第32話 少年編31

薫は元気よく列車に乗り込んだつもりだったが少しよろけてしまい、母親の袖をつかむ。


照れ隠しに苦笑いしながら薫はもう一度、


「じゃあまたね。」


と手をふり、優しい笑顔に戻る。


隆司も手を振り返すが、言葉が出ない。


出すと本当に泣いてしまいそうだ。


また薫におちょくられる。


そう思って我慢していると、横で鼻をすする音がする。


春子だ。


その顔を見上げると目頭を押さえながら涙を隠そうとする。


案外春子は涙もろい。


そんな春子を見て、薫の母親ももらい泣きする。


両方の親がこれじゃあ子供は泣こうに泣けない。


子供の手前精一杯我慢していた感情がせきをきったようにあふれ出し、母親同士体を寄せ合い別れを惜しむ。


そして無情にも扉の閉まるアナウンスがあり、二人の母親の友情を切り裂く。


薫親子は扉越しに手を振り、自分達の指定座席を探す。


隆司親子はそれぞれ複雑な心境でその光景を目で追いながら、二人と過ごした日々を思い返していた。


しばらくして座席を探しあてた薫親子は、そこへ腰をかけずに立ったままで、窓の外の隆司親子に向かって手を振る。


窓は開閉できないので声は届かない。


隆司親子も手を振り返す。


すると薫の母親が口元を大きく開けて何か言っている。


隆司は理解できなかったが春子はそれが、


「春、いろいろありがとう。」


と言っていることを理解できた。


「元気で頑張ってね。」


と春子が返すと、相手もそれを理解したようで深くうなずいた。


母親の横で先程より少し元気のない薫を隆司は心配そうに見ていた。


いよいよ発車のアナウンスが流れ列車が出かかったその時、薫が突然泣きだしそうな顔で何かを隆司に伝えようとする。


隆司は理解できずに、耳に手をあてて聞き直す。


口の動きから、


「わたしね、」


までは理解できるのだが、その先が分からない。


何とか理解しようと列車を追いかけるが、動く列車に差し込む光が薫の口元の動きをさえぎる。


薫の言葉を理解出来なかった隆司は見えなくなる薫の口元と列車をただ見送る事しかできなかった。


そしてその思いを伝える事が出来なかった薫は魂が抜けたように座席へ座り込み、母親の腕にしがみつきながら荒い息で必死に涙をこらえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る