笑うのを、ロミオは気まずそうに俯きスクランブルエッグとベーコン、パンケーキを詰め込む。
「ちょっと席をはずすよ」
カーラの断りもなくそそくさと席を立ったロミオに、待ってと声を掛けたかったが、友達がいる手前そんなこともできず、にっこりと余裕ありげに微笑む。
*
ロミオは席を立った後、すぐさまエイプリルに視線を送った。ちゃんと伝わっているのか不安では合ったが、少し遅れて後を着いてきた彼女を尻目で確認したロミオはそのまま人気の少ない渡り廊下で彼女を待つ。
ミッシェル・ペリーのヒールを響かせながら登場したブロンドの彼女は、やはりどこからどう見てもパーフェクトな美女だ。
そんな彼女が少し苛立った様子ではありながらもロミオに近づいた。この様子をカーラやカーラの友人たちに見られてはロミオはもうチャンスがない。
「エイプリル。話があるんだ」
「ちょうどよかった。こっちもあるわ。なんでカーラに話したの? カーラに話したらどうなるかなんて想像がつくじゃない! 何考えてるの?」
「説明をしようと・・・・・・ここじゃマズい。よそへいこう」
時々通りかかる人やちらちら映る人影を気にしながら話すロミオにエイプリルはますます苛立った。
「ここじゃマズい? なにか怪しいことでもあるわけ?」
「ここの近くのスイートへ。ニックから、今夜泊まろうって招待されたんだ」
「もう隠れてこそこそなんてしない」
「頼むよ、話したいだけだ」
捨てられた子犬のように純粋で、“どうしても、伝えたい事があるんだ”と訴えかけてくる瞳に、エイプリルは握りこぶしを作って耐えようとしたが、数分間も見つめてくる彼につい、呆れながらも差し出された銀色に輝く鍵を受け取ってしまう。
「少しだけよ」
「先に行って。すぐに行くよ」
エイプリルが先に会場へと戻ったのを確認したロミオは、ウブロの時計で確認をした後十分後に会場へと戻った。
*
立食しながらビジネスパートナー探しや、将来に向けて動き出す人たちに紛れて、席を立ったまま、どこで、誰と、なにをしているのかわからない恋人探しをしようと、グラスと皿を持って立ち上がり、歩き出したカーラ。そこへロミオの父、ヘクター・パーシヴァルが挨拶に来た。
「ごきげんよう、カーラ。今日も相変わらず美しい。ところで、お母さまは?」
「ごきげんよう、ロミオのお父さま。パリです。アトリエで何かあったみたい」
「
「きっと、ブランドコンセプトに合わないわって断ってしまうかもしれませんわ。うふ、冗談です」
どこか意地悪な笑顔ではっきりと言い放ちながらも、あくまで冗談だと笑うカーラにヘクターが反応を悩んでいると、タイミングよくロミオが現れた。
「カーラ。父さんと話してたんだね。お代わり持ってくる」
カーラの皿を受け取り、頬にキスを落とすロミオにカーラは満足げな表情を浮かべるのを見たヘクターは、カーラに失礼と断りを入れて息子の後を追い、ひとり残されたカーラの元にすぐさまニクラウスが狙っていたかのように現れる。
「まさか、彼女が来るなんて。もう近づくなって言ったのに」
「ロミオが心配か?」
何も言い返さず、にこにこと微笑むカーラにニクラウスが「図星なんだろ」と質問すればカーラはゆっくりと頷く。
「気を引く方法はある」
そういって得意げに笑ったニクラウスは、銀色に輝く鍵をちらつかせる。
「何それ?」
「半年先まで予約が取れないホテルのスイートの鍵。実は父がITだけじゃなく、不動産業にも目を着けて、最近ホテルを買い取ったんだ」
カーラがしっかりと受け取るのを確認すると、ニコラウスは少し離れたところで医学教授と会話を楽しむロミオを見みながらニヤニヤ笑う。
「すてきな体験を手伝えて光栄だ」
「最低」
「ああ、そうさ。何を恥じらう? もったいぶってないで済ませてこい。後で報告しろよ」
