第89話 グティマーユ伯爵

 存外に楽しい夕食を過ごした後、コウは伯爵から個人的な歓談に誘われる。伯爵の人柄に好感を抱いたこともあり、二つ返事で承諾する。


 案内された部屋に入る。おそらく伯爵の個人的な客を呼ぶ部屋なのだろう。伯爵という地位にしてはこじんまりとした部屋だった。しかし、調度類は派手さこそないものの、歴史を感じさせるものが揃えてある。それと、これは伯爵の趣味だろうが、酒棚とも呼ぶべき一面ずらりと色々な銘柄の酒が並べてある棚があった。


「貴君は飲める方かな。私はこれでも酒に目が無くてね。色々集めているんだよ。勿論外国産のものもあるぞ」


 何がこれでもなのかよく分からないが、自分としてはこの酒棚は伯爵のイメージによく合っていると思う。伯爵がまるで絵画や宝石のコレクションを自慢するように、酒棚の前に立つ。


「ある程度は嗜みますが、伯爵の棚に飾ってあるのは、どれも見たことのないものです」


 そうコウが答えると、伯爵は少し嬉しそうな表情になる。


「そうか。わしのコレクションも馬鹿にしたものではないな」


 そう言って、棚の中から1本のお酒を選ぶ。


「これは貴君らが今から行くリンド王国のものだ。ドワーフは知っての通り酒に目が無くてな、しかも寝かせておけば美味くなる物を、なかなか長期間待ちきれんらしい。ただ、たまに寝かした場所を隠しておいたまま死ぬ奴もいてな。何かの偶然でそれが発見されると、素材や保存状態が良いだけに、美味い酒になるんだ。これがその一つだな」


 そう言って、コウと自分のグラスに酒を注ぐ。綺麗な琥珀色のウイスキーだった。詰めていた樽の芳醇な木の香りがしっかりと移っている。


「これは、かなりの値段がするものではありませんか?正直、酒に疎い私でもこれは良い酒だと分かりますよ」


 そうコウが驚いて口に出す。正直、天然物の酒などこの世界に来てからしか飲んだことはない。まあ、正確に言えば、何かの式典の時飲んだことはあるかもしれないが、そんな時は味わって飲むような雰囲気でもない。そんな酒に疎い自分でも香りで良い酒だと分かる程のものである。


「少しは驚いてもらえたかね。まあ、昼間、貴君らには驚かされたからな。それのお返しと思ってもらえればよい。それに元の持ち主のように飲まずに死ぬなんてごめんだからな」


 そう言って、伯爵はグラスに注いだ酒を口に含み、舌を転がすように動かした後飲み込む。

 それを見てコウも同じようにする。かなりのアルコール度数の高い酒だ。だが不思議と甘みがある。アルコールが鼻に抜けるのと一緒に芳醇な香りも駆け抜けていく。


「どうだね?」


「今までに飲んだことのない美味しさです」


 元の世界の金持ちが合成酒など馬の小便だといった気持ちがよく分かる。あの金持ちはいつもこんな酒を飲んでいたに違いない。コウは元の世界に帰ったら殴ってやるリストにその金持ちを入れる。リストもだいぶ増えてきた。全部実行したら極刑になるかもしれない。自分の戦績でチャラにならないだろうか。


「そう言ってもらえて何よりだ」


 そう言って伯爵は、再び酒を口に運ぶ。実にうまそうに飲んでいる。自分よりマリーと話が合いそうだ。


「ところでどうして、わざわざ自分ごときを呼ばれたのですか?」


「まあ、そう警戒するな。と言っても無理な話か。回りくどいのは性に合わん。単刀直入に聞こう。今回の依頼、幾ら評判になっているとは言え、一パーティーに任せるには荷が重すぎる。そのあたりをどう考えているのかと思ってな」


「伯爵は、今回の仕事に反対なのですか?」


「反対というわけではないが、おそらくヴィレッツァ王国としては面白くない以上、なんらかの邪魔が入るだろう。そういった場合リスクを分散するのは普通の考えではないかな。例えば貴君ら以外に複数のパーティーに依頼するとか、若しくは商人を使ってもいい。

 だが今回のように貴君らのみとなると、狙いやすい。狙いやすいという事は危険が高くなり、成功率が下がるという事だ。そのあたりどう考えているのかと思ってな」


 なかなか痛いところをついてくる、とコウは思った。余り馬鹿な返答をすればそれこそ侮られるだろうし、かと言って正直に話せば警戒される。答えのさじ加減が難しい質問だった。


「そうですね、上の考えはよく分かりませんが、自分はどうしようもなくなったら逃げようと思っています。これでも逃げ足は自信があるんですよ。まあ、馬とかは諦めなければならないかもしれませんが、自分たちは生きてさえいれば、物資を失うことはありませんので弁償しなくて済みますし、違約金を払うだけの貯えもありますから」


 しばらく考えた後、コウはそう答えた。


「確かに、言われてみればそうだな。それに国家間のやり取りまで、貴君らが責任を負うことも無いか」


 どうやら、及第点の答えだったらしい。伯爵の顔がコウを見定めるような顔から、柔らかいリラックスした表情になる。


「実はもう一つ貴君を呼んだ目的があってな。今すぐとは言わんが、落ち着きたくなった時わしに仕官するつもりはないか?」


 それは、コウにとって避けたい事の筆頭とは言わないまでも、かなり上位に位置する事柄である。


「お気持ちは嬉しいのですが、まだ冒険者となって間もない若輩者です。せめて、今まで生きてきた分ぐらいは冒険者としてやっていこうと思っています。もし、その時にまだお気持ちが変わっていらっしゃらなければ、自分も考えてみます」


「確かに、その歳で宮仕えは息苦しかろうな。わしもその口であったしな。残念なのはその歳までわしが生きているかどうかわからんことだな。その時は息子にでも言付けておくことにしよう」


 伯爵はコウの言葉に納得して、また酒を口に運ぶ。もしコウが言った通り生きてきた分だけ冒険者を続けていれば、伯爵どころか息子も生きていないだろう、下手したら国すらなくなっているかもしれない。だが少なくとも嘘は言ってはいない。

 

 それ以降は伯爵の冒険者時代や行先のリンド王国の話をした。余り聞いてくれるものがいないのか、話す伯爵は嬉しそうだった。



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