【『わきまえておられる』の意味を解析をする】

 『違う違う! そーじゃない! 森の発言は明らかな女性蔑視発言なんだよ!』という声がどこからか聞こえてきそうである。


 森喜朗発言の第2の攻撃ポイントは、

『私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます』という部分。

 これを『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります』とセットにし合わせて解釈すると、こういうことになるようだ。



1『女性が会議に参加すると時間がかかるが、オリンピック組織委員会の女性達はその点わきまえている』

 

2『女性は温和しくしているのが良い』


  

 こうして1から2へと繋げていく。『森喜朗の女性蔑視発言』とはこういう解釈で成り立っているものらしい。そして攻撃者達は遂には〝古い〟と言うためだけに、『昭和』だとか口走り、年代差別まで始める始末。



 だがこれはおかしくはないだろうか? かなり想像力を膨らませて解釈している。『森喜朗はこう考えているに違いない!』、と攻撃側の想像力で『女性蔑視発言』ということにしてある。そういう想像ができてしまう奴らこそが実は潜在的女性蔑視者ではないのか。


 女性を蔑視するということは、全ての女性を蔑視したということである。あの発言が〝全ての女性を対象〟としたものであったかどうか、そこを考えなければならない。

 具体的には『女性は全て◯◯である』という構造の発言でなければならないだろう。当然『◯◯』の部分にはネガティブな表現が入る。これを言ったならそれは明らかな女性蔑視発言である。

 

 しかし森喜朗はそういう発言はしていない!


 森喜朗が『東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の理事職にある女性達は会議を長引かせない』という意味の事を言っている以上、『どんな女性であろうと女性が入れば会議が長くなる』という、女性全体を指して言ったことにはならないのである。


 考察を続けよう。

 『東京オリンピック・パラリンピック組織委員会』には7人の女性理事がいるらしい。7人というのは結構な数である。

 では発言前段の『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります』というのはいったいどこのことを言っているのか? ということになる。女性が会議に参加すると時間がかからないのか? かかるのか? どっちだ? と問いたくもなる。

 その回答は件の森喜朗発言の中にある。


『ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた。5人います』、とある。ラグビー協会での話しだったのだ。


 この5人というのは前述の7人より、当然少ない。しかし少ない方が時間がかかるということは、女性という性別云々というよりはこれは個々人のパーソナリティーの問題ではないか。


 要は、口数の少ない女もいるし男もいる。何かを言いたくて仕方ない男もいるし女もいる。という至極当たり前なこれだけの事を森喜朗は言っているだけである。


 学級会でも生徒会でも部活のミーティングでもなんでもいい。思い出してみて欲しい。発言する奴っていっつも決まってなかったか?

 

 もの凄く嫌な気分になる。

 森喜朗を攻撃する人間達は『口数の少ない人間には価値が無い』という考え方を、無意識のうちに正当化し社会に拡散しているのだ。単一の価値観だけで社会を塗り潰そうとしている!

 これは言っておかねばならないが、会議のような場で発言しろと言われてこれがひどく苦痛で苦手な人間は実際いるのであり、女にせよ男にせよ人前で喋らなくていいのならそれに越したことはないと考えている人間達からしたら、『むしろどんどん喋らないとダメだ』という価値観だけが大手を振ってまかり通る社会は地獄でしかない。森喜朗攻撃にうつつを抜かす奴らこそ人間を性格差別しているのである。


 森喜朗が全ての女性を対象として『女とはこういうものだ!』と言っていない以上は、『時間がかかります』と『わきまえて』を合わせて考えても尚この発言を『女性蔑視発言』とするのは、〝攻撃者の脳内補完で成り立っている主張〟、と言うほかない。そういう者どもに贈る言葉は「少し己の思想を疑った方がいい」だけだ。


 結論は、この森喜朗氏という人物は、『長い会議なんてやりたくない!』、と思っているだけの人である。それを『女性蔑視発言だ!』ということにしている奴らは、憎悪の煽動をしているだけと断言していいだろう。




「何を言うか! 『わきまえて』ということばには女性を低く見る上から目線を感じる!」、と言う者が、あるいはいるのかもしれない。


 しかし、ポイントは『おられる』、とくっつけていること!


『みんなわきまえておる』と言っていたなら、これは完全に女性を低く見た上から目線と言える。

 しかし、『おられる』と言った以上はこれは上から目線とは言えない。

『おる』は『おられる(おられます)』で尊敬の言い方として用いられる。試しに辞書に載っていた例文をひとつ紹介しておきましょう。

『先生は昔、仙台におられたことがある』

 さあどうだ?


 森喜朗のことを、森喜朗というだけで〝鮫の脳〟だとかなんとか小馬鹿にする傾向が世の中にある。しかし人を馬鹿にする者の方が却ってよりいっそうのバカだったということは決して珍しくはない。森喜朗、さすがに何十年も政治家をやっていたのは伊達ではない。

 何も考えずに喋っていそうで実はことばの使い方を間違えていないのである。

 これが解らないのは現代文が凄く苦手だった日本人である。どういうわけか〝記者〟という文章を扱う仕事を生業にしているようだが、向いてないから今すぐにでも別の職種に転職した方が良い。

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