第111話 『魔族の革命者』

「だああああ体が重い! せっかくナイスミドルに戻ったというのに! 見ろ、結界のせいで手がしわしわに!」

「うっさいわね! 他の子は巻き込まれると死ぬから私たちが来たんでしょ! シャラクさんはナミラ様のお母様を守ってるんだし!」

「はっ! 泣き虫の小娘が言うようになったではないか! 吾輩はあの頃のつるぺたボディのほうが、処女っぽくて好みだったのだがな!」

「黙れこの色ボケ処女厨ロリコンジジイ!」


 二人はルクスディアの存在には気づかず、言い争いを繰り広げていた。

 

「キャハハ……アレはアタシの邪魔をしたサキュバスクイーン。吸血鬼の男ハ……ヴラド。四天王筆頭だったあいつガ、こんなところニいるなンテ」


 絶体絶命の最中にあって、恍惚の表情が浮かんだ。

 まるで、狂しいほどの甘味が目の前に出されたかのように。


「そうヨ、この手があったワ。あいつらノ生気を全部吸ってヤル。ヴラドもいるナラ、かなり回復できるハズ。王国にいる魔族全部の命ヲ、残らズ吸い尽くしてヤル!」


 こみ上げる笑いをなんとか耐え、ルクスディアは大きく息を吸い込んだ。


略奪の逆刻印プラエドー・ペルペトゥウス


 全身に満ちるエネルギー。

 美貌を保ち、圧倒的な強さを与える力の源。ほんの先程まで肉体の隅々に行き渡っていた、熱い他者の生命。

 再び満ちるその鼓動に、ルクスディアは思わず微笑む。


「……アレ?」


 はずだった。

 体に変化は無く、待てど暮らせど力は戻って来ない。


「ウ、ウソ……ウソよ! もう一度!」


 何度試しても結果は同じだった。


「なんデ……」

 

 八〇〇年以上を生きた魔王が、生まれて始めて直面した理不尽。

 逃げることすら忘れ、汚い路地にただただ立ち尽くした。


「おや、驚いたかな?」


 突然、頭に聞き慣れぬ声が響いた。

 それがテレパシーの一種だとすぐさま理解したが、同時に説明できない違和感を感じ取っていた。


「誰ダ貴様ハ!」

「ナミラ・タキメノだよ。目を瞑ってみるといい」


 憎らしい名を聞きつつ、罠がないことを確認したルクスディアは声に従った。

 瞼の裏に浮かんだのはたしかにナミラの姿だったが、聞こえる声は別の男のものだった。


「アタシにナニをしタ!」

「いきなりそれか。まぁ、いいだろう。教えてあげるよ」


 苦笑するナミラからは、先程まで昂っていた怒りが感じられない。

 

「マーラとヴラドを呼んで、の反転した刻印を調べさせてもらった。それで、力を奪う特性を中和しただけだよ。分析と構築は得意でね」


 柔らかな笑みが、無自覚に怒りを誘う。


「すべてノ魔族ニ施したと言うノカ? そんなマネできるハズがなイ! 魔王の力ダゾ?  フザケルナ!」


 羽をバタつかせながら、耳を突く嘶きで反論する。


「できるさ、ぼくなら。きみも魔王なら知っているはずだよ」


 掴みどころのない声の主が、かすかにドヤ顔を浮かべた。


「今話してるぼくは、ナミラの前世だよ。ほら、さっきリッパーマンの顔に触っただろう? そのとき蘇ったんだ。きみと縁のあるぼくがね」


 いぶかしんでいたルクスディアだったが、すぐに青ざめ震え始めた。

 裂けた口の向こうで、歯がカチャカチャと鳴る。


「その前世……お前……いや、貴方ハ!」


 ナミラの体に、薄紫の肌をした魔人の姿が重なった。


「初代魔王サタン!」

「正解。まぁ、ぼくは瘴石に代わる生命力分配のシステムとして、魔王を確立しただけさ。当時は魔族の革命者とかって言われたなぁ」


 魔族の間で伝説として語り継がれる初代魔王は、不敵に笑った。


「まぁ、といっても当代の魔王はきみだから、刻印を消すことはできない。ぼくにできるのは、ここまでさ」

「ナニを言って」

「……ぼくはナミラでもあるんだよ? なにもしないわけないよね? さぁ、そろそろ目を開けたらどうかな? この恥さらしの愚か者」


 ハッと意識を現実に戻し、ルクスディアは目を開けた。

 不気味なほど静かに自分を囲み、直立不動で見下ろす影がある。


 マーラとヴラドが、長年出会えなかった仇とついに対峙していた。


「ア、アハハハ」


 乾いた笑いを聞いても、二人は微動だにしない。

 

 もちろん、言いたいことは山程ある。

 積もりに積もった怨みや憎しみ、昂った怒りを思いつくかぎりの言葉でぶつけようと思っていた。

 受けた屈辱を晴らすためにはどんな苦しみを与え、どれだけの数の拷問をすればよいのだろうと考えた。

 しかし、実際に目の前にしたとき。

 様々な感情が頭を駆け巡り、すべてが真っ白になった。マーラとヴラドは僅かな思考もできなかった。


 ただ反射的に、無意識に。

 涙を流して黙々と。

 気づけば拳を振り下ろしていた。


「オゲッ! ちょ、マッテ、ア、アタシ! アタシを! ダレだッどッ!」


 瞬きすら忘れていた。

 ぶつけたい言葉が多すぎて喉に詰まる。


「アぶッ! 魔、王ダゾ! まブファ! ギャッ、や、ヤメ、て」


 だが、言葉以上に行動が物語る。


 憎しみの深さを。

 悲しみの大きさを。

 奪われたものの多さを。

 

 ルクスディアによってもたらされた、悲劇の数々を。


「コノ……コノ、餌、ドモガァ!」


 歯がへし折られ舌は千切れかけ、内臓が潰れた血塗れの口から飛び出した言葉。

 最大の侮辱が、二人のなにかを切り捨てた。


「わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 堰を切ったように吐き出される叫び。

 積年のすべてが拳に込められ、一心不乱に振るわれた。


「オグッ! ガバッ! ソ、ガァ!」


 みるみるうちに、マーラたちの足下には血溜まりができた。

 その中心にはがあり、動くことはなくなっていた。


「……まだ、足んないわよ」


 肩で息をしながら、マーラが呟いた。


「ギャバアッ!」


 そのとき、地面を流れた血の中から小さななにかが飛び出した。

 それは今や、小鳥と同じ大きさにまで成り果てた魔王。歌うことすら不可能となった、逃げ惑うだけの哀れな姿。


「ナミラ様ぁ!」


 マーラは力の限り叫んだ。

 結界の中では、二人は十分に動くことができない。


 故に呼ぶ。

 雪辱を果たてくれる、男の名を。

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