第一章:『剣の都』-⑥
5
「アイルちゃん少し顔色悪いよ。大丈夫?」
翌朝。昨日に比べて人通りが落ち着いている大通り。そこを歩く僕に向かって、隣に立つベルお姉さんが心配そうに尋ねてくる。
脳裏によぎるのは、昨日宝物庫の中で聞いたあの騒がしい声。
……いや、知らない。そんな声聞いてない。もう忘れた。
「な、なんでもないよ」
「そう? ならいいんだけど」
お姉さんはそう言うと、こちらに向かって柔らかく微笑んだ。
「……それはそれとして」
そして一変。突如ベルお姉さんの顔に浮かんだムッとしたような表情が、僕らの後ろを歩いている人物へと向けられる。
「ねえ。なんでついてきてるの? シティ」
ベルお姉さんの一番弟子である白髪の少女 ──シティさん。
昨日、ベルお姉さんに「私の言うことが聞けないなら弟子なんてやめちゃえ!」と突き放されたはずのシティさんが、なぜか僕たちの後ろにぴったりとくっついて歩いているのだ。一切隠れようともせず。ふてぶてしいくらいに堂々と。
「ついてこないでくれるぅ?」
「嫌です」
「つ、い、て、く、る、な!」
「断ります」
「むかーっ! なんでそこまでしてついて来ようとするのさ!」
「師匠のゆ、い、い、つ、の、弟子だからです」
「やだ、凄い独占欲! この子、私のこと好き過ぎじゃない!?」
ウギャーウギャーと騒ぎ立てるベルお姉さんとは裏腹に、シティさんは一貫してツンとした態度を装っていた。
二人の言葉の応酬は《剣の都》を出てからも続く。というか終わる気配がない。
「んあーっ! もうついてくるなり観察するなり、好きにすれば! 言っとくけど、私は絶対に無視するから!」
「……どうぞ」
そうして気付けば、僕たちは歩いて魔獣の蔓延る森の奥地まで来ていた。
早朝に《剣の都》から出たのに、もう太陽は真上だ。
……正直、座り込んでしまいたいくらいキツい。しかし、そんなこと口にできるはずもなく、僕はベルお姉さんの背中にひたすらついていく。
「よーし、ここらへんで良いかな」
唐突に立ち止まるベルお姉さん。
「じゃあ、今からアイルちゃんにやってもらうことを説明するね」
突然そう告げられ、僕は思わず「え」と気の抜けた返事をしてしまう。
「アイルちゃんには、一人でこの森を抜けて《剣の都》まで帰ってきてもらいます」
そしてその一言で、一気に目を覚まさせられた。
「えっと、でもここ、魔獣が出る森だって」
「うん、沢山いるよ。今のアイルちゃんの力じゃどうしようもないくらいの化物がね」
──でも。
「私の弟子になるんだから、無理、無茶、無謀くらいは跳ねのけてみせてよね」
「っっっ」
それは、見たことのないベルお姉さんの顔だった。
僕を試すような顔。僕の内側を覗き込もうとしているような表情。
「今ここに立っているのは、優しいお姉さんとしての私じゃない。アイルちゃんを本気で強くしようとしてる師匠としての私。だから手加減は一切しない」
そしてベルお姉さんは、
「今回、私は絶対に助けに入らない」
ハッキリとそう言い放った。
「そん、な」
「だけど ──やり遂げてね。私の弟子なんだから」
最後に言い残すと、ベルお姉さんは本当にいなくなってしまった。残像だけを残して一瞬で消えてしまった。
そして、この場は僕とシティさん二人だけになる。魔獣の森のど真ん中で二人きり。
「はあ。結局いつも通りの師匠でしたね」
最初に動き出したのはシティさん。
呆気にとられて動けない僕の傍に歩み寄り、ジッとこちらの瞳を覗き込んでくる。
「本当に、アナタがこの森を一人で抜けられると、師匠は考えているんでしょうか」
「っ」
「まあ、でも、見た目だけでは分からないこともありますよね」
そう零すと、シティさんは腰に差していた短剣を美しい所作で抜き放った。
「今から攻撃するので、避けてくださいね」
「……え?」
僕は最初、その言葉の意味を理解することができなかった。
しかし、一瞬で狩る側の目になったシティさんを見て、今自分が危険な状況に片足を踏み入れていることを理解する。
「い、いや、ちょっと待ってください! なんで突然!? 僕、本当にまだ何も!」
「そういうの、いいので。師匠が弟子にするってことは、わたしのようにアナタも何かを見出されたってことですよね」
「し、知りませんっ!」
「いきますよ」
「っっ」
直後、ツ ──という音を聞いた。それはきっと刃物が空気を裂いた音。
最後にシティさんの手元で霞む銀の刃を目にし ──僕は『死』を受け入れた。
「……死んでいませんよ。もう分かりましたから、目を開けてどうぞ」
「っ、はあっ」
張り詰めていた空気から解放された途端に、肺が正常な機能を取り戻す。
鼓膜まで届く心臓の音。言うことを聞かない足腰。無様を晒す僕は、涙で滲む視界に短剣を鞘へと戻すシティさんの姿を捉えながらへたり込む。
「その気になれば斬れました。それなのに、ただ震えていただけ。師匠は本当に、アナタの何に魅力を感じているのでしょうか」
気に食わないという顔でそんな言葉を吐き捨て、シティさんは僕に背中を向ける。
「それでは、魔獣に見つかる前にわたしも行きます。生きていたら、いつかまた」
……え?
「ああ、それと、師匠の助けは本当に期待しない方がいいですよ。あの人の口にする『絶対』は、どんな些さ細さいなことでも命を賭けた絶対なので」
──今回、私は絶対に助けに入らない。
それはさっき、ベルお姉さんが僕へと告げた言葉。
「絶対助けると言ったら絶対に助ける。絶対にやらないと言ったら絶対にやらない。わたしはあの人の口にする『絶対』が破られるところを見たことがない」
それが師匠が主役たる所以なのかもしれません、と。少女はそう付け足し、歩き出す。
「それに、わたしも助けないので。アナタのこと嫌いですし」
一瞬で遠ざかる背中。惚けていたのも束の間、僕は慌てて立ち上がってその後を追った。
だけど当然、追いつけるはずがない。必死にしがみつこうとすればするほどから回る。
そして僕は、躓き、転び、地面と熱い抱擁を交わした。
「いっつ」
擦りむいた膝に血が滲む。
もう嫌だ。このまま座り込みたい。逃げたい。心がそう叫んでいた。
だけど、それでも立ち上がらなくちゃいけない。そうしないと死んでしまうから。何もできない僕は、きっと簡単に命を落としてしまうから。
「うっ、う」
どうして僕がこんな目にあわなければならないのか、と。弱虫な僕が囁く。
こんなのあんまりだ。今の僕には何もないのに。今の僕は空っぽなのに。
強靭な体も、強力な武器も、優れた能力も、誇れる技も、そしてこの困難に立ち向かえる心も、今の僕には存在していないのに。
『師匠は本当に、アナタの何に魅力を感じているのでしょうね』
思い起こされるシティさんの言葉が、弱い自分へと追い打ちをかけてくる。
僕の魅力。僕の武器。僕の才能。そんなの……僕が一番知りたい。
「ぐ、ぅ」
頼りない足腰に力を入れて立ち上がる。弱虫の自分から目を背け、ただ前を向く。
そして。そして ──
『ヴヴゥ』
僕の耳は、その唸り声を確かに拾った。
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