第一幕・九『強者を狩る弱者 -キョウシャヲカルジャクシャ-』


 〜 〜 〜 〜 〜



 ああ――この感覚、苦手だ――――。



 口の中が渇く。

 鼓動の高鳴りが様々な過去を掘り起こす。


 どんなに屈強な者でも、どれほど経験豊富な者でも、この大太鼓をすぐそばで叩かれているかのような緊張感は慣れない。


 例えば、小学校での発表会。例えば、誰も知っている人がいない高校や就職先でのはじめの一歩。例えば、誰かに秘密にしていた事がばれて怒られる直前。そして、運動会や大会で誰しもが体験する、あの競い合う光景――。


 何度そのような場面を体験しようとも、悲しいほどにこの感覚には慣れない。


 ――周囲の空間にうるさい楽器の音が鳴り響く。

 ポーカーフェイスを貫くが、服の下からは汗が滲み出ている。

 顔が腫れたように引きつった感覚に陥る。視界が鮮明になっているのかぼんやりしているのか、それすらもおぼつかない。とても頼りない脳だ。頭を切り開いて水洗いしたくなる。


 正直のところ、この緊張は何よりもこれから大量の眼下に晒されるという恐怖から来ている。

 それも皆が注目するのはたったの二人だ。団体戦などであれば視線は周囲の者達へと分散されるため幾分か緊張がほぐれるだろうが、今回においては二人。

 もとより目立ちたくない性格なのだ。あがり症では無いがこうなるのは当然だろう。



 ――アリヤとローリアに背中越しに声援を受けて部屋から出ると、ミツルは真っ直ぐ一直線に伸びる煉瓦張りの道へと足を運ぶ。

 一歩を踏み出すたび、入退口から見えてくる外光が大きくなってくる。同時に外から聞こえる観客らしき発声もよく聞こえるようになる。

 相手に、周囲に動揺を見せないよう歩きながら大きく深呼吸する。外に出る頃には平静になっていなければならないのだ。


 緊張で何度も唾を飲んだために、口の中の水分が足りなくなってくる。ローリアに水を出してもらえばよかったなと、今さらそんなことを考えながら歩を進めて行く。



 やがて光と声は最高潮に達する。



 ――そしてミツルは、審判官に指示された幾何学模様の目印へと足を立たせた。



 〜 〜 〜 〜 〜



「――――さぁさぁこの日がやって参りました! ここ最近は減少気味だったであろう生徒による決闘!」



 先ほどミツルに説明をしてくれた審判官が、大声を揚げながら観客を盛り上げる。

 近代的な機械があまり発展していないこの世界では、当然マイクなど存在しない。それゆえに大声を出さなければ観客には聞き取れないのだ。現在ローリアが開発に努めているものの中に、確か拡声器なるものがあったはず。そのため近い将来、改善されそうではあるが。