ロミオの元へと急ぐカーラを見送るニクラウスの表情は後押しする言葉と裏腹に暗く影を落とす。
「ねえ、ロミオ。何か予定ある?」
「いや、何も」
「じゃあ、ちょっと抜け出さない?」
「今?」
「そうよ。今すぐ」
カーラの誘惑に負けたロミオはエレベーターに乗り込みすぐさまキスをした。
*
ロミオは食事中に席を外して、エイプリルと二人きりになった時にニクラウスに頼み込み、同じホテルのスイートルームへ来るように誘った。だが、ロミオはそのことはすっかり忘れて、リムジンを呼びこの街で一番いいホテルの部屋に向かう途中もそのエレベーターの中でも、部屋の前に来てもキスをし続ける。カーラは最高の気分だった。
「ロミオ?」
部屋に入った瞬間に届いた、エイプリルの驚いたような声を聞くまでは。
盛り上がっていた気分は一気に冷めたカーラは、ロミオからすぐさま離れてエイプリルの声がした方を振り返った。
「エイプリル?」
「カーラ・・・・・・」
戸惑った表情のエイプリルに、カーラはじりじり近づく。目の前の獲物を逃がすまいとするように。
「なぜ、ここに?」
「ロミオを待ってた」
その誤解を生みかねない物言いに、ロミオもすぐさま話すためだと主張するが、カーラには火に油を注ぐようなもの。
「二度と話さないと」
「そう言ったの?」
エイプリルは目にたっぷりの涙を浮かべて、“酷いじゃない、すごく傷ついた”と表情で訴える。カーラには全く効果などないが、エイプリル・ブラウニングほどの美女ともなれば、ロミオのように僅かな恋心を抱いている子の心を痛めるには十分だ。
「エイプリルは悪くない」
「何庇ってるのよ」
「僕が呼んだ」
「そう、話をする気?」
「ああ。話さない理由の説明を」
必死に“何も怪しいことはない”“話をするだけ”と訴えかけるが、カーラの怒りはエイプリルだけでなくロミオにまで移り、もう最悪の状態だった。今他の誰かが仲介人として入ったとしても、巻き込まれて大怪我を負うだけ負って何も解決せず、むしろ悪化するのが目に見えるほどに。
「お話が盛り上がりすぎるくらいに盛り上がりそうだから、失礼するわね」
「いいの。私はルディと来てるし、さっさと続きやっちゃって」
「さっさとですって!? バカにしちゃって。あなたみたいに、軽い気持ちでする人ばかりじゃないのよ?」
「あーあ、だろうね。お上品だしロマンチック。でも経験が少ない彼女だなんて、面白みがなくてすぐに捨てられちゃいそうだけど。いい趣味ね」
「あぁ、あなたみたいに? 新しいお友達のルディにも、あなたのお上品振りを教えてあげなくちゃ。ルディが聞いたら喜ぶでしょうね」
「ルディ?」
にっこりと笑って部屋を飛び出したカーラに、怒りを露わにしていたエイプリルの表情はすっかり焦りと戸惑いに塗り替えられ、今まで会話に取り残されていたロミオに縋る。
「本当に言う気じゃないよね!?」
「カーラだぞ」
二人揃って激怒したカーラの後を追って部屋を飛び出し、彼女がルドルフに秘密を暴露するのを阻止しようとしたが、もうエレベーターは下の方まで進んでおり、諦めて階段へと半分転がるそうにして向かった。
「なんであの事言ったのよ!」
「ずっと秘密にして隠し通せって言うのか?」
「そうよ。真実が誰かを傷つけるなら黙ってた方がいい事もあるの!」
「都合良すぎだろ! 勝手な理屈だ!」
「あなたが地球一の正直者だなんて知らなかった!」
誰も通らない廊下に二人の声がよく響いたがそんな事は構っていられない。エントランスを飛び出して目の前に止めていたはずのリムジンを探すがカーラが乗って行ったのかどこにも見当たらず、タクシーを拾おうとするもなかなか空いておらず、ようやく見つけた空席のタクシーを二人で必死になって止めた。
