第14話 マルティン・キング牧師

…前途に困難な日々が待っています。

でも、もうどうでもよいのです。

私は山の頂上に登ってきたのだから。

皆さんと同じように、私も長生きがしたい。

長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。

神の意志を実現したいだけです。

神は私が山に登るのを許され、

私は頂上から約束の地を見たのです。

私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、

ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。

今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。

神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。


    マルティン・ルーザー・キング牧師 暗殺前の遊説“en:I've Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)より抜粋


 一人の黒人牧師が砂漠の中のある会社へと向かっていた。牧師の名前はマルティン・キング牧師。各地で人種差別の撤廃を訴え、今はベトナム反戦運動を行っている人物である。そのキング牧師が向かったのは、ザラマンダーエアサービス。民間航空会社でありながら、その実態はラングレーのダミー企業と噂される企業である。

 そこに反戦を訴えに行くのか。そう思われるのが普通だが、そうではなかった。実を言うと最初はそうだったのだが、そこに勤めている黒人男性から、社長が初期の段階からベトナム戦争に反対していたことを聞いたのだ。しかも秘密裡と言う訳ではなく、政府に向かって正々堂々と真正面から。

 残念ながらプロテスタントではなくカトリック教徒らしいが、信仰に厚いらしい。しかも社内は人種差別と言うものがないらしい

 そこまで聞いて興味を持つなと言う方が無理だろう。だが、表向きは単なる民間航空会社だと言うのに、アポを取るのは並大抵のことではなかった。まあ、それもラングレーのカバー企業と言われている企業だ、仕方の無い事だろう。寧ろよくアポが取れたものだと思う。キング牧師は社長に会うのが楽しみでならなかった。


 最近のターニャ・デグレチャフことターシャ・ティクレティウスにとっては、非常に気分の悪くなる出来事が続いていた。勿論会社の業績は好調である。だが、ただでさえ反対していたインデンシナ半島の助力の依頼が後を絶たない。無論運輸業者である以上、頼まれたものは運ぶ。だがそれ以上のことを求められても困る。

 正確に言えば負けるとわかっている戦争に首を突っ込みたくはない。そんなのは一度味わえば十分だ。部下は有限の資源なのである。無計画ともいえる戦力投入など資源の無駄遣いとしか思えない。

 先日ようやく話の分かる御仁が現れたと思ったら、司令官の任を解かれた。合衆国裏庭への介入も、こちらの忠告も聞かず失敗している。まあ、フルーツ会社の株を散々空売りしたおかげでお金は儲ける事が出来たが、代わりに痛くない腹を探られた。

 せめて、インデンシナ半島からさっさと撤退をしてもらわなければ、これからの計画が狂いかねない。その為には悪魔の使徒だって手を結ぼう。なに、牧師と言えど人間には変わりない。存在Xとは違うのだ。彼らは何も知らず、悪魔を神とあがめている無知な存在にすぎない。

 今日のお客はそんな合衆国のインデンシナ半島介入に反対する市民運動の指導者の1人だ。正直合衆国に税金を納めるなら、この牧師に寄付をしてインデンシナ半島からの撤退運動を広めてもらいたい。そう考えて接触したのだが、意外とカンパニーの規制が厳しく、会うまでに時間が掛かってしまった。万が一にも合衆国が連邦に負けることがあってはならないため、サービスでやっているのに、失礼な奴らである。まあ、ジョン・ドゥ氏が何とか話をつけたらしいが。


 ザラマンダーエアサービスに着くと、キング牧師はまずどこから入っていいか迷ってしまう。というのも正面玄関はあるが、黒人用の出入口がない。玄関の前でうろうろしていると不審者とみられたのか、中から警備員が現れる。