 審判だけでなくリポーターも務めるとは、ここはひょっとして人手不足なのだろうか。


「それでは早速今回の決闘の対戦相手、ご紹介します」


 そう言って審判官は左手を大きく振りかざし、ミツルに対立している青年の方へと腕を伸ばす。


「幾度に渡り不敗の対決を私達に見せ続けてくれるリー・スレイヤード帝国ロエスティード学院実技科所属、クラトス家長男、セルムッド・クラトス!」


 三百六十度、見渡す限りの観客たちがセルムッドの名前を聞くなり歓声の渦をつくる。中には声援に交じって口笛を吹く者もいた。


「――対するはなんと、ロエスティード学院に入って数日の新入り、素性はまだ未知数の黒尽くめ――ミツル!」


 再び歓声が挙がるが、こちらはセルムッドの受けた歓声とは程遠く、疑問や怪訝の声もいくらか飛び込んできていた。

 また、苗字はアリヤたちにも教えていないために、紹介されたのは当然下の名前だけだった。


「同じ実技科所属の二人ですが、今日こんにちにおいては双方自身の想いを胸に対峙します!」


 対戦相手である二人の紹介を終えると、端からカラカラと軽い音を立てて台車が運ばれてきた。


 長い間この場で使用されてきたであろう台車は、そこかしこに傷や汚れが見られる。車輪においては凹凸になっているのか、動かすたびに上下に大きく揺れていた。


 そして注目すべきはその上、つまり台車に乗せられている長物である。ガンラックのように何本も立て掛けられたそれは、木を削って作られた質素なものだ。


「安全面を考慮するため、お二方にはこちらの木剣を用いて勝負してもらいます。ご自分の得物を使用した場合は規定違反で即敗北と見なしますのでご留意ください」


 そう言って台車を運んできた人から直接木剣を手渡され、一瞬の迷いのあとミツルは右手で受け取る。明るい茶色をした見た目とは裏腹に存外重く、これを振り回すとなるとなかなかに骨が折れそうではある。


 質素なつくりと言っても最低限の施しはされているようで、持ち手は滑らかで肌触りもよく、やすりか何かで一本一本丁寧に磨かれたのが見て取れるようだ。


 自身の武器を使うなと言われたが、セルムッドはともかくミツルには専用の武器が無い。つまりこの木剣を破壊されればマディラムで闘う以外の戦闘法は限られてくるということである。