*
見慣れた顔ばかり招待されているブランチ会場にカーラが戻れば、お目当ての新しいお友達はすぐに見つかった。カーラは上品に微笑んで、「あなた、もしかしてルディ?」と優しく呼びかける。
「ハァイ。エイプリルの友達のカーラ・ロッドフォードよ」
「ああ、よろしく。僕はルドルフ・アンダーウッド。その彼女だけど、突然いなくなっちゃって」
「実は」
「カーラ!」
エイプリルは慌ててルドルフの目の前にいたカーラを止めようと彼女の名前を叫んだが、ルドルフの「どこにいたんだ?」という問いかけにカーラは待ってましたとばかりに答える。
「ホテルの部屋で待ってたの。わたしのカレを」
「話をするためよ」
「そう、くだらない話を」
「なんで話さなきゃなんないのよ」
くだらないといったロミオにルドルフは間の抜けた顔になる。突然、エイプリルの友人を名乗る女性と自己紹介をして、やっと探していた彼女が戻ってきたと思ったら揉め事が始まったのだからそうなっても仕方ないが、ルドルフが理解できていないのはその点だけではなかった。
「今朝、待ってたのもそのくだらない話?」
「何? 今朝、会いに行ってたの?」
「ああ、俺もこの目でしっかり見た」
首を突っ込んできたのは、先ほどまで傍で見ていたニクラウスが介入したことにより、事態はさらにメチャクチャになり、ロミオは目を見開いて驚いた。
「なんでニックが?」
「俺に隠し事ができると思うなよ、ロミオ」
不敵な笑みを漏らすニクラウスに、激昂のカーラ、必死になっているロミオとエイプリル、すっかり置いてけぼりなルドルフという妙な状況に、ルドルフが「誰でもいい。説明を」と助けを求めれば、カーラが「するわ」と微笑んでルドルフと向き合う。
「お願い。やめて」
「ダメよ。だったら・・・・・・あなたから彼に説明する?」
「いや、俺が」
口を開きそうにないエイプリルを押しのけ、ニクラウスが前に出ると注目は一気に彼に集中する。エイプリルとカーラ、ロミオはニクラウスに知ってるのか、と酷く驚いた様子で問いかけると、「全部」とすぐに返ってきた。
他人に言われるより、自分で言った方がいくらかはマシに思えたエイプリルはルドルフを真摯に見つめる。
「ルディ。もう、ずっと前のことなの。それに、今はすごく後悔してる」
あくまでも自分はもうそんなことしないのよ、そういった言葉をしっかりと含めるエイプリルにカーラはせせら笑う。
「エイプリル、落ち着けって」
やわらかく、優しい声色で肩に手を置いたルドルフは誰に止められることもなく、そのまま続けた。
「そうやっていい子ぶるのはやめろって。大切な友達の男と寝たなんて、俺は尊敬してるんだぞ」
いやらしく笑うルドルフにエイプリルは戸惑いを隠しきれず、目には大粒の涙を溜め込んで、あのパーティの日以来ほとんど初恋に近い恋心を抱いているルドルフは、衝撃的な言葉に脳がやられたような気分になった。納得しようと数回頷いたのち、「本当?」とルドルフが尋ねるも、エイプリルは視線をそらしてしまい、カーラが代わりにそうよ、と答えた。
「おまけに、女優になりたいだなんて言って遠くに行ったの。もしかしたら、それも逃げ出すための嘘かも」
肩をすくめて冷たく醒めた笑いを浮かべると、エイプリルは俯いたまま。ロミオといえば手で顔を覆って重い溜息を吐き出して、ニクラウスは“もっとやれ”とでもいうように笑っている。
「完璧な彼女に夢中になって、捨てられる前に忠告したくて・・・・・・。枕を抱いて泣くだけよ」
「それは最悪だな。もう帰るよ」
溜息とともに熱くなる目頭をぎゅっと押さえ、カーラに短く礼を伝えたルドルフがさっそく出口へ向かうと、エイプリルは「待って、私も」とその手を掴む。だが、その手はあっけなくするりと抜けてしまう。
