第26話 お祝い

 彼はいつもの場所であの絵を描き続けていた。日に日に彼の体は衰弱していた。だが、しかし、逆に日に日に彼の絵への情熱は高まっていた。それはもはや執念だった。

 彼の絵は、かなり完成像が見えてきていた。今まで輪郭しかなったところすべてに色が入り、細部にもだいぶ筆が入っていた。彼は、この短期間で必死に描き続け、ここまでに仕上げてきていた。

「もう、完成間近だね」

 私は彼を見た。当初の流れからすればかなり荒い仕上がりだったが、でも、これはこれでまた違う凄みを持っていた。

「うん、とりあえずなんとか形にはなったよ」

 彼も少し頭をポリポリとかきながら絵を見る。

「・・・」

 私も彼の隣りであらためて彼の絵を見る。完成はまだしていなくても、私は彼の絵の中に何か、強烈に込み上げるものを感じた。既存の絵にはない荒々しい見る者の心にダイレクトに突き付ける何か――。やっぱり、彼の絵は、すごい絵だった。

「もっと描きたいところはあるから、まだまだ時間のある限り描き続けるよ」

 彼はまだまだ納得がいってるわけではないようだった。そこが芸術家肌というか職人肌というか、独特な感性なのだろう。

「でも、一応形にはなったんだね」

「うん」

「じゃあ、お祝いしなきゃ」

「はははっ、大げさだな」

「でも、かなり時間かかったんでしょ」

「うん、なんだかんだいって三年かかってしまったな。もともと時間のことなんて考えてなかったからね」

 多分ほっといたら十年二十年くらい描き続けてたんじゃないだろうか。私は思った。

「三年かぁ」

 あらためて私は絵を見る。そう聞くと、さらにすごい絵に見えた。

「すき焼きしよ」

「えっ?」

 彼が私を見る。

「覚えてる?出会ったばかりの時もすき焼きやったよね。私たちの出会いのお祝いに」

「うん、もちろん覚えているよ」

「よいことがあった時はすき焼きだよ」

「ああ」

「食べれる?」

「ああ、うん」

「じゃあ、決定」

 その日の夜、彼の家ですき焼きをやった。

「おいしい」

 彼が生卵にひたした肉を口に入れ、もぐもぐさせながら、うれしそうに言った。

「野菜も食べて」

「もう別に健康に気を遣う必要もないよ」

「そうか」

 そこで私たちは笑った。笑っていいのか戸惑いながら、でも笑うしかなかった。

「じゃあ、お肉たくさん食べて」

 今日はお金のことを気にせず、お肉をたくさん買ってきていた。もしかしたら最後になるかもしれないから・・。

「今日はこのまま平和に終わってほしいよ」

 彼が言った。

「うん・・」

「今日は食い溜めしとかなきゃな。もう食べれないかもしれないし」

「うん」

「あっ、ごめん。つい暗い話しになっちゃうな。今日ぐらいは楽しくいこう」

「今日ぐらいはって、それがもう暗いよ」

 私がツッコむと彼は笑った。そして、私も笑った。

「いや~、今日は症状出なかった。痛みもなかった」

 食べ終わった彼が、お腹をさすりながら幸せそうに言った。

「よかったね」

 つい、私もなんかうれしくなる。 

「うううっ」

 だが、その矢先、彼はまた痛みに苦しみ出した。

「大丈夫?」

 私はすぐに彼の隣りに行き、彼に寄り添う。

「うん」

 彼が痛みの中で答える。ちょっとほっとして、ちょっとした幸せな時間が訪れたと思ったら、でも、病気は、容赦してくれなかった。私は、今まで必死に支えていた心の芯が崩れ落ちそうになるのを必死に耐えた。

「クソッ」

 彼は痛みに苦しみながら、固めた拳で畳を叩いた。

「クソッ」

 初めて見る彼の怒る姿だった。

「クソッ、なんだよ。体がなんで、こんなんなっちまったんだよ」

 彼は悔しさを滲ませ畳を殴る。

「クソッ」

 自分の体を侵す病気。自分の体からは逃げられない。彼は、それと、どうあがいても向き合わなければならないのだ。

「・・・」

 私も悔しかった。なんで・・、なんでこんなことになっちゃったの・・。悔しくて悔しくて、この理不尽な現実が憎くてたまらなかった。

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