第11話 段ボール船
「なにこれ?」
隣りの四畳の部屋の入り口の片隅に、何か奇妙な物体を発見した。それは段ボールで出来た巨大な箱のような形をしていた。
「???」
どこからどう見ても全く何なのか分からない。
「船だよ」
彼が後ろから来て言った。
「船?」
私は振り返って彼の顔を見る。
「うん、去年、川が増水したろ。猛烈な台風が来て」
「うん」
去年の夏の終わり、観測史上何番目とかいうものすごい台風が来て、大井川は氾濫寸前までいった。
「その時作ったんだ」
「ん?」
最初その意味するところが分からなかった。
「もしかして・・」
これで・・。
「ははははっ」
そして、意味が分かり私は笑った。
「ふふふっ、ははははっ」
私はお腹を抱えて笑った。
「川が氾濫したら、この船で脱出しようとしたのね」
「うん」
「ははははっ」
私はさらに笑った。
確かに川の堤防が決壊したら、土手のすぐ脇のこのアパートなどひとたまりもないだろう。しかし、それにしても船って・・。しかも、段ボール。
「おかしいかな」
彼は頭をポリポリとかく。
「はははははっ」
増水し、いつ堤防が決壊するか分からない緊迫した状況の中で、まじめにこんな段ボールの船を作っている彼の姿を想像したら、なんだか堪らなくおかしかった。
「はははっ、はははっ」
「そんなに笑うなよ。結構真剣だったんだ」
「ごめん、でも、だって、ははははははっ」
止めようと思っても笑いが止められなかった。
「はははっ」
笑い過ぎて本当にお腹がよじれそうだった。
「ははははっ」
この船に乗って、増水した川を漕いでいる彼の姿を思い浮かべたら余計おかしくなった。
「ははははっ」
私は笑い転げた。本当に笑って畳の上を転げた。
「そんなに笑わなくてもいいだろ」
「ごめん」
でも、笑いが込み上げてきてどうしようもなかった。
「でも、おかしいんだもん」
私は、まだ笑いのおさまらないお腹を抱え涙をこすりながら言った。
「本当に怖かったんだ」
「うん・・」
彼のそのしゅんとした姿を見て、私は笑い過ぎて、もう死にそうに苦しい中、また笑った。
「あ~あっ」
やっと笑いが収まり、私は一息ついた。ほんと死ぬかと思った。そのくらい笑った。
「ごめんね」
私は謝った。
「いいさ、君に笑ってもらえたら本望だよ」
彼のその物言いに私はまた笑った。
ガタッ
「ん?」
その時、下の階から、何か物音がした。明らかに何かがいる感じだった。私の笑いは一瞬で収まった。
「おばあさんの部屋は向こうだし・・」
彼の部屋からは真反対だ。
「確か二部屋以外は空き家だったはず・・」
彼とおばあさんの家以外、他の部屋は全部空き家のはずだ。
「実を言うと、もう一人住んでいるんだ。一階に」
すると、唐突に彼が言った。
「えっ」
「駅前で見かけたホームレスの人なんだけどね」
「うん」
「丁度、一階の下のその隣りの部屋が鍵が壊れてて入れたんだ。そこを僕が倉庫代わりに使ってたんだけど、真冬にさ、その人が駅前でうずくまるようにしてベンチに座ってるのを見たんだ。とても寒い日だった。だから、あんまりかわいそうなんで、ここ住めるよって紹介したんだ」
「へぇ~、大家さんにはばれてないの」
「うん、もう一年以上になるけどばれてない。ほとんど来ないからね」
「そうなんだ」
「あまりこのアパートに関心がないみたい」
「大家なのに」
「うん、大家なのに」
私たちは笑った。
「大家さんてどんな人なの?」
私は彼に訊いた。
「何かを大きく諦めているような人だよ」
「ふ~ん」
答えは漠然としていたが、不思議となんとなく想像はできた。
「一回見てみたいな」
「大家さん?一階の住人?」
「両方」
そこで私たちはまた笑った。
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