「来なくていい」
振り返ることなく出口に向かう彼に、エイプリルは唖然としたまま。
ロミオはすっかり疲れ切ってしまい、ウェイターが運んでいたシャンパンを乱暴にとって半分ほど一気に飲み干すと、まるで“お前のせいでこうなったんだ”とでもいうようにカーラを睨みつける。
「満足した?」
「いいえ。全然」
エイプリルの頭を支配するのは、“一体どうすれば?"という言葉ばかりで、ようやく体が動いたのはルドルフがすっかり見えなくなってからだった。
*
ルドルフが正面玄関まであともう一歩、となったときエイプリルが追いつき、引き留めようと精一杯の大声で名前を叫んだ。羞恥心か、同情か、微かな希望か、どちらにせよ振り向いたルドルフに、エイプリルは必死になって縋る。
「待って! ごめんなさい!」
「いや、僕が来たのが間違いだった」
「ううん、傷つけたよね。カーラのこと・・・・・・」
「彼女は関係ない!」
「わかってる。私の周りがイカれてるの」
なぜこんなにも怒っているのか、怒りの理由を全く理解していない彼女に、先ほどまでの悲しみが嘘のように、今度は腹の底から怒りが噴火のごとく込み上げ、抑える事が出来なくなった。
「ああ、そうとも。君の世界だ」
「出会ったときに言ってたよね、私のこと知ってるって」
「名前だけね。噂だとか、プライベートなことは、今日まで何一つ知らなかったさ」
心底呆れた顔をして片手を軽く挙げ、バイバイと手を振ってまた歩き始めるルドルフに、エイプリルの心はまだ出会って間もない(二十七時間ほどしか経っていない)が、ずきりと痛む。
「がっかりした?」
怖がっているように震えた声に、ルドルフは振り返ることはないものの歩みを止めて俯く。
「でも、もう過去のことよ。過去は変えられないでしょ。だから、少なくとも今は変わろうと努力してる。それをわかってくれる人だと思ってた。でも・・・・・・無理なのね」
エイプリルはルドルフの様子を伺い、しばらく沈黙したが一言も発せられることもなく、ただただその場にいるだけの彼にだんだんと腹を立て、最後のチャンスを与えた。ここでもし、ルドルフが彼女の期待している言葉や行動を与える事が出来れば、次回のデートの約束をするつもりでいる。
「お互い、何も知らなかったね」
エイプリルは吐き捨てるように言って踵を返し、会場に戻ろうとする振りをしてからすぐさま振り返ったが、ルドルフの姿は遠くにあり、すっかり小さくなっていた。
*
その日の夜、ロミオから感情的になりすぎたと謝罪を受けたカーラは、ロミオの誘いで彼女が手にしていたこの街で一番いいホテルの部屋に泊まることにしたものの、お互いに着替えをするわけでもなく簡単に服を緩めたり、メイクを落としてベッドに入っただけだ。
恋人同士だというにもかかわらず、背を向けたまま顔を合わせることもなく、長く続く沈黙に耐えかねたロミオが、一つ一つの言葉を選ぶように口を開いた。
「あのさ、カーラ。僕たち、やり直せる? それとも、終わり?」
ロミオの問いかけにカーラは振り返ることもなく、何も言わず、ただ、彼が優しい手つきで肩を撫でるのをそっと手で止めた。
*
随分年季の入った古びたアパートメントの一室で新しいドレスを身に着けたペネロピ。そのブランドはカーラの母エストレアのデザインしたもので、エストレア・ブランドの服は“カーラのグループ”の制服で必ずどこかに身に着けている。
ペネロピも勿論このブランドを着る意味については分かっているが、カーラに忠実な兵でいられるのか、そもそもカーラにバレることなくセレブなティーンエイジャーいられるのか・・・・・・問題は山積みだ。
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