第42話 ああ、あなたに会いたくて1
数分後、秘書のみなさんににこやかに挨拶しながら少佐が滑り込んできた。
「リック、セキュリティをあげてくれ。一切を遮断だ」
ボスは顔色一つ変えず、素早くデスク上のパネルを操作した。総督府全体、最上階、総督室フロア、奥の私室。何重にも張り巡らされていくシステム。ボスはデスクの向かいにある二つの椅子を顎で指し示した。私と少佐はそこに腰掛ける。
「ロブ?」
少佐は深く眉間にしわを寄せたまま深いため息をついた。
「ロブ?」
続く数秒の沈黙の後、少佐は閉じていた目を静かに開き、ボスを見た。
「……リック、落ち着いて聞いてくれ」
「……」
「……フェルが、危篤だ」
思いがけない一言に息が止まるかと思った。鋭い一撃を食らったかのようだ。見上げたボスの顔にはありありと苦悶の表情が浮かんでいた。どんな時もポーカーフェイスの男が、部隊メンバーの前では「もう中尉だなんて呼ぶな、容疑者だ!」とばっさり切り捨ててきたボスが、狂人など死のうが生きようが歯牙にもかけないと言わんばかりだったボスが、衝撃に打ちのめされそうになっていた。
もちろん私は、そう言いながらも中尉のことを片時も忘れることがなかったボスを知っている。信じたい、許したいと願っていた心の奥を知っている。それはきっとハリソン少佐も同じなのだろう。だからこそ、ボスは少佐の前では取り繕わないのだ。絞り出された声は苦しげだった。
「……確かなのか……」
「……ああ、残念ながらな。間違いない。あいつの現状をやっとつかんだ矢先だった」
持ってきたタブレットを操作し、少佐は複雑な記号が並ぶページを開く。
「聞きたいか? 必要か?」
「……ああ、頼む」
中尉の生存を突き止めた後、ボスは少佐にも協力を仰いで、引き続き調査を進めていた。政府の要人ともなればそう簡単に情報を得ることはできない。それでも諜報部員なら方法がある。これは連邦政府を通さない個人的なものなのだと私は思った。少佐は自分の意思でこの仕事をしている! かなり大変だろう。しかしボスのために、中尉のために、それを成し遂げたいと思っているのだ。
私はそこに、遠い日の二人の関係がいかに周りのみんなに大きな影響を与えていたかを見たような気がした。彼らが無残にも引き裂かれたことに胸を痛めた人がいる。それも表面的なものではない、自分のことのように辛く悲しいものだと受け止めてくれた人たち。それほどまでに、二人には互いを大切に想う気持ちがあふれていたのだろう。
「ちょうどシャーロットもいる。いい機会だ。調べあげたことをみんな聞いてくれ」
私に頷きかける少佐に答えれば、自分が生まれてもいない遠い日の悲劇が、鮮烈に浮かび上がることとなった。
内戦の終了。それは誰もが絶望しかなかった大爆発だった。巻き込まれたフェルナンドの行く末など確認できるわけもない。リチャードは崩れ落ちそうな自分を叱咤して全軍撤退を指揮した。そこに残るものはなく、すべてが
長きに渡るシベランスの内戦は誰もが知るところだ。ゆえに他銀河はその一切に関与しないことが暗黙の了解。ただ自領内で怪我人や犠牲者を発見した場合は別の話だ。
まずは回収し治癒を施すことこと。一方的に出自を聞いたりせず、本人の意思を尊重する。他銀河での問題は絶対に持ち込まないことを前提としているため、罪の重さもここでは問われない。もちろんしばらくはその銀河政府の監視下にあり、害があると判断されば追放される。しかし大きな問題が起こらず、本人に移住の希望があれば元銀河に報告することなく受け入れられるようになっていた。
それが取り決められた当初、重大な罪を犯した戦犯の逃亡を助けるものになるのではと懸念されたけれど、あくまでもこれは被害を被った者への措置。無傷で逃げ込んできたものへの対応ではないのだ。そんな心配もほぼないだろうと判断された。
そんな規約に則ったパトロール艦が瀕死のフェルナンドを救出した。意識不明の状態で、何一つ本人から聞き出すことはできないけれど、それがフェルナンド・デスペランサであることはすぐに知れるところとなった。他銀河にまでその名を知られた男、誰もが喉から手が出そうなほどに欲しい人材、当然のことだ。けれどその状態はひどく、果たして彼が目覚めるのかどうか、どれだけのダメージを負っているのか、どこまで回復するのか、まったく見通しは立たなかった。
長らく生死の境をさまよい、それでも奇跡的にフェルナンドは目覚めた。しかしそんな英雄は、帰りたいかと聞かれてかぶりを振る。息を吹き返したフェルナンドの中にあったのは裏切られたショックだった。リチャードの計画を、その思いを知ることがなかったフェルナンドには、彼が自分を犠牲にしてこの内戦を乗り切ったのだとしか思えなかったのだ。
「僕は邪魔者だったんだよ。お荷物だったんだ。ずっと前から飽きられていたのかもしれない。これ以上子守りはごめんだってリックは思ったんだろう。だからちょうどいいって」
そう言い放って顔を上げた時、その目にはもうかつてのような清らかな光はなかった。リチャードがいたからこそ抑えられてきたあれやこれやが吹き出して、フェルナンドの心はついに崩壊したのだ。深い愛情は憎悪になり、絶望が彼を支配した。
皮肉なことに、傷つきながらもその知能は機能した。本人には満足のいかないものだったけれど、それはまだ、彼を保護した政府の要求をこなすにはあまりあるものだった。協力する代わりに自分の保護と今後の研究支援、そして己の生存の隠蔽をフェルナンドは要求した。
「フェルはこの時、もう一人では動くことはままならなかった。半身不随だったんだよ」
ボスが大きく目を見開いた。命も危うい大怪我だったのだ、想像はしていたかもしれない。けれど実際に聞けば、やはり衝撃は大きかったのだろう。必死で感情を抑え込むボスを痛ましげに見ながら少佐は続けた。
「脳にも大きな怪我を負っていて、意識が回復し日常生活が送れていることが奇跡なほどだった。いつ何が起きても不思議ではない状態だ。だけどあいつは生き延びた。精神力があいつを生かしたんだよ。悔しいことにそれはお前への憎悪だったけどな。可愛さ余って憎さ百倍だったんだよ、リック。だけどな、中枢部に囲われるようになれば、あいつも色々と情報を集められる。お前の仕事ぶりだって知ることができただろうよ。もちろん公にできる範囲内でだがな。それでもわかる奴にはわかるさ」
私には少佐の言いたいことがよくわかった。ボスのことをよく知る中尉なら、それが何を意味するかは明らかだっただろう。何一つ昔と変わっていない姿を見て、ボスが自分を裏切るだなんてありえないと気づいたはずだ。
「フェルは精力的に兵器開発を進め、密かに良くない輩と連絡を取り合っていた。まあ、そうだろうな。お前を殺すことだけを考えて命をつないでいたんだ。その時のあいつは、そのためならなんでもしたんだろうな。だが、後になってとんでもない誤解があったことを理解した。けれどもう……すべては動き出した後だったんだよ」
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