第10話 最強の陰陽師 10

大英社の『月刊パラノーマル』編集部に


出社してきた桜子は、気もそぞろだった。


極楽寺から連絡があるのは、


今週の金曜日、つまり明日だ。


しかし、その明日までが、


気の遠くなるような時間に感じられた。


彼女の不穏な様子に気づいた矢内は、


それとなくミーティングルームに誘った。




「何?弟さんも見ただと?」


桜子の話を聞いて、


矢内は額に手を当てて立ちすくんだ。




「迂闊でした」


桜子も反省の色を滲ませて、頭を下げる。




「パソコンにパスワードぐらいかけとけ!」


矢内の語気も荒くなる。




「それで、フジ丸君の力は仰げそうか?」


矢内の問いに、桜子は苦笑の表情を刻む。




「それが、三日後に先方から


  連絡するとだけ聞いていまして・・・。


  こちらから連絡するする手段が見つからないんです」




「変だな。たしか光明僧正は


  スマホを持ってたはずだが・・・」


矢内が怪訝な顔色を浮かべた。




「え?そうなんですか?


  編集長、その電話番号教えてください!」


幸い、矢内も桜子もアイフォンだったので、


エアドロップで電話番号を知ることができた。




桜子はその場で、光明僧正に電話した。


コール音が鳴り続ける。スマホを握り締める手に力が入る。


もうこのまま、連絡がつかないのではないか?


そして、自分も弟も、あの忌まわしき呪いの映像によって、


憑き殺されるのではないか?


という思いが頭の中を駆け巡っていた。


あきらめかけて、直接、極楽寺に行こうかと思った時、


ようやく光明僧正の声が受話口から聞こえた。




「もしもし?先日は取材させていただいて、


  ありがとうございました。


  『月刊パラノーマル』の玉置桜子です。


  ウチの矢内からそちらの電話番号を知って、


  連絡しました」


桜子は、なるべくこちらの動揺を


伝わらせないように、無意識に平静を保った声で言った。




「ああ、玉置さんですか。


  どうしました?何かあったのですか?」


光明僧正は、落ち着いた声でそう言った。


いつもの業務的で冷静な声で話していたにも関わらず、


光明僧正には桜子の不安が伝わったらしい。


そのことに、桜子は改めて驚嘆していた。


この僧侶は電話越しでも、相手の心の内が読み取れるらしい。


だが今は、そういうことに驚いている場合ではない。




「あの、その時おっしゃっていました


  京都の陰陽師の方を


  紹介していただけないかと・・・」




 そう言った桜子の言葉を、


光明僧正は遮るように口を開いた。




「それには及びませぬ。


  フジ丸が退魔する事を許しました」




「え?フジ丸君が?」




「さよう。それで今は三日間の行に入っていましてな。


  開けるのは、来週の月曜日の朝になります」




来週の月曜日―――。


桜子が、呪いの映像を見たのは月曜日の午前0時頃だった。


ということは、タイムリミットぎりぎり・・・。




桜子は覚悟を決めた。自分だけではない。


弟の命もかかっているのだ。




「わかりました。では、来週の月曜日に、


  こちらから連絡させていただきます」




「いやいや、フジ丸からそちらへ電話させます。


  何時頃がよろしいですかな?」




「いつでも結構です。ご連絡お待ちしています」


電話は切れた。


矢内はいつの間にか、桜子の真後ろで耳をそばだてていた。




「編集長、盗み聞きしないでください」


桜子は口を尖らしながら、振り返った。


彼女の目に映ったのは、にこやかな表情を浮かべ、


子供のように瞳をキラキラさせている矢内の顔だった。




「やったな!玉置。フジ丸君が出て来るなら、


  もう怖いもの無しだ」


まるで自分の事のように喜んでいる。


どうやら矢内はフジ丸に、全幅の信頼を寄せているようだ。


あの若者の、どこがそんなに凄いのか?


桜子には見当もつかない。


そんな桜子をよそに、矢内は小躍りするような気配で言った。




「オレも久しぶりに見たいなぁ。フジ丸君の方術」




方術?何それ?っていうか、


久しぶりって、どういうこと?




「編集長、オカルトなんか信じてないって


  言ってましたよね?


