第一章:『剣の都』-⑧


 

 6

 


 まん丸の月が顔を出した夜。ふらつきながらもたどり着いた《剣の都》の大門前に、その人は立っていた。


「やっ、お帰り」

「ベル、お姉さん」


 震える声で、僕は目の前に立っている人物の名前を口にする。


「お疲れ様、アイルちゃん。待ってたよ」

「……わたしもいるのですが」

「シティは別に待ってなかったよ」

「なっ!」


 いつものように冗談を口にするベルお姉さんを見て、僕は地面にへたり込んでしまう。

 そして大きく息を吐いた。胸の中に安堵の思いが広がっていくのを感じながら。

 しかし、


「師匠」


 隣に立つシティさんは、僕とは対照的な顔をしていた。

 それはまるで「苛立ち」と「不愉快」が混ざり合ってできているような険しい表情。

 困ったような笑顔を浮かべるベルお姉さんを前にして、少女は目尻を吊り上げる。


「コレ、本当に何なんですか」


 コレ。そう口にしたシティさんの指が差している方向には……僕の姿。


「命の危険を目の前にしても何もできない。一度怖気付いたら立ち直れない。受け身でいることしかできない。すぐに混乱して冷静な判断ができなくなる。腰の短剣をただのお飾りとしてしか扱えない。そして ──」


 そこでシティさんは僕に刺すような視線を向けると、


「ここで何かを言い返す度胸だって、ない」


 はっきりとそう言い放った。


「今なら、本当に心から言えます。コレは ──【じん】の弟子に相応しくない」

「う、あ」


 シティさんの言う通りだった。

 何も言い返せない。「言い返す度胸」どころか「言い返す言葉」すらない。

 今の僕に唯一できること。それは、シティさんの言葉と視線に狼狽えることだけ。


「……っ」


 僕は逃げるようにしてシティさんから目を逸らし、情けない顔を俯かせる。


「……うん、分かった」


 しばらくして、ベルお姉さんは静かにそう言った。

 その冷たい声音を纏った言葉を聞いて、僕は肩をビクンと跳ねさせる。そして悟った。


 僕は、唯一僕に期待を寄せてくれていた存在にまで失望を押し付けてしまったのだと。

 しかし ──


から見たアイルちゃんの評価は、よーく分かった」


 続けてベルお姉さんの口から放たれたその言葉は、僕に向けられたものではなかった。


「っ」


 息を呑のむ音。地面に向いていた僕の目が、後退るシティさんの影を確かに捉える。

 ベルお姉さんの影は、その影に詰め寄るようにして一歩足を踏み出す。


「で、何? 今の自分は【じん】の弟子に相応しいって、シティは思っているの?」

「それ、は」

「私は思ってないよ」

「 ──」

「たかが【大鬼オーガ】に傷を負わされる程度の軟弱者を育てた覚えは、私にはない」


 息を震わせるシティさんが再び後退る。しかし、ベルお姉さんも同じように足を踏み出すと、呆れたように笑ってからシティさんの肩へと手を置いた。


「人のことをとやかく言って粋がる前に、シティには考えないといけないことがあるんじゃない? 例えば、自分自身の現状とかさ」

「……っ」

「もう一度聞くよ?  ──今の自分は【じん】の弟子に相応しいと、心から思ってるの?」


 ベルお姉さんの口にしたソレが、とどめの言葉だった。


「……今日は、帰ります」


 きつく噛み締めた歯の隙間から呻くような声を絞り出すと、シティさんは踵を返す。

 そして悔しげな表情のまま去っていってしまった。その背中に弱々しさを纏って。


「ねえ、アイルちゃん。シティが戦う姿を見て、どう思った?」


 やがてその後ろ姿が見えなくなると、ベルお姉さんは僕に向かってそう聞いてきた。

 一瞬だけ言葉に窮した僕は、思ったことをありのまま言うべく口を開く。


「……僕なんか一生追いつけないんじゃないかってくらい、凄いと思った」

「うん、アイルちゃんは正直者だね。ていうか、ごめんね。今のやり取りの後じゃ、答え辛かっただろうに」


 ベルお姉さんは頬を掻きながら、続ける。


「そうなの。あの娘こは特別で、凄い子なの」


 だけど ──


「あの娘は今、大きな悩みを抱えている」


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