第32話 ハピハピ

「なんですかこれ?」

 受け取ったアストレアが、人差し指と親指でつまんで興味深そうにそれを見つめる。


「愛用の滋養強壮薬だ、元気が出るぞ」


「うわっ、ありがとうございます! 早速飲んでみますね……ごくん。ちなみにどれくらいで効果出るんですか?」


「たしか飲んで1時間だったかな?」


「1時間ですね。これってあれですか? もしかしなくてもリュージ様の使う神明流でしたっけ? それの秘伝の薬とかですか?」


 リュージに気遣ってもらったことが嬉しかったのか、アストレアが声を弾ませながらリュージに尋ねた。

 しかし、


「いや、薬屋で買ってきたただの市販薬だが?」

「え、あ、はい……」


 返事を聞いてテンションが駄々下がりしていた。


「俺も色々試したんだけど、これが一番効くんだ。二徹くらいならいける、すごくお勧めだ」


「ああはいそうですか、教えていただきありがとうございました」


 勝手に舞い上がってしまったせいとは言え、ただの市販薬と聞いてアストレアは本当に心の底から疲れた気がしていた。


 ちなみに、2日も徹夜できるなんて違法なクスリ(薬じゃなくてクスリ)じゃないでしょうね?

 後で確認させにいかないと……はぁ、また余計な仕事が増えました……とも思っていた。

 苦労の絶えないアストレアである。


「ところで復讐先ってまだ残ってるんですか?」


 市販薬の件がトドメになったのか。

 アストレアはもう身体の芯から疲れ果ててしまって、だから若干言葉遣いを崩して投げやりに質問した。


「すぐ手が届く相手はあと4人だ」


「4人……それってあれですよね、7年前にお姉さんを弄んだ衛兵たちですよね」


「そうだ、お前が名前も住所も簡単に調べてくれたおかげで、探す手間が省けて大助かりだ」


「……皆さん、もう家族がいるみたいなんですよ」


「姉さんとパウロ兄も家族がいたさ。理由にはならない」


「…………はぁ、それでとりあえずは終わりなんですよね?」


 アストレアは自分を納得させるように、ちいさく何度も頷いてからそう尋ねた。


「そうだな。その次は向こうの出方待ちだ。そろそろ動くはずなんだけど、まったく使えないノロマな亀だ」


「ちなみにその次の相手っていうのは誰なんです?」


「教えない」

「ぶぅ……いじわるですね」


「お前に教えると殺す前から延々と説教されそうだからな、今みたいに。そんなことされたら気分が滅入るだろ、今みたいに」


「延々はしませんよ」


 リュージの嫌味をアストレアは素知らぬ顔で受け流す。


「やっぱ説教するんじゃねぇか」

「説教じゃなくて、やんわりとしたお願いです」


「どっちにしろ聞く気はさらさらねえから一緒なんだよ。お前に求められていることは、黙って女王としての仕事に励むことだ」


「聞く気すらないとか子供ですかあなたは……」


 呆れたように言ったアストレアの言葉に、


「……そうだな」


 小さくつぶやくようにリュージは答えた。


「え?」


 さっきまでとは明らかに違った雰囲気のリュージに、アストレアは小さくない戸惑いを覚えた。


「きっと俺の時間は7年前のあの夏で止まったままなんだよ。俺の心はまだあの7年前の夏にいるんだ。姉さんとパウロ兄がまだ生きていたあの夏に」


「リュージ様……」


「2人の復讐を全て果たすことができたら、きっと俺はまた前に進めるんだと思う」


 それは常に飄々ひょうひょうとした物言いで自分の心を見せようとしないリュージが、珍しく語った心の内だった。


 それはつまりリュージがアストレアを信頼――はしていなくても、それなりには信用していることの表れであり、


「協力できることがあれば言ってください。もうわたしとリュージ様は既に運命共同体となっているんですから、最後までお付き合いします。なんなら抱っこして腕枕してあげましょうか?」


 だからそれを理解したアストレアはとても明るい気分になって、そろそろ始まるお昼の会議へのやる気も大いに向上していたのだった。


「いいや、そこまで慣れ合うつもりはない」


「そうですか、残念です」


「用が済んだらとっとと行け、まだまだ仕事はいくらでも残っているんだろ。国のために身を粉にして馬車馬のように走り続けるのが、お前の使命だ」


 そういつものようにそっけなく言われても、だけどアストレアの心は今日に限ってはハピハピなのだった。

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