「言わずもがな、殺害は禁止。打撲や軽傷ならば続行、気絶や継続不能とこちらで判断した瞬間に勝敗を決します」


 刃物ではないが木剣も立派な凶器だ。思いきり当てれば骨は折れるし、脳天に直撃すれば撲殺だってできるだろう。安全面に考慮と言っても、完全にまでとは言いきれない。


「ここにある剣は全部使っても大丈夫なのか?」


 綺麗に整列して立てられている木剣を見ながらミツルが疑問を投げると、審判官は相変わらずの笑顔で、


「はい。元が木ですから、耐久力にも期待できませんので。壊れた場合は速やかに新しい物と交換してくれて構いませんよ」


「わかった」


 ミツルが確認をとると、台車を運んできた人が台を置いたまま引き下がって行った。

 審判官はセルムッドのほうにも説明をするため、闘技場の真ん中を大きく横断してそそくさと駆けていく。


 セルムッド・クラトスの腰に携わっている西洋風の剣を預かるその様子を眺めつつ、ミツルは最後に岩の位置や決闘場の広さなどをある程度把握するため辺り一帯を見渡す。


 話を聞く限りセルムッドは何度も決闘を経験しているようだ。故に説明もいくらか省かれたため、ミツルよりも早く終わった。


「――――観客の皆々様、大変お待たせいたしました。それではいよいよを持ちまして、決闘を開始させていただきます!」


 軽快なファンファーレがサビに入り、それに負けじと周りの観客たちがより一層盛り上がる。


 ――始まる。


 緊張は既に通り越し、もはや心臓の爆音は鳴り止んでいた。代わりに集中力が身体を支配し、周囲の人間を存在しないものと自己暗示をかける。

 緊張から生じたものなのか、あるいは武者震いなのか、手が小刻みに震える。


 相手は自他ともに認める強敵だ。そんなやつに真っ向から技術で立ち向かうわけにはいかない。


「第五百四十二回、リー・スレイヤード帝国ロエスティード学院公式決闘――」


 突っ込んでくるか。待ち構えるか――――


「――開始!!」



 〜 〜 〜 〜 〜



 試合開始の合図と同時にセルムッドの採った行動は、


「おああぁぁあ!!」


 雄叫びをあげながら、砂埃が舞い上がるほど強く地面を蹴っておおよそ八から十メートルはある距離を一直線にこちらへ向けて突進してくる。


 ――やっぱり、突っ込んできたか。


「せぁッ!」


 短い気合と共に、ミツルは向かって左から右に繰り出してきたセルムッドの大振りの剣を両手でしっかり握った剣で受け止める。

 金属ではなく木材で出来ている二人の剣は、X字に交錯した瞬間ガコンと鈍い音を立てる。

 急激に止められた重力に加えてセルムッドの腕力と木剣本来の重みが襲いかかり、ミツルの腕にびりびりと衝撃を走らせる。


「貴様の醜態を晒すために、さらに修練を積んできたぞ!」


 剣を交えたまま鍔迫り合いの状態で不意に話しかけてくるセルムッドに、ミツルもまたポーカーフェイスを貫き余裕のある顔つきで弁駁べんばくする。


「結構なご招待どうも。……けどな、俺はお前に巻き込まれただけだぞ。八つ当たりにもほどがあるってもんだろ……っ!」


 言いながらミツルは腕と両脚に力を入れ、密着状態にいたセルムッドを弾き飛ばして間合いを取る。

 弾かれた反動で一瞬硬直するセルムッドに、その隙を逃すまいとすかさず白光する弾を掌から射出し追い打ちをかける。しかし、


「ふッ!」


 セルムッドは細く息を吐くと、上段に構えていた木剣を上から真っ直ぐ下へ、飛んできた弾を避けずに一刀両断した。衝撃で小石が散り、少し離れたミツルの頬をかすめる。かすめて切れた肌の中から徐々に鮮血が溜まり、やがて限界に達した赤黒い血が一筋つつっと流れて軌跡をつくる。


 だがミツルはそんなことを気にもとめない。まだカッターナイフで指を切ったときのほうが痛さはまさっている。


 今は何よりも、目前の男から目を逸らさないことが重要だ。


「――光のマディラムか。速いが、木の剣も壊せないようでは心もとないな」


「今のは招待に対する挨拶がわりだよ」


「減らず口を――……!」


 そう言ってセルムッドは一再ならず剣を振りかざしてくる。

 ミツルはそれを受けることをせず、左に向かって避ける。

 右利きであるセルムッド・クラトスは、剣を振るのも右手だ。ならば左に避ければ振り下ろした重力、つまりその軌道を反対側に瞬時に変える切り返しは困難とされる――――そう思っていたのだが、そこがミツルとセルムッドの技術の差か、まるでセルムッドだけが軽い武器を使っているかのように、あるいは剣先の空気にバネでも含まれているかのように避けたミツルのほうへと木剣を振り返してきた。


 ミツルはすんでの所でかわし、その勢いのまま走り出して先ほど確認した岩の陰に隠れる。


「逃げ隠ればかりしているようじゃ、俺には勝てないぞ」


 セルムッドが隠れたミツルに挑発を浴びせる。


 元いた世界でも、黒崎光は何事においても逃げていた。逃げて逃げて、隠れて、また逃げて。不幸から身を隠すように、災難から身を守るように、逃げて逃げて逃げ続ける毎日だった。

 無様に周りを警戒し、周囲の人間に嫌われ嘲笑われ、それでも構うものかとひたすら怯えて逃げ隠れしていた。

 故に今さらセルムッドの軽い挑発などに乗るはずもなく。


「っ!?」


 ――やがて身を隠していた岩が徐々に熱くなってきているのを、ミツルは背中越しに感じとる。

 原因はセルムッドが放っている火のマディラムだ。

 灼熱の炎をまるで火炎放射器でも使っているかのように、大岩に直接当て続けて意図的に熱くしているのだ。

 焼け石になれば大火傷をするほどの熱を持つ。


 ――なるほど、それくらいの高温な炎なのか。


 ミツルは解析しながら、セルムッドにばれないよう慎重に自分の影に入っていく。


「――セルムッド・クラトスの炎がミツルに襲いかかる!! これは熱いぞッ!」


 審判官兼リポーターが観ている観客に常時実況し続ける。


 そんな中、ミツルが影に入りきったとほぼ同時に後ろの岩が破壊された。


「……? どこに行った」


 セルムッドが一瞬目を丸くして見張るが、すぐに障害物も何も無い地面に不自然な影があることを視認すると、


「ほう、光と影、二つのマディラム使いか」


 セルムッドが隠れたミツルに近付いてくる。

 観客は「さすがセルムッド」だの「期待したけど新入り弱いな」だのと言い、明らかに勝敗はついているというような雰囲気だ。確かにはたから見れば、ミツルは肉食獣から必死に逃げ惑う草食動物のように見えるだろう。


