41 作戦開始
――異端審問の数時間前。
月明かりもない暗い道をミハイロは歩いていた。
もう少しで夜明けが来る。
「みんな、急いで! 黒獣が動き出す前に村を出るんだ!」
ミハイロの後ろには、数百人もの人々が列を成して歩いている。
そしてほぼ全員が半信半疑の顔をしている。
普段はお調子者のミハイロが、真面目な顔で人々を説得するものだから、とりあえず信じてやっているといったところだ。
「おいミハイロ。あの話、本当なんだろうな! でかいモンスターが来るだとか、村が破壊されるだとか! とても信じられない話ばかりだぞ!」
「本当だとも。あのアルヴィがそう言っていたんだからね!」
「嘘だったらただじゃおかねえぞ!」
「その時は、鼻からお湯を飲んでやろうじゃないか!」
「言ったな! 楽しみにしているぞ!」
「もちろん、僕じゃなくてアルヴィが飲むんだけどね!」
「はははっ! そいつは見ものだな!」
行列は笑いながら、和やかな雰囲気で避難場所を目指していた。
しかしミハイロは内心で焦っていた。
夜が明ければアルヴィの異端審問がはじまる。
異端審問の時間に、あの黒獣は自由を取り戻す。
そうなる前に村の人々を避難させなければならない。
――時間との戦いだ。
「まったく、我が友はなんて大胆なことを考えるんだ……おかげでこっちは寿命が縮まっているよ……」
*
ミハイロが村の人々を誘導している時と同時刻――クロエもまた動いていた。
暗く深い森の奥、魔物使いの少女はおぞましい獣とともに、夜を過ごしていた。
シーファはクロエの来訪を察知すると、冷たい声で拒否した。
「何度言っても無駄なこと。私はギルドを抜けられない。この仕事が終わるまでは、ブラッククロウを裏切ることはできない」
「本当にそう思っているのですか? あなたの闇術には既に、綻びが見えるようですが」
「…………」
シーファの表情は黒いローブに隠れて見えない。
しかしクロエには手に取るように分かる。
クロエは若く美しい。一言で言えば、見目麗しい王女だ。
が、それはクロエの一面にすぎない。
極限まで熟達した魔術師であり、戦場を支配する司令官でもある。
人の心を読むことは容易いことだ。
「あなたの闇術は、ギルドの長――ドドイドが指定する時よりも先に解けるでしょう。おそらくは一日持つかどうか」
「どうしてそんなことが言えるの」
「私はかつて、その黒獣を相手に幾度となく戦ってきました。時には数百の大群を相手にしたこともあります。少なくともあなたよりは、その黒獣について知っています」
「そんな話、信じられない。全部、嘘」
しかしセリフとは裏腹に、シーファの額には玉のような汗が浮き上がっている。
相当な魔力を消費しているのだろう。
「信じられなくて結構。しかしその黒獣は、予期せぬタイミングであなたの闇術を打ち破るでしょう。例えば、ギルドで作戦行動をしている最中に暴走すれば……」
「…………!!」
クロエは既にブラッククロウの内情を把握していた。
ブラッククロウは、荒々しい男達がほとんどを占めている。シーファの居場所があるとは到底思えない集団だ。
「あなたは修業の旅にでも出ていたのでしょう。そこで不運にもあの暴力的なギルドに入ることになってしまった。あなたはギルドを抜けたいけど、抜けられずにいる。……と言ったところでしょうか」
「…………どうして分かるの?」
「あなたは暗い目をしている。冷たく、湿った声をしている。私はそういう人間を、何人も見てきました。誰からも与えられず、認められない場所にいる人はそうなるのです」
「そんなことはない。ドドイドはああ見えても良い所がある」
「いいえ。暴力的な人間は、ただ普通にしているだけで優しく思える時があるのです。あの男の本質は知っているでしょう」
悪徳領主と手を組み、人々に災厄をもたらす男。
金のためなら平気で人を殺す男。
それがドドイドだ。
クロエに図星を突かれたのか、シーファが沈黙する。
シーファは思いだしているのだろう。クロエには知りえない、あの男の悪の所業を……。
