第113話 『醜い絶望の果て』

 朝日が昇る。

 柔らかな白い光が世界へ広がっていく。

 しかし、ルーベリアが最期を遂げた森の深い場所は、生い茂る草木のせいで未だに夜の暗さを守っていた。


「キャハ……ハハ」


 かすかに流れた笑い声の主は魔王ルクスディア。

 ナミラの轟雷滅風刃を受ける直前。ギリギリのところで分裂体を出し、見た目の毒々しいきのこの下まで吹き飛ばされていた。


「ア、アタシ……ノ……カチダ。キャハハハハ」


 勝ち誇る笑みはなんとも頼りない。

 他者の命をもて遊び、守るべき魔族を犠牲にしてまで美しさを追い求めたルクスディア。

 限界まですり減らした分裂体。その末路は、芋虫のような肉体だった。


「コノウラミ! カナラズ! ハラシテヤル!」

 

 魔族からの搾取ができずとも、時間さえ経てば平時の魔王程度の力は戻る。 

 最低でも百年はかかると思われるが、むしろ好都合。それまでひっそりと隠れ潜み、ナミラたちの寿命が尽きるまで待つつもりでいた。


 ヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウ!

 ジジジジジジジジジジジジジジジ!


 森に住む野ネズミや虫たちが、突然飛んできた余所者を囲み声を上げていた。


「ウルサイ!」


 ルクスディアが吠えると、一番近くにいたネズミの頭が半分吹き飛んだ。

 人間に撃てばかすり傷程度の攻撃。これが今できる全力だった。


「コノクツジョク、ワスレナイゾ! カナラズ、アタシハ! モウイチド、ウツクシク!」


 ネズミや虫が散り散りに逃げる。

 ルクスディアはひとまず休める場所を目指し、背後にそびえる大木の根本へ移動を始めた。


 ヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウ!

 ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!


「ウルサイウルサイ! コロサレタイカ!」


 遠巻きに囲みながら、絶えず声を発する害獣と害虫。

 下等生物の聞くに堪えない声だと捨て置きながら、けたたましい音量を不快に感じるルクスディア。


 しかし、彼女は知らない。

 彼らがルクスディアの居場所を叫んでいることを。

 その声を聞くことのできる唯一の人間が、王都にいたことを。


「ナンダ?」


 ひらりと一枚の紙が落ちてきた。

 とても古い、書物の中の一ページ。

 まるで根の陰へ導くカーペットのように敷かれた上を進みながら、ルクスディアは何気なく書かれた内容に目を通した。


『優しい魔女さま。とても優しい魔女さまは、北のお屋敷に住んでいます。お腹が空いたときには食べ物をくれ、寒いときには毛布をくれます……』


 書かれているのは短い童話。

 拙い文章で書かれた登場人物に、ルクスディアはまるでと笑った。

 

『……著者 ハナビ』


 笑みは消え、全身から汗が吹き出した。

 咄嗟に周囲を見回し、気休めにもならない威嚇の視線を撒き散らす。


 ヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウヂュウ!

ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!


 ネズミと虫の声が、一層耳を掻きむしる。


「ふ〜んふ〜んふんふんふんふ〜ん」


 歌が聞こえた。

 うるさくて堪らないはずの耳に、嫌にはっきりと聞こえた。

 今やひと踏みで終わる弱き魔王は、全身の震えを止めることができなかった。


 かつて王都で人々を恐怖のどん底に陥れた不吉と死の象徴が、明らかな殺意と共に迫っている。


「カ、カクレ」


 慌てふためきながら、根本の陰に急ぐ。

 しかし、不意に視界が歪んだ。

 進みたい方向へ進めず、フラフラと蛇行してしまう。体が浮かんでいるように感じ、力が入らない。


「ナ、ナニガ」

威光酒乱王剣ヘスティアーマ・バシレウス。どうだ? てめぇには度が強ぇだろ、虫っころ」


 すぐ真上で声がした。

 呼吸すらままならないほどの恐怖を抱き「見てはいけない」「見たくない」と思いながらも、体が勝手に仰向けになった。


 そして、ルクスディアは世にも恐ろしいものを目にした。


「「見つけたぞぉぉぉぉ」」


 重なる声が不協和音を奏でる。

 ナミラの中では、複数の前世が強い怒りを抱いていた。中でもルクスディアと因縁の深い者たちによって、通常の真似衣ではあり得ない現象が起きていた。


 体はナミラのものでありながらアルーナの翼と尻尾が生え、闇に光るサキュバスの瞳で見つめている。不気味な狂気を貼り付けた顔面は左がリッパーマン、右がバボン王という歪なものになっていた。


「ヒイィィィッ!」


 息を飲むルクスディアだったが、すでに逃げることもできない。

 