 だがしかし、時として弱者は強者に牙を剥くこともある。


「――ッ!」


 セルムッドが影に到達した瞬間、ミツルは影から勢いよく飛び出しセルムッドに反撃する。


 セルムッドはぎりぎりのところでそれを回避、次いで水のマディラムで水流を発生させ、ミツルへと迎え撃つ。


 ミツルは咄嗟の事で半身に少しくらいながらもそれを耐える。そして直後にもともと運動能力は長けている部類だったミツルは宙返りをしてかわしながら、先ほどセルムッドが炎を放って高温になった場所へと水を誘導させる。


 幸い目論見通り水流はその場所目がけて飛んでいき、水が高温になった地面に当たった瞬間音を立てて蒸発する。


 その様子を見ていたミツルの一瞬をつき、セルムッドは木剣を振りかぶった。不意をつかれたミツルは剣を横にして防ごうとするが、体勢が悪いためにじりじりと片膝が地面に近づいていく。しかし、


「――ッう……!?」


 セルムッドは汗を滲ませながらも口元に笑みを浮かべていたが、突如肺を叩かれたような猛烈な衝撃と痛みに呼吸を絶たれ、たまらず上半身をよじらせる。


 セルムッドが顔を歪めながら目だけを下へ向けると、そこには自身のちょうど鳩尾みぞおちの部分に固く握られた拳がじ込まれているのが見えた。


 手もとを見ると、これまでミツルが右手で持っていたはずの木剣がいつの間にやら左手にある。


(左――っ!?)


 それを見てセルムッドは内心で叫ぶ。


 本来左利きのミツルは、あらかじめ右手に持っていた木剣を左へ持ち替えるとどうにか降りかかるセルムッドの攻撃を抑え、右手でセルムッドのがら空きの腹に拳を打ち込んでいたのだ。


「俺は左利きだぞ。――ああ悪い。言ってなかったな」


 左手で持った木剣をゆらゆらと揺らしながら、ミツルは口元に悪戯な笑みを浮かべる。


 完全に右利きだと思い込んでいたセルムッドは、初手から既にミツルに騙されていたことに気付き歯軋りする。

 そんな憤りと己の見抜けなかった不甲斐なさをセルムッドは無駄にせず力へと変換すると、持っていた木剣にさらに握力と腕力を込めて力任せにミツルをねじ伏せにかかる。


「このっ……!!」


「――ッ!」


 これは堪えきれないと判断したミツルは受けていた剣を受け流すと距離をとって間合いを取る。


「おい、木剣だって鈍器なんだから加減しろよ。今のもろにあたったら死んでたぞ。正気かよ」


「うるさい。これは子供の遊びじゃない。それに観察がお得意のお前ならどうせ避けれるだろう」


「簡単に言うなよ、人の気も知らないで」


 じりじりと詰め寄ってくるセルムッドから後退しながら、ミツルは会話の僅かな隙間で乱れた呼吸と鼓動を落ち着かせる。


 アリヤやローリアから散々強いとは聞かされていたものの、いざ実際に戦ってみるとじっくり考える余裕も無かった。


 セルムッド・クラトスはただ単純に力があるだけではなく、敏捷タイプであるミツルを凌駕するほどのスピード、ひいてはそれまでの人生の大半を剣に捧げてきたことから生ぜられる直感的な判断から、素人に毛が生えたような剣の腕であるミツルの攻撃を何度となく受け流していく。