「失礼ですがどちら様ですか?いったい弊社の玄関の前で何をしてるんですかね?」


 その警備員は丁寧な口調ながら、明らかに軍隊上がりの威圧感があった。


「失礼、御社の社長とアポイントを取っているのですが、入り口が分からず困ってまして」


 警備員は益々不審そうな顔をする。


「入り口なら目の前にあるではありませんか。それとも特別な入り口をお求めで」


 めったにない事だが、表からは入れない御仁もこの会社に来ることがある。そう言った可能性もある為、警備員は慎重に尋ねる。


「特別と言うか、私は見ての通り黒人ですが・・・。その、正面から入ってもよろしいのですか?」


「ああ、そう言う意味ですか。無論構いませんよ。受付まで案内しましょう」


 キング牧師は、そうするのが当たり前と言う警備員の態度に驚く。この時代白人と有色人種の入り口が分かれていることなど当たり前のことで、白人用の入り口から入ろうものなら叩きだされることもあったのだから。


 入ると砂漠の中とは思えないくらい空調が効いている。ここまで来る間トイレも無かったため、社長に会う前にトイレに行っておこうと考えるも、見る限り先ほど白人が入っていったトイレしかない。


「すみません。トイレを借りたいのですが・・・」


「トイレならそこにありますよ」


 そう言って警備員が指したのは、先ほど白人男性が入ったトイレだ。


「あちらは白人用のトイレなのでは?」


「?。白人と同じトイレは使えないとでもいうつもりですか。まあ、来客用のトイレが使いたいのであれば先に受付をして上に上がらないと無理ですね」


「い、いえ、そう言う訳では。大丈夫なのならいいのです」


 緊張しながらも白人と同じトイレで用をすます。トイレで白人男性とすれ違ったが、その男性は不快感を現した様子もなかった。

 キング牧師は狐に包まれた感じで、受付を済ませ社長室へと入る。そこには長い銀髪と人形のような顔をした碧眼の美女が待っていた。聞いていた年齢より随分若く見える。


「ようこそキング牧師。私はここの代表をしているターシャ・ティクレティウスです」


「お時間を頂きありがとうございます。牧師をやっているマルティン・キングと申します」


 2人は普通に握手をする。


「ところで、少々お尋ねしたいのですが、こちらでは白人と有色人種、特に黒人が一緒に働いているように見えますが、通常の風景なのでしょうか」


 キング牧師はここに来るまでも、黒人と白人が同じ服を着て仕事場と思われるところに、並んで行っているのにも出くわした。正直信じられない気持ちだった。


「おっしゃっている意味が分かりませんが?」


 ターニャはキング牧師の言ってる意味の真意がわからず逆に尋ねる。


「意味と言いますか、私達有色人種、特に黒人は白人より下に扱われるのが普通です。ですが、御社に入ってからと言うもの、そのような光景に出くわしたことがありません。それが不思議でならないのです」


 ターニャは元々日本人だった記憶を持つ転生者である。それに加えて合理主義者である。それゆえに、有色人種に対する差別感など元々持ち合わせていない。ターシャが人物の判断の基準にするのは、有能か無能かと言う至極簡単なものであった。


「死は万人に平等です。白人、有色人種を問いません。神は白人だからと言って、弾丸から守ってはくれません。ですから私が社員に求めるのは、与えられた任務を実行できるか否かです。そこに人種は関係ありません」


 寧ろ、神とは人種を問わず人間の死体を薪にして、燃料にして存在しているような奴らだ。ターニャはそう思うが、流石に目の前の牧師に言うのはためらわれる。


「大変素晴らしいお考えだと思います。多額の寄付を頂けたのも有難く思います。ですが、その素晴らしい考えを持ちながら、またインデシナ半島の合衆国の介入に反対しながら、あなたはなぜそれでも、傭兵と言う暴力を旨とする会社を運営しているのですか?」


