言葉にする事

 美月は保健室のベッドに横になりながら、黒瀬の真っ直ぐな視線を受け、戸惑った。


「なんでそんなわかったような事……」

「白石が辛そうな時は、何かを隠している時だから」


 やけにはっきりと言い切る黒瀬に疑問を抱きながら、それなら全部言ってしまおうかと、美月は浅はかな考えが浮かんだ事に笑った。


「なんで笑ってんの?」

「ちょっとね、具合が悪いからか、変な事考えちゃって」

「じゃあさ、その変な事、俺に話してみたら?」


 話すつもりなんてなかったのに、黒瀬があまりにも優しい声で話しかけてきて、美月の気持ちが揺らいだ。


「俺の目を見て話すのが嫌ならさ、目を閉じて、ただただ浮かんだ言葉を声に出してみればいいよ。少しはすっきりするから」


 黒瀬のあまりにも優しい表情と声に、美月の心に行き場をなくした想いが溢れた。

 だから素直に瞳を閉じ、そっと想いを吐き出した。


「……私、今までの関係が壊れるのが、怖かった」

「うん」

「結局、夏海にちゃんと話せないまま、壊れちゃった。それなのに、私は、夏海とも、黒瀬とも……元に戻りたいって、思って……」

「うん」

「でもね、元に戻るのも、苦しいの。前よりももっと、苦しい」

「うん」


 薄暗い世界の中で震える声を出す美月に、黒瀬は相づちを打ち続けてくれる。

 だから美月は、話し続ける事ができた。

 そして、自分がたどり着いた答えを口にした。


「私ね、夏海と黒瀬に、私の本当の気持ちを知ってほしかった。それでね、その後でも、同じような関係を続けたかったと、思った。そんな事、不可能だって、わかってるのに。それでも、夏海と黒瀬と、一緒にいたいの。2人の気持ちなんて無視して、私は……本当に最低な人間なんだって思った」


 美月はそう言うと、口を閉じた。

 すぐに黒瀬の相づちが聞こえるかと思っていたが、しばしの沈黙の後、彼の静かな声が聞こえてきた。


「別に、最低でもなんでもない。居心地のいい空間を壊すのは、誰だって怖い。それにさ、壊したのは俺だから」

「えっ?」


 黒瀬から意外な言葉が返ってきて、美月は思わず目を開けた。


「あの日はさ、限界だったんだ。自分の好きな人が、親友と俺をくっつけようとしている事に気付かないフリをするのが」


 黒瀬の眉を寄せた切なそうな表情に、美月の胸がぎゅっと痛んだ。


「だからわざと、普段の話題とは違う事を白石に聞いてみたんだ。そうすれば、少しはこの現状が変わると思ったから」


 黒瀬はそう言うと、真っ直ぐな眼差しを美月に向けてきた。


「白石の表情が変わって、俺は嬉しかった。親友の好きな人としてじゃなくて、俺自身をようやく見てくれたって思ったら、もう、止まらなくて。白石と花咲の友情にヒビを入れる事はわかってたんだ。でも、それでも、俺は後悔してない」


 ここまで言い切って、黒瀬は軽く笑った。


「たからさ、白石だけが最低じゃない。俺も、最低なの」


 改めて黒瀬から告白された放課後を思い出し、美月は胸がいっぱいになった。


 黒瀬も、たくさん悩んでいたんだ。

 いや、悩ませてしまってたんだ。

 それなのに、今の私の話を聞いても、なんでそんなに優しくしてくれるの?


 そう思ったからか、美月の口は自然と開いた。


「黒瀬は最低じゃないよ。自分の気持ちを隠してまで私に付き合ってくれてた。だからね、こんな事言うのは変かもしれないけど、ありがとう」

「白石、それさ、自分の事だって気付いてる?」


 黒瀬の言葉の意味がわからず、美月の反応が遅れた。


「白石がどんな気持ちで隠し事をしていたか、聞けてよかった。教えてくれてありがとう」


 ありがとうって……。


 とてもひどい事を伝えたはずなのに、目の前の黒瀬の笑みは優しい。

 だからか、今まで泣く事を我慢していた美月の視界が歪んだ。


「なん、で……?」

「親友の花咲と同じぐらい、俺を大切に思ってくれてたんだって知る事ができて、嬉しかった。だから、ありがとう」


 優しい笑みを浮かべたままの黒瀬が、美月の顔を覗き込む。


「花咲にも、ちゃんと話せるといいな」


 そして黒瀬の手が、美月の頭に軽く触れた。


「白石、この事誰にも話せてなかったんだろ? 1人でよく頑張ったな」


 黒瀬の言葉が美月の耳に届いた瞬間、涙が堰を切ったように溢れ、思わず両手で顔をおおった。


「わた、し、お礼、とか、頑張った、とか、言われる、立場じゃ、ない」

「そんな事ない」

「だって、夏海も、黒瀬も、きず、つけて」

「それなら俺だって、今もこうして花咲を傷付ける行為をしてる。でも、花咲を受け入れたら、今度は別の誰かが傷付く。恋愛ってさ、そういうものなんじゃない?」


 ゆっくりと頭を撫でる黒瀬の優しい声が、美月の心にじんわりと染み込んでいく。


「だけどさ、それでも、やっぱり好きだと思う気持ちは止められない。だから誰だって、自分の想いに気付いてほしいって、思うんだろうな」

「……そう、だね」


 自分がほしい言葉を紡いでくれる黒瀬の声と、頭を撫で続けてくれる彼の手の温もりが心地良くて、美月の気持ちは徐々に落ち着いていった。


「あとさ、白石は花咲の事、もっと信じてあげたら? 親友だからこそ、ちゃんと話してもらえないのって、嫌じゃない?」


 あぁ、そっか。

 私はきっと、夏海に自分の考えを受け入れてもらえるって、信じてなかったんだ。

 私が黒瀬を好きだって言ったら、それだけで私達の関係は終わってしまうって、決めつけてた。

 それならもう1度、ちゃんと話し合わなきゃ。

 夏海は私の親友なんだから、ちゃんと伝えなきゃ。


 次は、隠さない。

 

 私も黒瀬が好き。

 でも、夏海とも、親友でいたい。

 わがままだけど……、わがままだけど、ちゃんと伝える。

 その後で、私は黒瀬に対して答えを言おう。

 今はまだ、彼との今後をどうしたいのか、わからないから。

 でも、ここまで自分の事を教えてくれた黒瀬には、本当の気持ちで応えたい。

 

 心の中で決意を固めていた美月は、涙を拭いながら両手をどけた。


「もう1度、ちゃんと話してみる」

「今度はちゃんと話せそうだな。もしちゃんと話して何かあったら、また俺の前で泣けばいいよ」

「黒瀬は優しすぎるよ」

「俺に対して、白石の好感度は上がった? 俺の事、もっと知りたくなったでしょ?」


 冗談なのか本気なのかわからない黒瀬の表情を見て、美月は笑いながら頷いた。

 そして、先ほどまでの胃の痛みがずいぶんと軽くなった事に気付く。

 優しく自分を見守っていてくれた黒瀬を好きになってよかったと、美月は素直に自分の気持ちを受け止められるようになっていた。

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