 ――ならばとミツルは腰を落として木剣を垂直に固定し、フェンシングの要領で捻転力ねんてんりょくを全力で加えた突きをセルムッドの上腕二頭筋めがけて二発、まっすぐ突き出した。


 この箇所は一般的に言う力こぶの部分であり、ここを強打すればいかな鍛えられた人間であろうとも、腕が上がらなくなってしまう。

 そして何より、まっすぐ飛んでくる突き技というのは言うなれば極小の点でしかない。縦や横にぎ払う線よりも遥かに弾きにくいというものだ。


 しかしセルムッドはそれすらも見えているのか、ミツルの繰り出した高速の剣尖を何ら焦ることなく木剣の腹を盾にして弾き、逆にミツルの持つ木剣の側面を右下段から手が煙るような速さで叩き込んできた。


 再び刀身に受けた衝撃を、ミツルはそのまま受け流すようにして右へと一回転、その慣性を利用して回し蹴りでセルムッドの下顎めがけて繰り出した。

 今度は狙い通りセルムッドの顎にクリーンヒットし、そのままの勢いでセルムッドは真後ろへ仰け反った。


 十数秒、脳震盪のうしんとうを起こしたのかセルムッドは大の字のまま仰向けで寝そべっていたが、頑なに離さず持っていた木剣の柄を強く握るとそれを杖にして再度立ち上がる。


「今のは少しこたえたぞ……」


 蹴られた拍子に舌でも噛んだのか、顎を撫でつつ体制を立て直すセルムッドの口端からは血がこぼれ出ていた。


 だがやはり学院最強の名は伊達ではなく、セルムッドは袖で血を軽く拭うと最初よりも明らかに加速のついた速度で突進してきた。


(――最初の突進は全力じゃなかったのか……!)


 直前までぶっ倒れていたにもかかわらず怯みを表に出さないセルムッドの頑丈さに戸惑いながら、ミツルはさらに大きく後ろへ飛び退く。が、ミツルが踏み込んだと同時にセルムッドが水のマディラムで追撃してきたことで、ミツルはバランスを崩して尻もちをついてしまった。