「誤解があるようですが、私は好んで戦ったりはしませんよ。あくまでも必要なものを、必要な時に提供しているにすぎません」


 目の前の牧師は非暴力主義者である。なので、言葉を選ぶ。ターニャには理解しがたいが、無抵抗主義者よりは理解できる。ましてやコミーよりはよほどましである。それに自分は平和主義者であると言うのは間違っていない。PMC事業をやっているのは、ビジネスとして成立しているからにすぎない。別に戦争が無くなろうとターニャとしては構わない、投資した会社の事を考えると寧ろ無くなって欲しいと思うぐらいだ。無論それは共産主義に対する資本主義の勝利でなければならない。


 ターニャの考えをキング牧師は、戦争に浸りきり、戦争でしか生きられなくなった人間の救済ととらえる。そう言う人間がいるのは知っている。往々にしてそう言う人間が犯罪に走ることも。牧師としてそう言う人々の懺悔を数えきれないぐらい聞いてきた。自分としては認めたくない事だが、目の前の女性が言うように、そのような人々が生きる場所を作るのが有効な事は理解していた。


「出来れば、御社の中を見て回りたいのですが、勿論差支えの無い範囲で」


「まあ、構いませんよ。我が社の業務上見て回られるところはあまり多くありませんが、秘書に案内させましょう」


 そう言って呼ばれた秘書も、社長よりは年上だが、美しい女性だった。ロシア系の移民のように思われる。そう言えば、ここの会社には帝国移民が多いようにも思える。どちらも黒人ほどではないが、合衆国では肩身の狭い思いをしている移民たちだ。


 キング牧師は秘書に案内されて、幾つかの場所を見て回る、そこで見たのは、人種に関係なく一緒に昼食を取っている食堂、そして人種の関係なく託児所で一緒に遊ぶ子供たち、自分の理想とする世界がそこ会った。


「失礼ですが、御社の社長はいったい何者なのですか?」


 キング牧師は、感動に打ち震えながらも、不思議に思い秘書に聞く。


「あの方は特別な方です。確かに差別意識を持ったものが入社することはあります。ですが、あの方の指導を受けると、それが如何に下らないものであるか、そして社長と比較して人種の差異など、如何に小さな事か、と言うのが分かるのです。

 牧師に対して失礼かもしれませんが、私は社長を神の遣わした使徒だと思っています。もし社長に何かあり、私が代わりに社長の為に死んだとしたら、私は胸を張って戦友たちの元に行けるでしょう」


 そう答えた秘書は、まるで神に使える殉教者のように牧師には思えた。


「大変有意義な時間を過ごさせていただきました。私はここにきて未来を見させていただきました」


「大したことはしていませんが。ああ、キング牧師、暫く私どもの部下を護衛としてそばに置いてもらえませんかな。既に幾度か命を狙われてるとの事。費用は勿論頂きませんよ」


 ターニャに取って今回最も重要な案件を切り出す。このままではこの牧師は暗殺されてしまう。別に他の牧師が暗殺されようがターシャとしては知った事ではないが、インデンシナ半島介入の反対の旗印の1人が死なれるのは困る。しかもこの牧師は数少ないグリーン・パワー(お金の力)による、抑止論者なのだ。


「いえ、お申し出は有難いのですが、私は非暴力主義を捨てる気はありません。私の命などどうでも良いのです。今日私は、神の意志が存在するのを見たのです」


 ああ、これだから宗教に傾倒している者は、とターニャは考える。本人がそう言う以上護衛の任務は無理だろう。そばについておけるならともかく、隠れて広範囲の暗殺者を阻止するなど、今の会社の状態では人手が足りない。

 仕方なしに牧師を切り捨てることを選択する。まあ、暗殺されたらされたで、それを利用することはできる。寄付分は回収できるだろう。


 後日マルティン・キング牧師は“en:I've Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)と演説後暗殺される事になる。彼が見た光景とはどのような光景だったのか、またそれをどこで見たのか、知る者はいない。



後書き


 海外ではトイレではなくレストルームが使われるようですが、日本ではなじみがないのでトイレにさせていただきました。

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