第4話 現代人達は召喚される 4

 場はなんとか収まった。ヤトが従者の刀を奪ったこと。それになによりも、眠りから目覚めた幸姫の「よいよい」との鶴の一声で、荒獅子のように怒り狂う従者も冷静を取り戻した。

 以下に被害を書き記すことによって、今回の騒動のまとめとしたい。

 

 擦過傷3 (歩の額と頬と腕)

 打ち身1 (歩の脇腹)

 咬傷2 (歩の首筋と腕)

 挫創、あるいは皮膚損傷2 (歩の腕と指)


 あわや刃傷沙汰に発展しかねなかったあの場面が、一人の男の尊い犠牲のみによって鎮静されたことは、僥倖であったといえるだろう。


「皆の者、よくぞ参った」


 朗らかな笑みを浮かべた幸姫が、高座の上から声をかける。その脇では正座をした従者が背筋を伸ばして控え、何故か姫が手を休めるための脇息の上には小梅さんが座っていた。姫は小梅さんのふくよか(メタボリック)な体の感触が気に入ったのか、口を開いている間も、その体に紅葉のように小さな手を沈ませていた。

 

 歩達も畳の上に正座していた。飼い主の隣には犬達がお行儀よくお座りし、パタパタと尻尾を振りながら姫の言葉を待っている。尻尾を振ってはいるものの、その表情は精悍で凛々しく、主家のために命を賭ける武士のような気迫さえ漂わせていた。


- 犬の神様って言ってたもんな・・・。


 歩は犬達の様子に、そんな理由を付けてみる。


「妾の治める土地は廃れようとしておる。皆には妾の手助けをして欲しいのじゃ」


 姫のそんな言葉に、歩は漠然と思考を働かせた。

 土地が廃れる・・・過疎地からさらに人口が流出し、例えば村落が廃村になってしまうように、この土地もそういった運命の上にあるということだろうか?

 歩はさらに考える。

 というか、ここはどこだろうか?言葉が通じるから日本なのだろうか?しかし残念ながら日本には犬神の姫様が暮らす山は無い。科学の発達した現代において、信仰の対象にはなるであろうが、神様はどうやら実在しなさそうである。しかしこの幼き犬神の姫様は存在していて、自分の目の前に居る。その言葉自体が嘘の可能性もあるが、歩はその件に関して疑っていなかった。従者を羽交い絞めにした時、彼女の頭から生える犬耳をつぶさに観察していた。それは間違いなく頭から生えていて、作り物だとか、特殊メイクの類ではなかった。ならばここには犬耳と尻尾の生えた人が存在していて、だけれどそんな人は歩の住む世界にはいなくて・・・。


- 夢かな?


 と結論付けようにも、首筋には従者の歯形と痛みがありありと残っている。あるいいは五感が感じる全ての感覚が、夢などではないと物語っていた。

 そんな思考の迷宮に迷い込んでいる歩の横顔を、微笑ましそうにヤトが眺めていた。


「皆の力が必要なのじゃ。どうか妾を助けてたも・・・」


 そう言い終わると、幸姫は小さな頭を下げる。横の従者も、深々と頭を下げた。

 しばしの沈黙が流れた。


「ワンッ!ワンッ!」


 犬達の中でも年長のゴン太が口火を切る。


「ワンワンッ!ワオ~~~ンッ!!」


 いつも温和で、公園では日向でコクリコクリと眠りこける老犬が、勇ましく吠えた。


「うっうっ・・・そうか・・・そう言ってくれるか・・・」


 ゴン太の吠え声を聞き、幸姫は涙を浮かべる。


- 最近は寝てばかりいるゴン太があんなに勇ましく吠えるだなんて・・・。ってか何て言ったんだろう?


 ヨーコはそんな老犬の姿を頼もしく思いながらも、まっとうな疑問を持った。


「ワワワンッ!ワンワンッ!」


 今度ははなちゃんだ。さらにソラまでも「ワンワンッ!」と続く。


「なんと頼もしい・・・」


 その声に、従者が感極まったように両眼から涙を溢れさせた。


- なんだか盛り上がってるみたいだけど・・・何て言ってるんだろう?

- 僕もソラみたいにワンワンッ!って吠えた方が良いのかな?


  勇太はソワソワとした様子で、歩はやや冷めた視線で犬達のやり取りを見守る。


「にゃわ~~~んッ!!」


 最後に小梅さんが、皆の意見を総括するかのように鳴いた。彼女は犬達一匹一匹に視線を送り、その意思と決意の固さを見るや再び「にゃわん」と鳴いた。


「妾は幸せ者じゃ・・・。こんなに・・・こんなに頼もしい者達に囲まれて・・・。あい分かった。今日からお主達は妾の大切な家臣なのじゃ・・・」


- まあ小梅さんったら・・・。しれ~っとあんな所に座っちゃって・・・。それにしても・・・何て言ったのかしら?