 持っていた木剣は衝撃で二メートル横へ飛んでいき、ミツルの面はがら空きとなる。


「こいつは礼だ」


 地に尻をつけたミツルの機を狙って、セルムッドは木剣を最小限の手首のかえしだけで振りかぶる。


「――ッ」


 そんなセルムッドに対し絶体絶命の状況下に置かれたミツルは、地面についていた手でそのまま砂を鷲掴むとセルムッドの顔へ投げつけた。


 さしもの学院最強も砂を剣ですべて落とすことなどできず、細石の混じった乾いた砂はセルムッドの肩から上辺りを舞う。


 不意をつかれ視界を遮られたセルムッド。ミツルは砂を投げたと同時に腰を上げ、横たわった木剣を再度手に取った。


 ――一進一退とはこのことか、二人は激戦の一途を辿っていた。


 最初セルムッド・クラトスを応援していた観客たちも、中からはミツルに声援をおくる者が現れ始めた。

 おそらくここまで持ちこたえるとは到底思っていなかったのだろう。


 それからしばらくの間、両者とも額に汗を滲ませながら、ミツルとセルムッドは互いに剣を交え合っていた。時折マディラムも使用した。


 ミツルが岩に隠れては、セルムッドは追い出すようにして岩に熱を与えて破砕する。

 ミツルはぎりぎりの所を狙ってセルムッドが放った水流をよけ続け、それを利用して灼熱と化した岩の置かれていた場所を冷やしていく。


 気が付けばセルムッドの口やかましい挑発も止み、無言の戦いが繰り広げられていた。


 睨み合い、そしてさらに経過した時、ついに均衡は崩れた。


「――……ッ!」


 メキメキと激しい音を立てながら、ミツルの持っていた木剣が壊れたのだ。

 予想外のことが起きたミツルとは逆に好機に転したセルムッドは「終わりだ」と口に出しながら大きく剣を振り下ろす――


「……くっ」


 ――が、その腕はひとつの呻きとともにぴたっと止まる。


 振り下ろしている僅かな間に、ミツルは懐に入り込んで右手をセルムッドの胸にあてがっていたのだ。


 ミツルの逃げ続けた経験から手に入れた敏捷性。何も持たずに生まれてしまった者でも、外れた道を歩んできた者でも能力を身に宿すことができるという証――。


 セルムッドが剣を振ればマディラムの直撃はまぬがれない。また逆に、ミツルもマディラムを発生させれば剣をもろに食らうことになる。


 極々一瞬の間、しかし共に感じた時間はとても長いものに思い、どちらかが先に動いた瞬間、勝敗は決まると誰もが予想した。


 額から頬の輪郭に沿って冷汗が一筋流れる。

 互いに侮れぬ相手だと、何度か剣を打ち合う内に理解していた。

 セルムッドは身体的能力に、ミツルは心理的能力に優れており、双方が対極的な存在である事もまたわかっていた。


 ミツルが先読みをし、一手を繰り出そうとしても、セルムッドは剣の腕前でそれを弾いていく。

 セルムッドがここだと突き出した剣先も、ミツルは読んで避けていく。


「……仕切り直しだ」


「……ああ」


 セルムッドがゆっくりと剣を下げ、ミツルもゆっくりと離れていく。


 この状況では裏をかいて斬りかかってくることはまず無い。


 誇りや自信を糧とするクラトス家の長男ともあろう男は、こんなにも大勢に観られている中、そのような姑息な手口は使えない。

 またこの決闘において、セルムッド・クラトスという男は闘いに誉れや美徳を抱いている人間だということがわかった。


 そんな人間性を持った奴だと確信した上で、ミツルは了承したのだ。


 ――二人が互いのスタート地点まで戻る。


 ミツルは折れた木剣を捨てずに台車に乗せた。

 そして新しい木剣を一本だけ手に取り、決闘を再開する。


(そろそろ終わりにしようか)


 体力面でも精神面でも疲労困憊のミツルが手に持つ剣を見つめながら胸中で呟く。軽く握っている手を開くと豆が出来ており、爪の間は砂や泥でまみれていた。頬は既に乾いた血で紅く線が引かれていて、そこに流れる汗が傷口に染み込む。


 セルムッドはそんなミツルの体制を見て直感的に決着を予期したのか、気と眉を引き締めて中段で深く身構える。


 ――そうだ、警戒しろ。警戒して目を離すな。


 ミツルは両手を大きく広げて闇のマディラムを操り、自分の場に置かれた数十本の木剣を台車丸ごと包み込んだ。


『マディラムは個人の想像力に作用する――』


 以前アリヤに言われたそんな言葉を、ミツルは脳内で復唱する。

 妄想を、空想を湧き立たせて構築していく。


 ミツルは目の前で浮遊している木剣を包んだ黒い大きな球を凝視すると、その中で粉々になるイメージをできる限り鮮明に思い浮かべる。

 すると黒球の中からバキバキと音がし、段々と細かくなっていく感覚が手に取るようにわかった。


「…………」


 セルムッドは身構えつつも何を考えているのかと、怪訝な表情でそのまま動かない。


 やがてミツルは粉末状にまでバラバラになった数十本の木剣を、空中目がけて思い切り放った。

 包んでいた黒い球から解放された粒子状の木屑は、空中に細かく霧散して舞っていく。


「木剣を総じて投げ飛ばすのかと少しばかり警戒してみれば何だそれは? 俺の目に入れでもして、視界を奪うつもりか? それとも自ら武器を壊して負けを認めたか」


 しばらくの間硬直して眺めていたが何も起こらないことを知ったセルムッドは、火のマディラムで粉微塵と化して空気中に散った木粉を焼き尽くそうと大きな炎を射出しようとする。


