第37話 救出作戦開始3

 ――ピンポン


「おい、開けろ、親分に頼まれて先に来た」


 低い声音と共にドスドスと扉を叩く。


「小島いるんだろ、堂本に聞いているぞ」


 堂本とは、さっき食事を取りにいったうちの一人だった。

 続いて「小島」と、名前を呼ばれた中の人物が扉に近づいてくる気配があった。


「誰だ」


 警戒した声音で扉の中から問いかけてくる。


「矢島だ、小僧の様子を見に来た」

「………」


 扉の覗き穴から外の人物を伺っているのだろう、数秒の沈黙の後、ゆっくりと扉が開かれる。

 矢島と名乗った男の風貌か、名前や今の状況を知っているからか、どちらにしろ見るからに下っ端だと思われる小島は、扉の前に立つ男を信用してその扉を自ら開いたのだ。チェーンもつけずに。


「すみません、どうぞ」

「ありがとな」


 言葉と共にニヤリと笑った矢島の顔を、小島はたぶん最後まで見られなかっただろう。

 扉が開かれると同時に飛んだきた小さな針。それが自分の首に刺さったことさえ気がつかなかったかもしれない。

 ペコリと頭を下げたその姿勢のまま、矢島の胸に倒れ込む。


「うぅうぅん、ムニャムニャ」


 一瞬で眠りに落ちた小島を小脇に抱えると、矢島の背中に隠れるように控えていた、真とアリスが部屋にすばやく滑り込んだ。


「ふう、さすがマコちゃんいい腕してるよ」


 矢島と名乗っていた男、山崎が真の鍼師の腕を褒める。


「ありがとうございます。山崎さんの演技もよかったですよ」


 この日常生活ではありえないシチュエーションのなか、普段とまったくかわることなくにこやかに真が返答する。


「演技じゃなく、地がヤクザなだけだろ」


 アリスもまったく物怖じした様子もなく、山崎を揶揄する。


「なんだと」


 山崎もしかめっ面をしながら、アリスにガンを飛ばす。


「さてと、こいつはここに寝かせとけばいいよな」


 壁にもたれかけさせた小島を顎で指す。


「そうだな、そいつはマスコットを大切にしてくれた者だ、あまり雑に扱うのはかわいそうだしな」


 アリスは眠っている小島の前にしゃがみこむと、そのポッケトから携帯電話を取り出し取り付けられているマスコットを外した。

 マスコットは持ち帰るらしい。


「ハルちゃんはどこにいるのでしょうか?」


 ぐるりと真が室内を見渡す。

 装飾品は何もない殺風景な部屋だった。

 あるのは社長が座るような椅子と机の対と、それとよく大客室にあるような三人掛けのソファーが楕円形のテーブルを挟む形で二つ置かれいるだけだった。

 その片方のソファーに、真の目が留まる。

 そこに手足を縛られ寝かされているハルの姿を見つけた。


「ハルちゃん」


 睡眠薬でもかがされているのか、真が揺さぶってみてもまったく起きる気配がない。


「ここで泣かれても困るし、とりあえずこのまま車まで連れて帰ろう」


 言うが早いか真の横からひょいと手を伸ばすと、小柄なハルをお姫様抱っこで軽々と山崎が抱き上げた。


「戻ろう」


 山崎を先頭に扉に向かって歩き出した三人だったが、アリスがふと何かに呼び止められたようにその歩みを止めた。


「どうした?」


 怪訝そうにアリスを見る山崎を無視して、そのまま回れ右をするとアリスはもう一つ隣の部屋に続く扉の前まで走っていった。そしてなんの躊躇いもなくその扉を開ける。


「おい、どうした」


 山崎もただならぬアリスの行動に、ハルを抱きかかえたまま後を追う。

 しかしアリスは答えない。ただ何かを探すように、その部屋の中をぐるりと見渡した。

 いままでいた部屋とは違い、窓はしっかりとブラインドが下ろされ、おまけに明かりがつけられていない部屋の中は、その隙間からもれるかすかな光でかろうじて中の様子がわかる程度だった。

 アリスは憑かれたように、その真っ暗な部屋の中に駆け込んでいく。

 後からついて来た真が、部屋の外側に取り付けられている蛍光灯のスイッチをいれる。

 室内が一気に明るく照らし出される。

 山崎がいきなり明るくなった部屋の中を目を細めて見回した。

 部屋は物置として使われているようで、山のように積まれたダンボール箱があった。

 そのうちの一つだけ、離れた場所に転がっているダンボール箱の前に、アリスが立っていた。

 すでに封を切ったダンボール箱の中に、アリスがそっと手を差し入れた。

 後ろに立った山崎と真が、アリスの手の中に納まったそれを見て眉間に皺を寄せて拳を震わせる。


「ひどい」


 真がそういって、口元を押さえてそれから顔を背ける。

 山崎も怒りのあまり、危なく抱きかかえていたハルを落としそうになった。

 そっといたわるように、ダンボール箱の中からアリスが胸に引き寄せたそれは、腹をぱっくり裂かれた一体のウサギのぬいぐるみだった。


「どういうことだ!」


 山崎が顔を高揚させながらハルを床に置くと、近くにあったまだ開いてないダンボール箱を力任せに開ける。

 案の定中からは、腹こそ裂かれていないが同じ形のウサギのぬいぐるみが、あふれんばかりにぎゅうぎゅうに押し込められていた。

 いままで無言で腹の裂けたウサギを抱きしめていたアリスが、その場にしゃがむような格好をすると別の段ボールを指さした。


「あの中のものを詰めているんだ」


 箱の中には小麦粉のような物が入った小袋が入っていた


「たぶん麻薬かなにかだろう。ぬいぐるみの腹に隠して取引していたにちがいない」


 腹の裂かれたウサギを強く抱きしめながら、怒りを押さえ込んだような低い声音でそう説明する。


「許せねぇな」


 山崎が目を怒りに燃えさせながらそう呟いた。


「ぬいぐるみを悪い道具に使うなんて、人のやることじゃありません」


 真の顔からもいつも浮かんでいるやさしい笑みが消える。三人はお互いの目を見ると、もうやることはわかっているとばかりに頷きあった。

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