正道教

「うーん・・・この人は、とりあえず当たりにしておくかな・・・」


それは、すでに夜半を過ぎようかという時刻。

ラフな服装に着替えた一也は、街を、おもに路地裏をさまよっているようだった。


「酸化の臭気がわずかなのはすごいけど、もう少し喉に引っかからなかったら、最高だったかもしれない」

女性のスーツにかからないよう気をつけながら、口に残った血を吹き捨てていた。


ふむ・・・。

そろそろ眠いけど、あと一人くらいは獲物を探しておくか、と少年はていねいに彼女の髪をうなじに戻していく。


ーー ヴァンパイアにも、それなりに生気の好みはあったりするのだ。


人間の血液は、おおむねph7.4前後弱アルカリ性に保たれているが、酸性の肉や、菓子などを多く摂っている者の場合、それを中和するために体にストレスがかかっていて、血にもクセのある雑味やねばりが加わる。

高価なものや、化学調味料のごった煮のような食品をありがたがる人間ほど、安価な自然野菜の力を見失っている、未来の疾病者が多いのだ。


(……なぜか品位を感じられる人間ほど、本能でそういったことを理解しているのか、澄んだ血の味がするんだよな……)


次は、仕草が綺麗なのを確かめてからにしよう、と少年は女性を大通りへやろうとしていた。


「あ……」

うつろな声を出して、肌を紅潮させた女性が、突然もたれかかってくる。

(うえっ?)


魅了チャームが効き過ぎて、他者への嫌悪感が全くなくなったのか?

「息! 息がかかってるって!」

シャツの襟首あたりが何やら熱くなって、自分が起こさせた感情のはずなのに、流されそうになった。


(ずいぶん、狩りの間をあけてたからかな・・・。

でも、こんな雑居ビルのすき間で、がっついてるなんて)

『不死者の王』などという種族から、どんどん落ちこぼれていっているかもしれない。


どうにか女性を引きはがしても、むなしい呼吸が相手に残り、やり過ごすのは苦しそうだった。

「お前はヘタクソだな」と、彼女の上下している肩に、言われている気までする。

……うあぁ。


「ーー?」

その時、ふいに上を向いたからだろうか。

自分でもまったく予期していなかった気配が、動いたように感じる。

・・・なんだ?

一也は、思わず歩幅を広げていた。

(まさかこれは ーー 。食事中だったとしても、ぼくが気付かないなんて!)

うろたえて目を凝らしてみると、かぶさっていたような気配が、ビルの上層から消えようとしている。


もしかして、主に先日注意されたばかりの、修道女追っ手なのか。

少年は知らず、行動に出ていた。

溜めていた魔力を放出し、吸血鬼としてはポピュラーな蝙蝠こうもりへと、姿を変えていく。

・・・なかなか間抜けな変身になるのだが、やはり慣れたものの方が、動きやすいのだ。


(あいつらは、新約神との新たな契約 を聖書とする、『福音の使者』のような存在じゃないからな・・・)


「何か、ご用でも?」

(ーーっ!)

飛び上がってすぐに、ビルの屋上でふり返られてしまった。


こいつらは、いったい何て呼ばれていたんだったか・・・。一也は、その嫌味な名前を思い出そうとしている。


ええと、『原罪の使徒』とかいう、旧約集団だったような。

ふるいほうの聖書は、律法の色合いが強くて、よりきびしいイメージがあるんだよな)


「・・・ちょっと、驚いたんでね。こっちは、相野一也っていうんだけど」

修道士たちと同じ建物に着地しながら答え、少年は、やれやれというように人の体へもどっていく。


「もちろん、よく存じておりますよ」

そう言って頭を下げた一人の女性は、鷹揚な仕草をみせていた。

彼女のまわりで動きを止めていた数人も、おたがいに距離をとっており、目は完全にわっている。


「たしか、あなたは英名ではアルフ=ウエイン様だとか・・・。私は、イレイナ=フレードと申します」

(・・・やはり、こいつがそうか)

どうも、耳障りな名だった。


その『十字の切っ先』と呼ばれる異名は、教徒の中でも異例だと言われる神聖力と、魔族狩りの群を抜く数で知られていった、教会極右の先鋭 ーー


「我々の前に立つ、ということの意味は理解されているのでしようか?」

被っていたフードをはずし、流れるような金髪を耳にかけるが、周囲の人間は重心を沈めている。

細い銀剣が背に・・・しつけのいい猟犬たちだった。


「僕はただ、大陸の使者がどんな人間か、見ておきたくてね」

くだけたように手を広げて、一也は言う。

「ずっと大人しくしてきたんだし、これからもそれは変わらないよ」


正直、逃げ切る自信がない。

「ーー そうですか」

彼女は部下に合図すると、興味なさげに一度うなずいてみせた。

「私どもは急いでおりますので。これで・・・」

くるりと体の向きを変え、足音もさせずにその場を離れていく。

(!)

ーーあれはーーまさか。

見下されていたことも忘れ、一也はただ、呆然としていた。

(混色の瞳、なのか?)


『そうそう。あなたのあるじの、アイヴィ=ローランド卿にもどうかよしなに ーー』

残されていったその言葉に、不吉な思いだけがふと、よぎっている。


「これは・・・。どうも厄介なことになりそうですよ、先輩・・・」


少年はひさしぶりに、体全体が動悸を打っているのを感じていた。



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