 そしてそれを視認したミツルは、急いで影の中に身を潜めた。


 ――――予定通り。


 次の瞬間、物凄い勢いで爆音と爆風が周囲を襲った。


「――マズい!!」


 審判官は驚愕した顔で、咄嗟に地面に両手をつけると、土の大壁を創り上げて観客たちに襲い来る衝撃を防いだ。

 決闘場の端の地面を隆起させた後、津波の形状に沿った滑らかな土で観戦客を覆い隠すようにして、安全を確保しながら審判官は目の前で起こる現象に目を剥く。


 爆発で明るく照らされた決闘場は、煙と火柱に覆われ半壊していた。

 審判官の創った分厚い土の壁もところどころが崩落しており、それがいかに強烈な爆発だったかを物語る。


 ミツルが身を潜めていた影から出ると、セルムッドは決闘場の端まで吹き飛ばされていた。

 意識ははっきりしていたが、審判官同様、目を見開いた驚きの表情で固まって座りこけていた。

 セルムッドや審判官だけではない。観客たちも、全員が全員同じような顔をしてぽかんと情けなく口を開けていた。



 ――――粉塵爆発。



 可燃性のある小麦粉や金属粉など、粉末となったものが酸素を含んだ空気中に霧散し、そこに着火元が加わると発生する科学的現象。

 金属ならば何でもいい訳ではなく、アルミニウムやマグネシウムが妥当だが、鉄などは例外だ。

 だから詳細不明な異世界の金属製の剣よりは木剣のほうが有用性が高いと判断した。

 加えてこの決闘は闘技場という屋内で行われているが故に、風が吹くことは無い。


 条件が揃わなければできない賭けだったが、どうやら上手くいったようだ。


 まだまだマディラムや剣の腕が未熟なミツルからすれば、まともに戦って勝てるはずがない。ならば前の世界で蓄えた知恵の限りを注ぎ込んで、騙し欺き紛らわすしかないのだ。使えるものは何でも使う、それが卑怯さを武器とするミツルの流儀だ。


 弱者がどれだけ力技で強者を屠ろうとしても、強者には羽で撫でられたくらいにしかならない。

 強者になれない身であるならば、せめて強者に近付く努力をするのみだ。

 寝るまを惜しんで勉強し、血反吐を吐きながら学習し、自分の力ではなく知恵の力を借りて強者の真似事をすることで、地面に這う虫けらでも傷を負わせるくらいには成り上がれる。


 ――下劣な方法だと思うのなら思えばいい。俺はセルムッド・クラトス、お前のように誇りも無ければプライドも名誉も持ち合わせていない。そんなまがい物に身を任せているから、破滅することになるんだ。


 ミツルは胸中で呟きながらセルムッドに目をやると、彼は身動きせず固まったままだった。既に戦意喪失したのだろう。


 ミツルは半壊して足場が悪くなった決闘場をつまずかないよう注意しながら審判官に向かって歩いて行く。

 審判官はミツルが近付いてくるのに気がつくと、口を開き続けているからか、渇いた喉から必死に声を出すようにして、


「……こ、これは、君が……やったのかい?」


「……ああ」


「君は光と闇、そして火。三つのマディラムを使えるのかい……?」


 アリヤは二つ使える人はいるが三つ目は断じて無いと言っていた。ならそれがこの世界では常識なのだろう。


「あー……、あれは意図的に起こしただけで、マディラム無しでもできることなんだけど……」


 説明するには難しい。


「それよりも、この勝負俺の勝ちでいいのか?」


 審判官はハッとした様子でセルムッドのほうを見やる。

 そしてセルムッドが立ち上がろうとしないのを確認すると、


「し、勝者――ミツル!!」


 めいっぱい声を上げて叫ぶが、めらめらと燃える闘技場に遮断され、観客にはあまり聞こえないでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る