伊達政宗、輝宗を殺すのは伊達じゃない その拾弐

 滝の流れる音が耳元で聞こえ、ホームズは嫌でも目を覚ます。ホームズは運良く、岩棚にぶつかって谷底に落ちることなく、一命を取り留めたのだ。

 ムクリと起き上がると、谷底を覗き込む。こうなれば、さすがのモリアーティも生還せいかんは無理というものだ。ホームズは安堵あんどのため息をもらす。

「グッ......」

 傷を負った腕を押さえると、頭上でライフルの発砲音が耳に入る。どうやらモランは、モリアーティの帰還を崖で待っているようだ。幸いにも霧が視界を明瞭めいりょうにしているから、ホームズはモランに見つかっていない。

 自分の悪運に驚きつつ、ホームズは思考を巡らせる。このままシャーロック・ホームズなる探偵が死んだことにすれば、生き残っているモリアーティ一味の残党を倒しやすくなる。そうなるとまたも運良く、ワトスンに宛てた遺書を残してきていた。これは好都合。ホームズは笑みを浮かべながら、角張るあごでた。

 まずは岩棚に付着した自分の血痕けっこんを消し去ったホームズは、逃げ道を探すために立ち上がった。


 何とかライヘンバッハの滝を抜け出したシャーロックは、兄・マイクロフトと連絡を取った。そして、とある場所で落ち合うことになる。

 御者ぎょしゃふんしたマイクロフトは、隅で固まるシャーロックを見つけて近づいた。

「シャーロック! 大丈夫か?」

「兄さん......」

「その様子だとモリアーティは倒せたようだな」

「ああ。僕はこれから数年、死んだことにする。そして、モランらモリアーティ一味の残党をやつける」

「別に構わないが、これでも私は役人だ。シャーロックと行動をともにすることは出来ない」

「わかっている。金銭的援助えんじょをしてくれればそれで良い」

「これからどこに行くんだ? 行く当てはないんだろう?」

「当てはない。だから、これから当てを作る」

「どうやって?」

「それは兄さんが一番わかっているはずだ。放浪ほうろうする」

「放浪するにしても、モリアーティ一味の残党がいたんじゃ安全な地はない」

「何とかなる。死んだら死んだで良い。僕はモリアーティ一味を断罪するために破滅すると決意したんだ」

「その決意は固いんだな?」

「見ればわかるだろ?」

「そうか」マイクロフトは眉間にしわを寄せ、紙に住所を書き出してシャーロックに渡す。「そこの住所には信用に足る人物がいる。事情を説明して助けてもらえ」

「助かる」

 マイクロフトはもう一枚の紙に、サインを書いた。

「その人物は用心深い。このサインを持っていき、私の弟であることも話すんだぞ」

「弟か。この住所まで行けば良いんだな?」

「私が信用しているんだ。何も考えずにその住所まで向かえ」

 マイクロフトはシャーロックにありったけの処置をほどしてから、その場を去った。一人取り残されたシャーロックは、紙に書かれている住所に向かうべく方向を確かめた。


 ワトスンは嫌な予感がして、ホームズが立ち寄ったライヘンバッハの滝に向かった。だがそこにホームズの姿はなく、崖のギリギリまで駆け寄った。

 滝が岩棚に当たって出来る霧が原因で、地面は少しばかり泥濘ぬかるんでいる。その地面には、崖に向かう二人の足跡があった。ワトスンは目を大きく見開く。

 その二人の足跡は崖で途切れ、戻ってくる足跡は皆無かいむ。崖から谷底へと落ちたとしか考えられない。ワトスンは涙をこらえる。

「ホームズ! ホームズはいるか!?」

 ワトスンが懸命にホームズの名を叫ぶが、滝の轟音で掻き消されるばかり。ホームズからの返事はない。ワトスンは崖の下を見る。

 谷底は霧で見えないが、かなり深いことだけはわかる。ここから落ちては、ホームズは生き残れない。ワトスンは絶望する。

「帰ってこい、ホームズ!」

 何度も叫ぶと、背後でカチャンという音がした。振り返ると、登山杖が転がっていたのだ。ワトスンはすかさず登山杖を持ちあげる。

 これがホームズの登山杖なことは、ワトスンには嫌でもわかる。ついに両手で顔をおおい、涙を流す。

 涙が収まって状況を整理するために歩き回ると、くつに何かが当たった。ワトスンは顔を下に向けた。そこには、ホームズがいつも使っている銀色のシガレット・ケースが落ちていた。それを拾い上げると、シガレット・ケースの中に入った紙が風で地面に落ちた。

 ワトスンはその紙を開き、ホームズがワトスンに宛てた手紙だということがわかった。文面を読まずとも、普通の人ならこれがホームズの遺書だということが理解出来る。ワトスンは親友の死をの当たりにし、力が抜けて尻餅しりもちをついた。

「ホームズ! 何でだよ、ホームズ......。僕を置いていくなんて」

 ワトスンはくちびるを噛んで肩を落とし、ホームズの遺書に目を通した。いつも何気に読んでいた彼の字を見ているだけで、無性に涙を誘った。一文字一文字に、ホームズの意志を感じ取れる。

 ワトスンは登山杖、銀色のシガレット・ケース、ワトスン宛ての遺書を抱きしめて、今までの思い出にひたることしか出来ない。意見の相違そういでたびたび喧嘩はした。今回の道中でも喧嘩をした。けれど、そのとりとめのない喧嘩も、もうすることは不可能だ。ワトスンは、人生で一番の親友を失ったのだ。

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