  久しぶりって、前にも似たような事があったんですか?」




矢内は瞬時に真顔になる。


軽く咳払いをして、桜子に向き直った。




「オレはだな、いい記事が書けるんじゃないかと、


  そういう意味でだな・・・」




言い訳になっていない。


桜子はため息をつくと、矢内に言った。


「来週の月曜日は編集部には出ずに、


  フジ丸君からの連絡を待って、直行します。


  それでいいですか?」




「モチのロンだよ!」


昭和の匂いを感じさせる言葉を吐くと、


矢内はスキップするように、ミーティングルームを出て行った。


その場に取り残されたように立っていた桜子は、


窓外のビル街を見やって、肩を落とした。




それから三日間、桜子は仕事も上の空でミスばかりしていた。


だが、事情を知っている矢内は、特に怒ることもせず、


やんわりと注意しただけだった。


やがて週末の休みに入り、月曜日の事を考えていた。


というより、言い知れぬ不安が頭をもたげて、


頭から離れないのだ。




ミイラ化して三谷健介が死んだのは


先週の月曜日だったが、それが遥か昔のことのように思える。


彼は、不安を感じなかったのだろうか?私のように―――。


三谷は技術者で科学的なものしか信じてはいなかった。


かつては自分もそうだった。ただ彼と自分が違うのは、


たとえわずかな可能性でも、


非科学的なものを受け入れたかどうかだけだ。


何も起こらなければ、やはり単なる都市伝説の一つだと、


笑い話になる。




しかし、もしも・・・もしもそうでなかったら―――。




桜子はローテーブルの上にのっている、


スマホを見つめていた。今、その真偽を確かめる術は、


あのフジ丸という若者に頼るしかない。


自室に閉じこもったまま、


一歩も外に出ようとしない彼女を心配した母親が、


部屋まで食事を運んできてくれた。


桜子は、その食事にほとんど手をつけず、


そして眠気さえも感じていなかった。




やがて夜も更けると、さすがに眠気が襲ってきた。


桜子はまぶたが重くなるのを自覚しながら、


うつらうつらし始める。


夜が白みかけ、窓にかかったカーテンの隙間から、


朝陽が差し込む頃、何の前ぶれも無く、


スマホがコール音を響かせた。




ローテーブルに俯いて寝ていた桜子は、


飛び上がるように目を覚ました。


彼女はスマホを鷲掴みにすると、


通話のアイコンをタッチして耳にあてる。




「もしもし?」


そう言った桜子だったが、


声が老婆のようにしわがれているのが、自分でもわかった。




「オレです。フジ丸です」


フジ丸の声を聞いて、


安堵のあまり大きくため息をついた。


ただ、フジ丸の声が、以前会った時と違うことに気づいた。


あのチャラくて能天気な声ではない。


とても疲弊しているように聞こえる。




『桜子さん、風呂に入って


  体きれいにして来てよ』




いきなりの言葉に、桜子の眠気は一気に吹き飛んだ。


顔が自然に紅潮する。


フジ丸は何を言っているのか?


まるで、長年付き合った、デートに行く前の


カップルが交わすセリフのようだ。




「ちょ・・・、ちょっと、何考えてるの?」


それでも桜子は、感情を出来るだけ抑えて、


たしなめるように言った。




『何って、体を清めて来てほしいんだ。


  ただ、洗ってくるだけでいいから、簡単だろ?』




何だそういう意味か・・・。


そう思った桜子は勘違いした自分が急に恥ずかしくなった。




「あのね、フジ丸君。前から思ってたんだけど、


  話す順番がまぎらわしいのよ」




『まぎらわしいって?』




フジ丸の声音は、無邪気にさえ聞こえた。


彼に問い返されて、桜子は返答に困った。


咳払いして、動揺している気配を悟られないように誤魔化す。




「それで、私はどこへ行けばいいの?」




『極楽寺に来てくれるかな?』




「わかったわ。シャワーを浴びてから、すぐに向かうから。


  1時間後にはそちらへ着くと思うわ」




スマホを切ると、桜子は急いでバスルームに直行した。


シャワーを浴びると軽く食事を済ませ、、


身支度を整えると母親に声をかけた。




「今から仕事だから。今夜は遅くなると思う。


  夕飯は外で食べるからいいよ」




何か言いかけた母親をよそに、


桜子は敷地内の駐車場に足早に歩いていった。


停めてある赤いトヨタ・アクアに乗り込み、


エンジンをかける。


ハンドルを切ると、桜子は一路、極楽寺へ車を向けた―――。

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