大切な人がいるという事

 美月と奈々達以外の気配を感じない放課後の学校は、まるで別世界のように思わせる。

 その閉鎖的な空間の中で、美月は罵詈雑言を吐かれ続けていた。


「自分が黒瀬くんの1番の理解者だって勘違いしてるのかな? お馬鹿さんなんだね」

「黒瀬くん、言い寄ってくる子が苦手って言ってるんだよ? そっとしておいてあげられないの?」

「お前さ、ちょっと綺麗な顔してるからって、黒瀬くんと釣り合い取れるなんて勘違いしちゃったわけ?」


 逃げる事はできたかもしれないがそれは嫌で、美月は真っ向から言葉を受けていた。すると徐々に壁際に追いやられ、逃げ道を失っていた。


 あーもう、早く終わって。


 そう思う美月の心境が顔に出たのか、奈々が鼻で笑うと、とても楽しそうな声を出した。


「ねぇ、親友の好きな人を奪い取ろうとするのって、楽しい?」

「そんな事、あるわけないでしょ」


 途端に、先輩達も馬鹿にしたように笑い出す。

 けれど美月は、あまりにも馬鹿馬鹿しい質問に呆れ返った。

 しかし、奈々は改めてうっすらと笑みを作ると、首を傾げた。


「そうなの? 夏海ってバカそうだし、性格がアレな白石さんが、そういうのかと思ってた」

「——っ! あんたに、夏海の事、悪く言われたくない!!」


 大切な親友を嘲られ、美月はさすがに我慢できなかった。


「うっざ。夏海もあんたも、同じ事言うんだ。さっすが『親友』だねぇ」


 そう言った奈々の表情が、変わった。

 次の瞬間、美月の胸元が掴まれ、壁に叩きつけられた。


「いっ……!」

「本当にさ、あんたも夏海も、黒瀬の周りうろうろして、イライラする!!」

「そんなの、私達には関係ないじゃない!」

「じゃあ明日から黒瀬に近付かないでよ!」

「そんなの無理に決まってるじゃない。それぐらいわかってるでしょ!?」

「あんたは頷くだけでいいんだよ!!」


 美月の言葉が引き金になったのか、奈々が手を振り上げた。

 その瞬間、聞き慣れた声が教室に響いた。


「白石に、何してんの?」


 何してんのって、そっちこそ……。


 あまりのタイミングの良さに、美月は呆気にとられた。


「なんで黒瀬くんが、ここに?」


 動揺した先輩達が美月から離れ、扉の側で佇んでいた道着姿の黒瀬に呟く。


「白石がピンチだったから。なんてね」


 ふざけたように言いながら、黒瀬はこちらに向かってくる。

 それに驚き、奈々も美月から離れた。


「本当にさ、白石の事が気になったから、だったらかっこよかったんだけどね。情けない事に、伊吹いぶきさんの友達が教えてくれたんだ。『伊吹奈々って覚えてる? その子が白石さんに変な事しそうだから、見てきて。私達はあんたの女関係に巻き込まれるの嫌だから、あとはよろしく』、ってね」


 黒瀬の言葉に奈々は顔を歪ませ、舌打ちした。


「ってわけなんで、俺の事で何かあるなら、今、直接どうぞ」


 そう言いながら、黒瀬は美月を背に隠した。


「別に、何も……」

「私達も、伊吹さんに言われたから仕方なく……」

「そうそう! 伊吹さん、止めようと思って!」


 あまりの変わり身の早さに、美月は奈々に少しだけ同情した。


「そうですか。それなら前にも言いましたが、皆さんの気持ちには応えられません。俺は、あなた達を好きにはなりません」

「前にも、って?」

「俺、告白して来た人は覚えてるんだ。右から朝比奈あさひな先輩、椎名しいな先輩、夏木なつき先輩、ですよね?」


 美月の呟きに、黒瀬は淡々と答える。

 だが、先輩達がお互いに抜け駆けをしていた事実が明るみになり、美月は何とも言えない空気の流れを感じた。


 その間に黒瀬は袴の隙間に手を入れると、どこからかスマホを取り出した。


「はい、チーズ」


 ピロン


 この場に不適切な可愛らしい音が響き、しんと静まり返る。


「うん。よく撮れてる。白石もそう思わない?」

「えっ? あっ!? う、うん……」


 よく撮れてるって、自撮りじゃん!


 満足そうな黒瀬にスマホを見せられ、美月は動揺した。


、大丈夫でしょ? あとで白石にも送っておくね」

「えっ!? えーっと……」


 確かに、これなら彼女達を撮ってるわけじゃないから大丈夫だけど。

 黒瀬は何を考えてるの?


 黒瀬の行動が理解できないまま、体を傾けた彼の向こう側の人達を見た。すると、みな気の毒なぐらい青ざめた顔をしていた。


「ちょっ、写真なんか撮って、意味ある?」

「今後も白石と花咲に何かあった時の証拠に、ですけど? あ、ちなみに白石に怒鳴ってる時の写真もこっそり撮ってあるので、今日の事は言い逃れできませんよ? 内申に、響かないといいですね」


 先輩の呟きに、黒瀬は雑談でもするように軽い調子で答えていく。きっと写真なんて撮っていないはずなのだが、先輩達は更に青ざめた。

 しかし、奈々だけが無表情になり、黒瀬に問いかけた。


「なんで白石さんだけじゃなくて、夏海も?」

「さっき、『あんたも夏海も、黒瀬の周りうろうろして、イライラする!!』って声が聞こえたから」

「は? それだけ?」

「そう。それだけ。だって俺の大切な人の親友は、俺も大事にしたいから」


 奈々が質問の答えに目を見開いた時、ドタドタと慌ただしい足音が近付いてきた。

 誰かが先生でも呼んだのかと思ったら、またしても意外な人物が現れた。


「美月! 無事っ!?」

「夏海!?」

「ちょっと、待って! 夏海、穏便にね!」


 ユニフォーム姿のテニスラケットを手に持った夏海が、教室に飛び込んできた。

 それに続いて息切れをした理沙が現れ、夏海の肩を掴んだ。


「はやぁ。美しい友情、ってやつだね」


 少し遅れて、ほんのり上気した顔の美香も姿を見せた。

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