第4話

「ただいまー」


 紺は帰ると仏壇に線香を供え両手を合わせた。若くして亡くなった神主の父親の遺影が飾られていた。


「紺、遅かったわね、ひなたさんのところに居たの?」


「うん、そう。お母さん、手伝うよ」


 紺は台所に入ると茶碗を棚から取り出し、そこに出来たばかりのみそ汁を注いだ。


「それでまたひなたさんがさあ…」


 夕飯の配膳を手伝いながら紺が愚痴をこぼしかけると母は可笑しそうに吹き出した。


「…お母さんどうして笑ってるの」


「ふふっ…紺ったら最近は口を開けばひなたさんのことばかりだから何だか可笑しくって」


「そ、そんなことないよ…!」


「その内ひなたさんがどんな人か会ってみたいわあ…紺が好きになるんだからきっと素敵な人ね」


「じょ、冗談やめてよお母さん…!境内!境内の灯り落としてくるね!?」


 暗闇の中、紺は玄関でサンダルをつっかけると境内の裏手にある納屋近くへと向かった。


「稲荷紺さん」


 突然暗闇から声を掛けられたので紺は飛び上がりそうになった。振り返ると賽銭箱の傍らに立つようにそこに居たのは、和服姿の細身の男だった。


「ど、どなたですか…?参拝時間はもうとっくに…」


「悪いことは言いません。神崎ひなたに深入りするのは辞めておきなさい」


 男の安穏ならざる雰囲気に紺は警戒心を強めた。


「…あの玉って呼ばれてた人の差し金ですか?こんな回りくどい真似して…一体何のつもりですか?」


 まるで爬虫類のような奇妙な色の瞳をしていた。存在自体がふわふわとした浮遊感のある、不思議な男だった。


「あの玉って人がどんな人か知らないけど…あんな風にヒキニート寸前になるまでひなたさんを放っておくなんて…!あの人は絶対にちゃんとした人なんかじゃないと思います!」


 男は一瞬きょとんとした顔をすると大きな声で笑いだした。


「ふふっ…ははははは」


「何がおかしいんですか!?」


「いえ…あなたは本当に何も知らないのだと分かりました」


「どういう意味ですか…」


 紺は精一杯の力で男を睨みつける。しかしそれも男に対して余り効果はなさそうだった。


「そう、あなたは何も知らない…そしてそれであれば尚更、神崎ひなたと縁を切るなら早くした方がいい…取り返しのつかないことになる前に」


 男の手から閃光の様に何かが飛び出し、背後の松の木に鋭い音を立てて突き刺さった。それが刃物だと理解するのに紺の混乱した頭では数秒もかかった。


 身体中に悪寒が走り抜け、冷たい汗が背中を濡らした。更には…


(動けない…!?)


 更に紺は今や指一本と動かすことが出来なかった。この男に心臓を丸ごと鷲掴みにされているような根源的な恐怖が身体の奥から突きあがり、強張った身体は指一本動いてはくれなかった。


「…少しは身の程というものが分かりましたか?」


 そう言って男がにこりと笑うと身体の金縛りは解け、紺は益々混乱した。


「陰陽術ですよ…まあ手品みたいなものと思って頂いて構いません…ただ、その気になれば人一人程度ならすぐに消せてしまいますがね…」


 男の手からは複雑な文様が描かれた札が灰となって落ちた。紺は傍らにあった箒を両手で硬く握りしめ警戒を示した。


「ふふっ…少し怖がらせすぎましたか…私の名前は御奴原十慈おやつはら・じゅうじ…困ったことがあればそこのナイフに刺さっている名刺の連絡先からメッセージをください…くれぐれも変な気は起こさないようにお願いします…あなた自身のためにも、ね」


 男はそういうと踵を返し、神社の階段を下っていった。


 男が去ると紺は安堵の長い息を吐いた。


 紺はおそるおそるナイフが突き立てられた名刺を引き抜くとスマートフォンでQRコードを読みとった。


 リンクからはTwitterに飛びそこには『20歳↑のHAPPY陰陽術師です。趣味で自分で描いた絵や作ったものを上げてます。お仕事の依頼は気軽にDMでどうぞ』とプロフィールに書かれていた。


 …せめて仕事用と趣味用で垢わけろよ…


 紺はそう思った。

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