 彩は小首を傾げた。


「皆の気持ちとこのアサヒの気持ちは一緒だ。共に頑張ろう。頑張ってこの地を再興しようではないかッ!」


- あの人・・・アサヒって名前なんだ・・・。


 と犬友達の誰もが思った。



 そして興奮した犬達が幸姫とアサヒを取り囲み、互いに抱き合い、志を共にし、感動に身を震わせ、むせび泣いている頃、依然として正座でその光景を眺めていた飼い主達の誰もが思った。


- いや、何て言ったの?


 そんな飼い主達とは対照的に、ヤトはその光景にパチパチと手を叩き、ライは目を瞑りうんうんと頷いていた。



☆彡☆彡☆彡



 日が暮れた。

 アサヒは夕餉の支度をしてくると言い、大広間を後にした。

 幸姫は家臣となった犬達にしきり話しかけている。「そうかお主はハナちゃんと言うのか・・・。お主はゴン太と言うのか・・・」と名前を聞きながら愛おしそうに犬達を撫で、犬達も目を細め幸せそうであった。

 そんな輪の中に二人の子供が飛び込んだ。彩と勇太である。二人とも幸姫に近付き、そして名前を憶えて欲しいのか「私、彩だよ~」「僕は勇太だよ~」と自己紹介をしていた。幸姫はそんな二人を見て朗らかな笑みを浮かべ「犬達の家族ならば其方達も妾の家臣なのじゃ」と何やら聞き逃せないことを言う。

「わ~い。家臣になったよ~」「ねえ家臣ってどういう意味?」勇太は無邪気に喜び、彩は素直に質問をした。犬姫の家臣となった飼い主を喜ぶようにソラが「ワンッ」と吠え、小梅さんは「にゃわ~ん」と鳴いた。

 そうこうしていると、はなちゃんが幸姫にせがむようにその顔をペロペロと舐め、ゴン太もついついと連続してお手を繰り出した。

「大丈夫じゃ分かっておる・・・」と幸姫は歩達の方を見やる。そして「そこな者達も妾の大事な家臣なのじゃ。ささ・・・もそっと近う寄れ」と催促した。


ー 家臣・・・って家臣ってことだよな?そんなことよりも僕は帰りたいんだが・・・。


 歩はポリポリと頭を掻いた。


ー なんでそんな話になってるわけ?ってかアタシ、バイトがあるんだけど?


 ヨーコは怪訝そうに視線を送る。


「このヤト、幸姫様のために全力を尽くしましょうぞ」


 歩やヨーコとは違い、ヤトが深々と頭を下げる。


「ワオンッ!」


 ライも深々と頭を下げた。


「うむうむ。そう言ってくれるか。妾は果報者じゃ」


 幸姫が満足気な表情を浮かべた所で、大広間にアサヒが現れる。どうやら夕餉の支度が出来たようだった。



☆彡☆彡☆彡



 先程の大広間とほぼ同じ作りの部屋に歩達は通された。幸姫は高座に上がり、その脇にアサヒが控える。畳敷きの部屋には膳が用意されていて、そこに木皿と茶碗が置かれていた。片方の木皿の上には何かの肉を焼いた物が六切れ、もう片方の木皿には山菜のおひたしが載っていた。茶碗にはやや茶色がかった米が盛られていて、白米に慣れた歩達に取っては、明らかに精米が足りていない代物であった。

「ねえねえ歩くん、どんな豪華な食事が出てくるんだろうね?」「こんなおっきなケーキに果物に、きっとステーキもあるわよ」彩と勇太は子供の空想に胸を躍らせていたが、今は言葉を失って膳の前に座っている。何か言いたそうに歩達にチラチラと視線を送っていたが、歩が顔の前に人差し指を持って行き「しぃ~」とジェスチャーをすると、シュンとなってうなだれた。

 犬達のための食事も用意されていた。膳は無く、木皿の上に生肉がデンと載せられているだけの物だったが、犬達には好評なようで、皆パタパタと尻尾を振っている。


「さあさ、食べてたも。ウサギの肉は美味いぞ」


 高座の上から幸姫が声をかける。それを合図に、まずは子供達が恐る恐る好奇心の入り混じった様子で食事に手を付けた。犬達も我先にと生肉を頬張り始める。

 そんな家臣達の様子を、幸姫はニコニコと微笑みながら眺めている。しかしどうにも様子がおかしい。幸姫とアサヒの前には膳が置かれていなくて、そのことに年長組は疑問を持った。


