第30話 祖父母
「秋之助!」
棺桶に縋り付くように泣き崩れる婦人の周りを、参列者と葬儀を手伝いに来ていた生徒たちがどうしたものかと、おろおろしながら見守っていた。
「こんな女となんか結婚するから!」
今にも噛みつかんばかり形相で、秋之助の隣に飾られているマリアの遺影を睨みつけて毒を吐く。
「よさないかみっともない」
そんな婦人を冷たい声がいさめた。
葬式場に駆けつけた山崎がその声音を耳にして、思わず足をとめる。電話で聞いたのと同じ声だった。
「でもあなた!」
まだ何か言いかけた婦人を無理やり立たせると、
「もう用は済んだ、帰るぞ」
冷たく言い放つ。そしてそのまま式場を後にしようとする二人の前に山崎が立ちふさがった。
「秋之助さんのご両親ですね」
男は「そうだ」と短く答えると、ジロリと山崎を一瞥した。
その冷たい声音と人を見下すような視線を除けば、その端整のとれた顔立ちはやはり秋之助によく似ていた。
「あなたに会わせたい子がいます」
山崎の言葉に秋之助の父親は気乗りしない様子で視線をそらした。しかし母親のほうはそれが誰だかわかったらしく、父親の横をすり抜けると山崎にすがりつくようにその腕をつかんで乞うように口を開いた。
「会わせて下さい」
元はきれいな人だったのだろう、でもいまその顔を彩るのは後悔や悲しみといったものだけだった。
「こちらにどうぞ」
山崎はそういうと、葬式会場の二階の一室に二人を連れて行った。
すでに心は先に向かっているような母親と違い、父親は二人の後をただ無言でついてくる。
扉の前に立った山崎は、そんな二人の様子に一瞬取っ手をつかもうとした手をためらうように止めた。
(はたしてこの両親とアリスを会わせるべきなのか)
縁を切ったとはいえ本当の孫だ、会わせるのが普通だろう。
それにアリスの今後のことを考えれば、連絡がつかないマリアの両親を除いて、アリスの頼るべき身内はこの二人しかいないのだ。
結婚まではいろいろあったかもしれないが、今は状況が変わった。
それにさっきの母親の様子では、いまから会う人物が分かっているようだったし、それを待ち望んでいるようにも見えた。しかし、父親は分かっていて会いたがっていない様子だ。
不安が山崎の心をよぎる。
「すみません、まだアリスは、事故のショックから立ち直ってないんで」
山崎は今すぐ会わせることがなんだか急に怖くなった。なにかが警告のように山崎の心に鳴り響いた。
「女なのか……」
振り返った山崎に、父親の冷たい視線が刺さった。
「それが……なにか……?」
「女では、後継者も務まらない」
そんな父親の顔を横からキッと睨むと、母親は山崎を押しのけて取っ手に手を掛けた。
一瞬の出来事だった。
十二畳ほどの部屋の窓際で、外を眺めていたアリスがゆっくりと振り返る。
魂のないただきれいなだけの緑色のビー玉のような瞳が、まず山崎を捕らえた。それからゆっくりと初めて見る祖父と祖母に注がれた。
――バタン
よろめいて一歩下がった祖母から、まるで奪い取るようにして扉の取っ手を奪い返すと、山崎はそのまま勢い良く扉を閉める。
そして、扉を守るかのように扉を背に二人に向き直った。
長いような一瞬のような静寂が三人の間に流れた。
「帰るぞ」
短いがはっきりとアリスの祖父にあたる男はそういった。
祖母はアリスを見た瞬間、ありとあらゆる表情を浮かべたその顔を、いまは能面のように無表情にして祖父の言葉に静かに頷いた。
山崎は言葉が見つからず、ただ扉の前に立ち尽くした。後悔だけが深く心に刺さったまま。
初めからなにも期待していなかった祖父。
会いたいと願い、会いに走った結果見た、あまりに母親に生き写しの孫を、愛しいと思いながら憎悪せずにはいられなかった祖母。
もっと説明してから合わせるべきだった。いや、いくら言葉を重ねてもやはり同じ結末だったかもしれない。
「あの、アリスは」
それでもいまアリスをどうするのか決める権限は、赤の他人の山崎ではなくこの二人にあるのだ。
「私たちはもう縁を切っている、今日は知人としてきた」
祖父の言葉に一瞬で頭に血がのぼる。
「でも秋之助さんは、あなたの本当の息子なんでしょ、それにアリスだって……」
「私に孫などいない。施設に預けるなりあちらの両親に渡すなりすればいい」
「――ッ!」
何かがプチンと切れた気がした。思わずその胸倉をつかみあげる。
今にも旦那が殴られそうだというのに、その妻は糸の切れた人形のように、ただ床を見詰めていた。
「山崎さん!」
いつからそこに立っていたのか、廊下の隅に真がいた。
「――ッ!」
山崎はつかんでいた手を離すとその場にしゃがみ込んだ。そして地面におでこを擦り付けんばかりに土下座をする。
「アリスを俺に引き取らせてください」
次の瞬間、声の限りにそう叫んだ。
そんな山崎をアリスノ祖父は冷たく見下ろすと。
「私には関係ないといったはずだ、この店もあの子もお前たちの好きにするがいい」
そうして二度と振り返らない。
遠ざかっていく足音を聞きながら、山崎は血がにじむほど床を強く一度打ちつけた。
「山崎さん」
そっといたわるように傷ついた山崎の手の甲にハンカチをあてがう真。
「私も一緒にアリスちゃんの面倒を見させてください」
「相田さん……」
山崎は一瞬目を瞑ると、こちらこそお願いします。と頭を下げた。
「それとアリスちゃんのおばあさまがこれを――」
そういうと、立ち上がった山崎にそれを手渡す。
それは真っ白なハンカチだった。
「きっと、今はどうしていいかわからないんですよ。愛しいという感情は憎いという感情とよく似ていますから」
「………」
山崎には真の言っている意味がよくわからなかった。でもこのハンカチはアリスに渡すためわざわざ買ってきたものに違いない。
「いつか会える日がきますよ」
真の言葉に山崎はただ黙って頷いた。
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