第8話 最強の陰陽師 8

桜子はエレベーターを降りて、1階のロビーに下りた。


六百平米ほどもある広大なロビーには、


数十人の人影があったが、フジ丸らしき者の姿は見えなかった。


受付にも、大英社の発行している書籍や雑誌を


収めているラックの傍にも、掲示板の前にも、


フジ丸らしき姿は確認できない。




辺りに目を配りながら、


服装などの特徴を聞いておけば良かったと、


桜子は悔いていた。


寺の僧侶が、普段どんな物を身につけているのか、


見当もつかない。


その時、不意に彼女の背後から声が掛けられた。




「桜子さん!」


振り返ると、そこにフジ丸が立っていた。


彼の姿を見て、桜子は目を丸くした。


彼はダメージの入ったGジャンを着ていて、


腕には肘まである黒い皮革のグローブを着けていた。


そのグローブには、夥しい数の金色に輝く鋲が


打ち込まれている。


下はゆったりとした茶色のカーゴパンツを履いており、


これもまた金色の鋲がいくつも打ち込まれた


幅広の黒皮革のベルト2本を、クロスするように腰につけていた。


だぶついたカーゴパンツの裾は


真っ赤なハイカットのバスケットシューズにねじ込んでいる。


それはまるで、パンクロッカーのようないでたちだ。


桜子を最も驚かせたのはそれだけではない。


フジ丸の丸刈りの頭をすっぽりと白地のハチマキが覆っているのだが、


そのハチマキの額の中央には真紅の日の丸が大きく描かれており、


その日の丸をはさむようにして、『極楽』という文字が、


達筆の墨文字で書かれていた。


その姿は先日、とてもあの厳粛な寺で会った修行僧とは思えなかった。




「そんなカッコしてるから、


  あなただとは気づかなかったわ」


ようやく平静さを取り戻した桜子が、


ぎこちない笑みを浮かべた。




「オレ、外に出る時は、だいたいこんなカッコっスよ」




口調までが、別人のようだ。軽い。軽すぎる。


これじゃチャラ男だ。


桜子は目の前にいる人物が、本当に極楽寺で会った、


あの凛としていた修行僧と同一人物なのか怪訝な気持ちになった。




「とにかく、お話聞きたいので、こちらへ」


桜子は、1階にある接客用のミーティングルームに


案内しようとした。すると彼女の背後から、


ぐるるるるるっという音がした。


桜子が振り返ると、フジ丸が照れたように頭を掻いている。




「ごめん。オレ、朝から何も食ってねえんだ」




桜子は眉をしかめた。


「だったら、向かいの喫茶店で食事しながらお話しましょ」




「あの、オレ、交通費しか持ってねえんだけど」


フジ丸が申し訳なさそうに言った。




「食事代は経費で落ちるから、気にしなくていいわ」




桜子がそう言うと、フジ丸の顔が満面の笑みに輝いた。


二人は大英社の正面玄関から国道を挟んである、


喫茶『フェアリー』に入った。


まだ昼前とあって、客の数はまばらだった。




フジ丸と玉置桜子は、窓際の席に座った。


ウェイトレスがメニューを持ってやってくる。


フジ丸はちらりと、桜子の方を見た。


彼の気持ちを察した桜子は、手を軽く振りながら言った。




「何でも好きなものを頼んでいいわよ」




フジ丸はニンマリと笑った。そして注文を始めた。


「オムライスにカツカレーとチャーハン、それにステーキセット」




桜子は口をあんぐりと開けた。


「ちょっと待って、私はコーヒーだけでいいんだけど」




「オレが食いたいんだ」


桜子は再び、呆気に取られた顔をした。




「ご注文の順番にお出しすればよろしいですか?」


ウェイトレスの顔にも驚きの顔が浮かんでいる。




「ああ、なるべく早くね。腹が減って死にそうなんだ」


ま、いっか・・・桜子は呆れながら嘆息した。




数分後、運ばれてきた料理を、


フジ丸は次々と平らげていった。


見ているこっちがお腹いっぱいになりそうだと、


桜子は冷めた目で彼を見ていた。




「ねえ、お坊さんて、肉を食べてもいいの?」


ステーキをほおばっていたフジ丸が顔を上げる。


口の中の肉を飲み込むと、フォークを立てながら言った。




「ああ、オレ、僧侶じゃねえから。


  まあ、今時の僧侶は肉でも何でも食べるけど。


  ウチのじっちゃんは特別なんだよね。


  何しろ完全な菜食主義なんだ。


  それにつき合わされるオレはたまったもんじゃえよ。


  毎日毎日、お粥やら具の無い味噌汁、


  それに漬物ばかりで身がもたねえっつの」


フジ丸は一気にまくしたてると、またステーキにかぶりついた。


そして思い出したように、また口を開いた。




「それとオレ、僧侶じゃなくて陰陽師」




陰陽師―――。


桜子はすっかり失念していた。矢内が言っていたではないか。


彼は最強の陰陽師だと・・・。桜子はあらためてフジ丸を見た。


陰陽師という者が何なのかはわからないが、