「「お前のために特別に用意した。下水王スーエッジ・キング」」


 わざわざ瓶に詰めて持ってきたのは、下水道でも特に腐敗し悪臭を放つ汚水だった。

 リッパーマンのギフトで操られた不潔の塊は、ルクスディアに有無を言わさず纏わりつき、目線の高さまで体を浮かせた。


「ウゲエエエエエエエ! クサイクサイクサイグザイィィィィ!」


 悲鳴上げる口に汚水が侵入し、体内に満ちた。

 汚水はストロー状に固められ、呼吸はできる。しかし、腐乱した空気と芽痰メタンが体を駆け巡り強烈な吐き気を促した。


「オゲエェェッ! ダ、ダズゲデ」

「「これから行われるのは復讐だ。残酷で残虐で残忍極まりない復讐だ」」


 命乞いなど意に介さず、数多の声が語る。


「「救いがあると思うな、希望があると思うな。これまでの行いを後悔しろ、生まれてきたことを嘆け。今から貴様を世界で最も醜くする。世界で最も深い絶望を与えてやる!」」


 半分づつの顔が、狂った同じ笑顔を浮かべた。

 出会うはずのなかった二つの悪。

 かつて彼らを恐怖した人々の間には、こんな言葉が流行っていた。


 リッパーマンの歌を聴くな。どこに逃げても殺される。

 リッパーマンの怒りを買うな。家族すべてを殺される。


 酒乱王から酒を奪うな。財産すべてを奪われるぞ。

 酒乱王から女を奪うな。命もすべてを奪われるぞ。


 ルクスディアは、当時の禁忌をすべて犯していた。


「「これも特別だ」」


 取り出したのは、錆つき刃こぼれの酷いナイフが二本。

 さらに、ここまでの道中で毒虫を潰し野犬の糞を擦りつけた、もはや武器とも言えぬゴミ。

 

 今からなにが行われるのか、ルクスディアは本能で理解した。


「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「「げははははははははははははははははははははははははがははははははははははははははははははははははははぎゃはははははははははははははははははははははははははははは!」」


 汚水にまみれた悲鳴を塗り潰すように、不気味に混ざりあった笑い声が森の闇を震わせる。

 高速で振るわれたナイフは乱暴に的確に非情に、小さな体を切り刻む。


 削ぎ落とし、ときに打ちつけ、突き刺し、抉る。

 けれども決して殺さない。

 こんなところで殺さない。

 まだまだ日が差し込むまで時間はある。

 まだまだ復讐を遂げるには、こんなものじゃ足りない。


「ア……アア……アッアッアッ……」


 バボンの威光酒乱王剣のせいで、意識を失うこともできない。

 化け物が自分を傷つける姿を、ひたすら見せつけられる。恐怖が心の深く深くに刻まれていき、消えない絶望が魂を覆い尽くす。


 魔王ルクスディア。

 その最期は酷たらしく。

 見るも無惨な様相で。

 目も当てられないほど醜い姿であった。


「「があああああああああああああああああ!」」


 最後の一振りで、わずかに残っていた頭も消し飛んだ。

 声を上げることもできず、受け入れるしかない絶対の死。

 正真正銘、ルクスディアがこの世から消滅した瞬間だった。



「……マーラ。その子はどうしたんですか?」


 時を同じくして、魔族の仲間と合流したシャラクが呟いた。

 朝日を防ぐため、ヴラドを店先の垂れ幕でぐるぐる巻きにしたマーラの腕に、いつの間にか赤ん坊が抱かれていたのだ。


「え……うわぁ! びっくりした! え、なに? いつの間に? なにこの子?」


 幼子は魔族で、どこかマーラにもナミラにも似ている。

 マーラは怪しんで見つめていたが、すぐにすべてを理解した。


「あ……あぁ……この子、いや、このお方は!」


 小さな額に光が宿り、美しい紋章が浮かび上がった。

 同時に、世界中で異変が起こる。

 すべての魔族から、滅亡を手招いていたルクスディアの刻印が消えた。そして生まれ変わるように新たな印が刻まれ、その形は赤子のものと同じものだった。


「新たな魔王様! 私の生気を依り代に生まれてきてくださったのよ!」


 地下に隠れていた同胞たちが一斉に地上へ上がり、生涯で最も美しいであろう朝日を浴びた。


「終わったのだな……やっと」

「えぇ。でも、始まりでもあるわ!」


 涙を流すシャラクに、マーラが微笑んだ。

 マーラが新たな主君を天に掲げると、王都の魔族は残さず跪き、涙を流して感謝した。


 この日。

 大陸の東に位置する人間の国セリア王国の王都セリアルタでは、人々の勝利を祝う声が上がった。

 しかし、それにも勝る歓喜と涙が世界中の魔族に巻き起こっていた。


 常に恐怖し、奪われ、虐げられ、滅びを待つ日々は終わった。

 生気に満ち溢れ、力がみなぎる奇跡を噛みしめた魔族たちは、ただ喜びに酔いしれる。

 そして、数百年ぶりに行われた種族間のテレパシーで事の顛末を知った彼らは、口々に叫んだ。


「魔族バンザイ! 新魔王様バンザイ! 我らの恩人、ナミラ様バンザイ!」


 

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