第72話 VS.イヴェル

「そろそろ、倒れてくれてもいいんだぞ?」


「イヴェルさんこそ!」


ガンッ!!


もう何度目か分からない、木刀同士のぶつかり合う音が響く。

その反動を利用し、俺は一度イヴェルから距離を取った。


クッソ、イヴェル強すぎだろ。俺の方は肩で息をしている状況だというのに、彼女の息は全く乱れていない。明らかに俺の倍以上の運動をしているはずなのだが。なんでだ。


「フッ!!」


「!!」


次の瞬間、急にイヴェルの姿がブレた。初撃のアレが来る。そう判断した俺は大きく横に飛び退く。しかし、


「アルトならそうすると思ったよ。」


「!!?」


横へ回避することを予想していたのか、イヴェルは途中でその進路を変えて俺へと迫ってきた。


くそ、嵌められた!

それに気がついた時にはもう遅い。既に足は床から離れており、俺は自由に動くことはできない。威圧を使うか?いや、対応法は知られている。効果は薄いだろう。まずいまずいまずい———


そんなことを考えている間にもイヴェルは素早い動きで目前へと迫ってくる。悩んでいる時間なんてない。まだ練習中だが、アレをやってみるしかない。


「今度こそ、終わりだ」


完璧に俺の姿を捉え、自らの勝利を確信したイヴェルはその木刀を振り下ろす——が、それは空を切った。


何故か。それは現在、俺が彼女の背後にいるからだ。


かつて20層の階層主であるゲンシとの戦いにて、俺に発現した空中歩行。

イヴェルの木刀が振り下ろされる直前、俺はそれを使って彼女の横へ飛び出しその後ろへ回り込んだのだ。


ゲンシとの戦闘以降、空中歩行の練習はずっとしていのだが、それの成功率はあまり高くなかった。しかも実戦での使用は初めてだったのだが成功して良かった。運がいい。


「うぉぉぉぉぉ!!」


偶々の成功とはいえ、今俺はイヴェルの背後を完全に取っている。これを生かさない手はない。

そのガラ空きの背中を目掛け、俺は木刀を振り下ろす———


「ぺ?」


次の瞬間、目の前の体が急に反転したかと思うと、頬に強い衝撃が走った。


「くぴゃァァァァァ!!」


ガラ空きの背中に気を取られ、なんの防御も取っていなかった俺は地面へ一直線に落下する。その最中、視界にはその長い足をこちらへ向けるイヴェルの姿が映った。


先程の頬への衝撃は彼女に蹴られたためであると悟った時、俺の体はそのまま場外の地面に叩きつけられた。


「ぐ、ぁッ...」


「き、君!大丈夫か!」


全身を襲う激痛に動けないでいると、焦ったような足音と共にそんな声が聞こえてきた。

審判の男性が駆け寄ってきたようだ。


実際のところ、このまま意識を手放してしまえば楽なのだろう。そうすれば辺りに控えている救急隊らが、気絶した俺を保健室へと搬送してくれることだろう。

だが、ここで救急搬送でもされようものなら……彼女、イヴェルがそれを気に病むのも同様に確かなのだろう。......それは、嫌だな。


「だ、大丈、夫...です」


痛む全身に鞭をうち、気合いで立ち上がった俺は審判にそう伝える。


「ほ、本当に大丈夫かい?足が産まれたての子鹿みたいになっているが...」


「だ、大丈夫、です。保健室へは、自分で行けます」


「そ、そうか。君がそう言うのならいいんだが...」


審判の男性は俺へ大丈夫かと何度も確認をとった後、こちらを気にしながらフィールドの方へと戻っていった。


「アルト=ヨルターンの場外により、イヴェル=ラーシルドの勝利!」


フィールドの方からそんな声が聞こえてきたが、今の俺では何と言っているのか理解できなかった。


やばい。とにかく全身が痛い。歩けない程ではないが、壁に手をついていなければ立つことができない。肋骨辺りが数本か折れているだろう。


一刻も早く保健室へ向かうため、俺は試合場の出口へゆっくりと歩いていく。


「ア、アルト!」


「イ、イヴェル、さん...」


そんな俺の後ろから焦った様子のイヴェルが駆け寄ってきた。その姿は朧げにしか見えないが、色合いと声から彼女であると断定する。


「流石の、一撃でした。完全に裏を取ったと、思ったのですが。油断しちゃ、駄目ですね。二回戦以降も、頑張って下さい。では俺は、保健室に...」


さっさと保健室へ向かいたい俺はその会話を早めに切り上げ、いつ倒れてもおかしくないような歩行を再開する。


「な、何を言っているんだ!そんな状態で、一人で行けるわけがないだろう!本当にすまなかった。責任を持って、私が保健室まで同行しよう」


そんな状態の俺を見て、彼女はそう言って肩を持とうとした。


「イヴェルさん...流石の俺でも、怒りますよ。」


「え?」


俺の言葉に彼女は少し驚いたような声を上げ、その動きを止めた。


あまりこんなところで時間を使いたくは無いのだが…仕方ない。

俺はイヴェルに向き直り、言葉を続ける。


「イヴェルさん。俺が、怪我をした原因は、俺が弱かったからです。決して、イヴェルさんの、せいではありません。勝者が、敗者に謝るとか、なんですか、それ。嫌味ですか」


「え、いや、ち、ちが、」


「イヴェルさんに、その気がなくとも、相手には、そう思われてしまいます。それは、相手にとって、屈辱的です。勝者が敗者を、保健室まで、送り届ける?なんの罰ゲーム、ですか。屈辱的な事、この上ないです。...なので、俺は一人で、保健室へ行きます。分かったら、俺のことは、放っておいて、下さい」


「え、あ...」


言いたいことを言い終えた俺は、イヴェルに背を向けてさっさと歩き出す。その速度に比例するように全身が強く痛むが、そんなことは関係ない。


その場に立ち尽くしたままのイヴェルを置いて、俺は保健室へと向かった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ありゃ、これは酷い」


死に物狂いで保健室へ辿り着くと、医者であるおじさんのそんな言葉が出迎えてくれた。

胸元のネームプレートには、Dr.ドクターと書いてある。ネーミングセンス...