『最強』などという冠がつくような人物にはとても思えない。


ただの大食らいのパンクロッカーにしか見えなかった。




「あー、食った食った。で、何の話だっけ?」


フジ丸は楊枝をくわえて、飄々と言った。




その様子を見て、桜子は呆れた口調で言い返した。


 「まだ何も言ってないけど」




「あ、そっか。桜子さんに物の怪の呪詛が


  掛けられてるって話だったよね」




「そのことなんだけど、私、


  そういう非科学的なもの信じてないから。


  呪いの映像を見て、一週間後にミイラになって死ぬなんて、


  到底信じられないでしょ」」




彼女の言葉を聞いて、フジ丸は急に真顔になった。


「一週間後か・・・。そこに意味があると思うな」




フジ丸は、桜子の意見を無視しているかのように言った。


続いて桜子に訊いた。


「桜子さんが、その呪いの映像を見たのはいつ?」




「昨日の月曜日よ」




「月曜・・・ということは六曜が経過する時か」




「あの、さっきからわけわかんないだけど。


  六曜とかなんとか。まず陰陽師って何なの?


  映画とかで見たことはあるんだけど、


  いまいちわからないのよね」




「陰陽道とは天文道、暦道といったものの一つでさ。


  これら道の呼称は陰陽寮における儒学を教える明経道、


  律令を教える明法道等と同じで国家機関の各部署での


  技術一般を指す用語なんだよ。


  思想ないし宗教体系を指す意味でもないんだ。


  日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系ってことかな」




フジ丸の説明を聞いても、


桜子にとってはチンプンカンプンだった。




「―――つまり、占い師ってこと?


  妖怪退治の専門家だと思ってた」


そこで桜子は苦笑を浮かべた。




妖怪退治?なんだか馬鹿馬鹿しく思えてきて、


自然と自虐的な笑いが込み上げてくる。




「話を元に戻すけど、六曜ってのは


  先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順で巡ってくる。


  そしてそれらはは火、水、木、金、土に呼応するんだ。


  これが陰陽五行ね。


  それに日と月が加わって七曜となる。


  その物の怪が何者かわからないが、


  おそらくその七曜を刻むことによって、


  封印が解かれて呪力を発動してるんだと思う。


  だから一週間後に呪詛を掛けた人間に襲い掛かってるんだ」




フジ丸の話を聞いても、桜子にはやはり理解できなかった。


あまりにも突拍子もない非現実的な話にか聞こえない。


浮かぬ顔の桜子をよそに、フジ丸の語りは続いた。




「オレの読みだと、その物の怪はかなり強力な奴だ。


  桜子さんに掛けられた呪詛を何とかして解呪したい」




そこで桜子は単純な疑問を抱いた。


妖怪かどうとか呪いがどうとかは別として、


彼がそこまでこの件に真剣なのはどうしてだろう?


桜子はその考えを、率直に問いかけた。




「フジ丸君、どうしてそんなにこの件に関わろうとするの?」




フジ丸はこれまでにない真摯なまなざしを、


彼女に向けて言った。




「強力な物の怪だとすると、


  そいつの古いにしえの封を解いて、


  この世に蘇らせた者がどこかにいるはずだ。


  それはオレにとっても無関係じゃない」




古の封を解く者?フジ丸が言っていることが、


まだよくわからない桜子ではあったが、


彼の言葉に不思議な説得力を覚えた。


桜子はふと我に返り、腕時計を見た。




「もうこんな時間だわ。社に戻らないと」


二人は席を立つと、勘定を済ませて店を出た。




「フジ丸君、また何か尋ねることも


  あるかもしれないから、


  携帯の番号を教えてくれる?」


別れ際、桜子はフジ丸を呼び止めて訊いた。




「オレ、携帯電話持ってないんだわ」




「はあ?今時、携帯電話持ってないの?スマホとか」




「ああ、じっちゃんがそんなもの修行者に必要ないってさ」


フジ丸は苦笑を浮かべる。


それを聞いて、桜子は腑に落ちた。


彼が公衆電話から編集部へ電話した理由がわかったのだ。




「じゃあ、3日後にまた電話してくれる?


  陰陽道のこととか、いろいろ取材したいし・・・」


それは桜子にとって言い訳のようなものだった。


彼の話を聞いて、言い知れぬ不安が


頭の中をよぎったのも事実だった。


勿論、物の怪だの呪いだのといった迷信は信じてはいないと、


理性ではわかっている。だが、理屈ではない、


言葉にならないものが澱のように


心に引っ掛かっているのも認めざるを得ないでいた―――。

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