「………………」
夜空にかかっていた雲が流れ、月明かりがシーファを照らした。
ひどく不安そうな表情が、黒いローブの奥から垣間見えた。シーファの感情は揺れ動いている。クロエにはそのことが手に取るように分かった。
クロエはたたみかけるように、最後の言葉を告げた。
「全てを解決する簡単な方法があります。あなたが所属するギルドが全滅すればいいのです。シーファ、あなたはその黒獣を解放するだけでいいのですよ」
*
クロエがシーファを説得した数時間後。
黒獣は戒めを解かれた罪人のごとく、縦横無尽に破壊の限りを尽くしていた。
そしてミハイロはその町の中を、必死に走っていた。
「はあ……はあ……!! 急げミハイロ……そうだ、急ぐんだ!! 僕ならできる!!」
生まれ育った村が無残に破壊される様子に、ミハイロは心を痛める。
しかしミハイロに立ち止まる余裕などなかった。
黒獣はミハイロからおよそ数十メートルの場所にいる。
徹底的に街を破壊しながら練り歩く様は、人類の文明そのものに敵意を抱いているかのようにも見える。
森で遭遇した時以上に、暴力性、攻撃性が増しているようだ。
もし見つかったら――。
ミハイロはその時のことをなるべく考えないようにする。
「今は、アルヴィとの約束を果たすことだけを考えるんだ……よし、もう少しだ……!!」
ミハイロはアルヴィの屋敷に辿り着いた。
「急げ急げ……!! 時間はないんだ!!」
ミハイロは自らを鼓舞するように呟く。
屋敷に入り工房の扉を開ける。
そして、アルヴィが一晩で組み上げた魔銃を荷車に乗せた。
アルヴィは一晩のうちに新たな武器を作り上げた。前の銃と比べ、圧倒的に重さが増していた。
「うう……なんて重さだ……!! だがこれくらいでなければ、あの魔物は倒せないということか……!!」
アルヴィの作戦は、最終段階に入っていた。
一段階目は、ミハイロが領主に気付かれないように村の人々を避難させる。
二段階目は、クロエが黒獣を解放する。
三段階目は、黒獣に街を破壊させる。
最終段階は、アルヴィが領主を説き伏せ、モンスターを討伐する。
その最終段階に辿り着くためには、ミハイロがこの武器を広場に持って行かなければならない。
荷車の軸をギシギシと軋ませながら、ミハイロは荷車を引いた。
アルヴィの屋敷を出て、泥でぬかるんだ道を進む。
しかし。
重い上に道が滑る。まったくと言って良いほど前に進まない。
広場までが遠く感じられる。普段なら数分とかからないはずなのに。
「く、ぐんぬぬぬ……!! が、頑張れ僕! この先に友が待っているんだ……!!」
ミハイロは渾身の力をこめ、前に進んだ。
*
ミハイロが荷車を押し、アルヴィが異端審問を受けているのと同時刻。
「百年ぶりに目覚めたと思ったら、ずいぶんと鈍くなったようですね。ほら、ほら、はやく来なさい!!」
「ギギギギギギャアアアア――!!」
黒獣が牙を剥き、クロエに迫る。
クロエはひたすらに逃げ回っていた。
「それにしてもあの男は、君主を何と心得ているのでしょうか。こんな無茶苦茶なことをさせるなんて……」
アルヴィがクロエに伝えた作戦は困難を極めるものだった。
「黒獣と戦わず、しかしダメージも受けず、アルヴィが指定したタイミングが来るまでに村の広場へ誘導する、だなんて……」
「ヂヂヂヂヂヂヂ――――!!!」
鋭い牙が、爪が、クロエに迫る。
クロエは紙一重の距離で、踊るようにかわす。
「百年前に五百体ほど屠った経験がなければとっくに死んでいますよ。アルヴィの合図はまだかしら……」
と、その時だった。
――パァン!!
遠くから銃声が聞こえた。
異端審問中のアルヴィが、魔銃の引き金を引いたのだ。
「やっと来ましたね。さあ、忌まわしき黒獣よ。派手に踊り、死になさい……!!」
クロエは黒獣を引き連れ、村の広場へと向かった。
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