「そう、なんです。酷いんです。助けて、ください」


「おー、おー。よくそんな状態で喋れるね。どんな神経してんの。まあ、こっち座りな」


「あ、ありがとうございます...」


俺は彼、ドクターの指したベッドに座る。


「うーん、やっぱ酷いね!とりあえず、回復魔法をかけるね。最上級回復キュアヒール。」


怪我の状態を改めてそう評価したドクターは、俺へ回復魔法をかけてくれた。ああ、全身から痛みが引いていく...


「あと、これも飲んでおきなさい」


更にドクターは冷蔵庫から一本の試験官を取り出したかと思うと、そう言ってこちらへと渡してきた。その中には緑色の液体が入っている。


「それは回復薬でね、傷の治癒が早くなるんだ。回復魔法はあくまで応急処置みたいなものだから、完全に治るまでは無理な運動は禁止ね。あ、あとそれを飲むと副作用ですごく眠くなるから。ここで少し休んでいくといい」


「そうなんですか。それは…良かったです」


ドクターのその説明を聞いて、俺は少しだけ安心する。


身体の痛みが完全に引いてしまえば、先程のイヴェルとのやり取りを思い出してしまう。

一応、あれはイヴェルが気に病まないよう、俺の詳しい容態を知られないよう、色々と考えた結果なのだが。


———強く言いすぎたのではないだろうか、あれはただの八つ当たりなのではないだろうか、俺に彼女を叱る権利なんてあったのだろうか————先程までは痛みで考える余裕のなかった、そんな自己嫌悪が湧き上がってくる。眠ってしまえば、一先ずそれらを考えなくて良くなる。


「では、お言葉に甘えて...」


試験管の蓋を開け、俺はその緑色の液体を口へ流し込む。

幸か不幸か、その回復薬はそれらの思考を吹き飛ばすほど苦かった。いや、苦いだけではない。その苦味の中では甘味や酸味、辛味などの成分が殴り合いの喧嘩している。


「ん....げぇ...」


その回復薬を気合いで飲み切った俺はすぐに強い眠気に襲われ、落ちるように眠りについたのだった。





「ん...むぅ...」


ぼんやりとした意識の中、ゆっくりと目を開けるとそこにはオレンジ色に染まった天井が見えた。

窓の外を見てみれば、既に陽はその一部が地平線に沈んでいる。俺がここへ来たのは午前中だったはずだが。


「あ、やっと起きた。体調はどう?」


「あ、おはようございます。体調は...頗る良いですね。」


ベッドの上で体を起こすと、それに気がついたドクターが声をかけてきた。


今の体調はとても良い。体の痛みは全くと言っていいほどないし、長い時間寝ていたおかげで疲労感などもない。


「そうかそうか、それは良かった。あ、そうそう。武術祭の本戦はもう終わったから、直接寮へ帰んなさいね。少し前に金髪の男の子が来たけど、その子はもう帰しちゃったよ」


体の調子を確認する俺へ、ドクターはそう言葉を続けた。


なるほど。武術祭はもう終わったのか。

結局、誰が優勝したんだろうか。小説では、確か4年生の生徒会長だったような...?

というか、セインが見舞いに来てくれたのか。後でお礼を言っておかないとな。


「そうですか。色々とありがとうございました。失礼します」


「あ、少し待って」


ドクターに礼を言い廊下へ出ると、彼は何かを思い出したかのように俺を呼び止めた。


「ちょっと寝てる間に色々調べさせて貰ったんだけどね。君さ、多分幼少期にポーションを大量に摂取したことあるよね。知ってるかもしれないけど、ポーションは便利だとしても安全なものではないから。君が少し寝過ぎたのもそれが原因かな。」


ドクターは忠告するように言う。


飲めば体力や魔力を回復することのできる魔法の液体、ポーション。これを無条件で使うことが出来れば世話がないのだが、この世界ではそう上手くいかない。ポーションはある特殊な植物を調合して作られるのだが、この植物には魔力回復の他に頭痛や吐き気、幻覚作用等の副作用も併せ持つ。


現在流通しているポーションはそれらの副作用を最小限まで抑えたものだが、それでも副作用が全く無しにはならない。過剰にそれを摂取すれば、副作用による中毒症状に侵されることになる。


アルクターレでダンジョンを攻略した際、特に階層主に挑んだとき、俺はポーションをガブガブと飲んでいた。しかしアルクターレに流通していたポーションはかなり純度の良いものであったらしく、それらの中毒症状に襲われることはなかった。


それから時間も経っているし、特に症状も無かった為問題ないと思っていたのだが……より強力な回復薬を飲んだことで、それらの残渣が触発されたのだろうか。


「まあ、現時点で自覚症状がないなら大丈夫だと思うけどね。念のため、これ以降ポーションを飲むのは控えたほうがいいよ」


ドクターは最後にそう言うと、保健室の奥の方へと戻っていった。


う〜ん、なるほど。ドクターはこの学園で医師として働いているし、かなり凄腕の医者なのだろう。その彼が言うのであれば、それに従うべきか。


「まあこれ以降は、あの時と違ってあまり無理をする予定は無いし大丈夫だろ」


ドクターに言われたことを頭の隅に入れつつ、俺は寮へと帰るのであった。

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