第162話 理由と証明
少し遠くの方で静かに佇むイヴェルを見て少し考える。彼女は何故、ここに残っているのか。
イヴェルは確かに瞬間移動の効果範囲内にいたはずだのだが…もしかして、自分にかかるセインの魔力を斬ったのだろうか。本当にそれを行ったのだとすれば、それは恐ろしく高度な技術だ。
そんなことを呑気に考えていた俺に対し、彼女は特に反応を示さず、そこに立ち尽くしたままだ。おかしいな、確かに声は聞こえているはずなのだが——
「——ぅおッ!?」
「…格好つける、じゃないだろう!?どうして勝手に1人で犠牲になろうとする!私に、そういうことをするなと言ったのはアルト、お前ではなかったのか!?」
そのイヴェルは、ゆっくりとその顔を上げたかと思うと一瞬で俺へと肉薄し胸ぐらを掴んだ。その顔は真剣そのもので、彼女が本気で怒っていることが窺える。
「ど、どうしてそこまで俺を、」
あまりに突然のことに、俺は何も考えずそう声に出してしまう。
いや、今はそんなことを聞いている場合では無い。屋上にいる神父達を初めとして、すぐ下まで兵士や民衆など多数の傀儡が近くまで迫ってきている。取り敢えず今はイヴェルに謝って、対策を練る必要が——
「それは前にも一度言っ…!!いや、変に言葉を濁した私も悪い、か。…いいかアルト。よく聞いてくれ」
なんでもないです、そう伝えるよりも先にイヴェルはその口を開いた。
その顔はどこか覚悟を決めたような顔で、そんな場合ではないことが分かっているのにも関わらず、俺はその続きを待たずにはいられなかった。
「……私は、私イヴェル=ラーシルドは———アルト=ヨルターン、お前の事が好き、なのだ」
目の前に立つイヴェルは俺から軽く視線を逸らし、振り絞るように言った。
「…は?」
イヴェルの口から発せられた、あまりにも突拍子のない言葉に俺の脳は完全にその機能を停止する。
「アルト。私は、お前のことを好きなのだ。人を好きになることが初めてなので、本当にそれが正しいのかは分からないのだが……多分、そうなのだと思う。これだけでは、私がお前のことを心配するのには不十分か?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!?」
更に言葉を重ねるイヴェルにすかさず待ったをかける。
ちょっと待て。イヴェルが俺のことを好き?いや、嫌われているとは思っていないが…好きというのはあれか?友人としてって奴か?異性としてイヴェルが俺のことを好きだというのは流石に信じ難い。あ、あれか?吊橋効果ってやつか?今のイヴェルは少し正常な判断が出来ていないのかもしれない。ここは一度冷静に戻るよう誘導して——
「…信じられないといったような顔だな。私がこんなところで嘘をつく女だと思っているのか?」
黙って考え込む俺の様子に、顔の少し赤いイヴェルは不満気に言う。
「い、いや、そんなことは無いんですが…あまりにも信じられなくて…」
「…そうか。なら、信じさせるしかないな」
「へ?それってどういう———」
「……んっ」
次の瞬間、視界からイヴェルの姿が消える。
しかしそれも一瞬のことで、その後すぐに彼女の姿は見えた。お互いの顔が触れそうなくらいの距離まで、こちらに迫ってきているその姿を。そして口元へ訪れる、柔らかで温かな感触。
「………これで、信じて貰えたか?」
刹那の触れ合いの後、見たこともないくらいに真っ赤な顔のイヴェルはそう問いかける。
きっと俺も同じくらいに赤くなっていることだろう。
「……はい。まだ、どうして俺のことを好いてくれているのかは全く分かりませんが…それはここを切り抜けた後に聞くとします」
「ああ、そうだな。そのときにはお手柔らかに頼む」
たったのキス1つで納得させられるなど、自分でもかなり拗らせているなぁと思う。
人によっては、キスなどただの挨拶の一環程度にしか思っていない者もいるだろう。だが、少なくともイヴェルはそういう人間ではない。それは俺が良く知っている。
このまま彼女と色々と話したいのは山々だが、流石にもうそんな時間はない。俺たちのことを取り巻く神父達と、真下にある大量の人間の気配。それは彼女も分かっているのだろう。腰に携えている剣を手に取り、戦闘態勢を整えた。
あー、傀儡達の対策とか色々考えなきゃいけなかったんだけどな。結局、対策も何も固まっていない。だが——ここでやられる訳にはいかない。その理由が出来てしまった。
「また、会いましょう」
「ああ、またな」
武器を構え互いに背中合わせになった俺たちは、最後にそう言葉を交わして地面を蹴った——
「はい。ストップです」
「「!!?」」
次の瞬間、急にその体の動きが停止した。
いや、体だけではない。俺の足は今、地面についていない。宙に浮いた状態を保ったままで体は固まっている。
———付近一帯の、時間が完全に停止している。
これは威圧や魔人達の使っていた拘束系の魔法とは全く系統が異なる。
この世界で最も強力な魔法。
———時間を直接的に意のままに操る魔法。
「さて、今から貴方達の拘束を解除しますが、動かないようにしてくださいね?」
停止直後、そんな透き通るような聞こえ、その数秒後に体の自由が返ってくる。
辺りを見渡すと眼前の神父達は未だその動きを止めており、真下にある人の気配も動く様子はなかった。極め付けは屋上から見える巨大な掛け時計——それの秒針が全く動いていなかった。
「安心してください。貴方達以外の周辺の時間を停止させました。少しだけ、私にお時間を頂けませんか?」
辺りを観察していると、後ろから聞き覚えのある声がかかる。声のした方を振り向くと、そこには——
「…エリーナ様?」
「はい、お久しぶりですね。アルトさん」
緩いウェーブのかかった淡い茶色の髪に、エメラルドのように透き通った碧眼。
この世界において最もありふれた容姿でありながら、自然と目の吸い込まれるような不思議なオーラを放つ女性——柔らかい笑みを浮かべた女神エリーナが、優雅に立っていた。
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