「アンタ達は食べないのかい?」

 

 ヨーコは自分の膳に箸を付けずに尋ねた。


「妾達はさきに済ませてあるのじゃ。のうアサヒ?」

「ハッ」


 と、にべもない。ヨーコはその感の鋭さで、この二人が嘘をついているのだとすぐに分かった。育ってきた環境が、17歳の少女にその悲しい力を磨かせてきたのだが、とにかくヨーコは嘘つきが大嫌いであった。彼女は嘘を付かない。嘘を付く必要がある、あるいは答えたくない質問には、ただ黙り込んだ。そんな調子だから、犬友達は「あっ、この質問はしちゃいけないんだ」とすぐに察することができた。

 嘘と言えば、勇太が嘘を付いた時などは(少年の可愛らしい嘘だが)声こそ荒げはしないが、ヒシヒシと不機嫌そうなオーラを体全体から発し、少年を怯えさせた。勇太はこの時「人を騙してはいけない」という大切なことを学んだ。

 ヨーコは二人の答えを嘘と見抜き、体から不機嫌なオーラを噴出させる。

「あっ・・・ヤバい・・・」犬友達は息を呑んだ。


 そんな剣呑な雰囲気もすぐに終わった。「クゥ~~・・・」という可愛らしいお腹の音が大広間に響き渡ったからだ。幸姫は高座の上で顔を真っ赤に染め、体を震わせながら小さなお腹を抱え、恥ずかしそうに俯いた。 

 誰も何も言わなかった。その代わりにヨーコが膳を持って立ち上がり、幸姫の方へと歩き出した。そして「ほら・・・食べな・・・」と膳を幸姫の前に置いた。

 幸姫はウルウルとした瞳でヨーコを見上げ、固く口を結び、ブンブンと首を横に振った。

 

「家臣と領民を餓えさせるは主家の恥なのじゃッ!」


 まるで駄々っ子のように首を振り続ける。しかしすぐに「クゥ~~・・・」という可愛らしい音が聞こえてきた。幸姫はお腹を抱え、再び俯いた。そして涙声で「みんなお腹が減っていなくなってしもうた・・・。妾にもっと力があれば・・・みんなをちゃんと食わせてあげられていたら・・・みんな妾の元に居てくれたのじゃ・・・」

と肩を震わせた。「えぐっ・・・えぐっ・・・」とすすり泣く声が聞こえてくる。犬神の姫様の過去に何があったのか、歩達は知らない。知らないが、こんなに幼い少女に空腹を我慢させる程の、トラウマのような出来事があったのだろうと想像した。


「じゃあ半分こ」


 とヨーコが言った。

 彼女は泣きじゃくり、小さな体を震わせる幸姫を抱き締め、まるで母親が幼い子供をあやすかのように優しく耳元で囁いた。


「半分こならアタシは餓えない。それにアタシはダイエット中」

「だいえっと・・・?それはなんじゃ・・・?」

「まあとにかく半分こ。ほら食べな」

「しかし妾は・・・はぐっ・・・」


 幸姫の小さな口に、ヨーコが肉を放り込んだ。そして幸姫がそれを飲み干すと、自分も一切れ肉を食べた。次にご飯を幸姫に食べさせ、自分もご飯を食べた。そしてまた肉を食べさせ自分も食べる。そんなことを繰り返した。


 その光景を見守っていたアサヒの前に、音も立てずに膳が置かれた。


「私もダイエット中ですので召し上がって下さい」


 ヤトであった。ついでにライも器用に木皿を咥え、それをアサヒの前に置いた。


「ライもダイエット中ですので・・・。っと・・・それは生肉ですものね。焼いちゃいましょう」


 と言うやいなや、ヤトは掌から小さいが高温の炎を出し、生肉を焼いた。じきに肉を焼いた時の良い匂いが大広間に充満した。


 その様子を一部始終目撃していた歩は目を見開き固まっていた。


ー いま・・・ヤトさん手から炎を出さなかったか・・・!?


「ねえ歩くん・・・」

「歩兄・・・」


 そんな歩もすぐに現実に引き戻される。彼の膳の前では、少年と少女が物欲しそうな顔で歩を眺めていた。


「歩くん。そのお肉食べないなら僕にちょうだい」

「歩兄~あれだけじゃ足りないよ~」


 歩の夕食は山菜のおひたしのみとなった。

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