第12話 戦いの始まる合図

 クラン・クレイターヴからローザニア兵が出撃した日。クレイターヴ城には、『紅葡萄亭』の若者の姿があった。

 いつものように、何樽かの葡萄酒を荷馬車に積み、城の裏側から入城する。馴染みの門衛に、積荷の中身と数量を申告し、鑑札を出す。門衛はローザニア兵だが、城の倉庫で積荷の上げ下ろしを手伝ってくれるのは、元からいたクレイターヴ城の下働きだ。

「本当に、もうお辞めになってくださいよ」

「いや、城の様子を知る絶好の機会だからね」

 困ったように下働きの男が言うとジルはまったく気にする様子もなくこう答えた。

 ジルの足元に鋭い光が差す。城の端に立つ塔からだ。その最上階にはドニエ候が監禁されている。鑑で太陽光を反射させ、ジルに合図を送っているのだ。ジルは懐から小さな鏡を出すと、器用に太陽を反射させ塔の窓に光を送った。これでお互いの無事を確かめあうことができる。

 ジルは葡萄酒を城の食料庫に納めたあと、そのまま台所に身を滑らせた。ここにもクレイターヴの料理人が何人か雇われている。彼らはジルの姿を見つけると、さりげなく近づいて小さな紙片を手渡した。

 野菜くずをいれる大きな木箱のひとつのふたを開けるとそこには、ひと一人がなんとかくぐり抜けられるだけの通路になっていた。ジルはその通路をすり抜けるとそのまま城の中へ姿を消した。

 城に残った兵の数、将の性格、武器の種類すべての情報がジルの手元に集まってくる。それだけではない、ジルは自分で城の屋根裏にあがり、クラン・クレイターヴ全体を見渡して、兵の配置をその目で確認していた。

 それは彼の都だった。

 その瞳は酒場の若者ではなく、クレイターヴ王のものに戻っていた。

 ジョルジュは、王都がローザニア帝国の手に落ちたあと、城からは脱出したものの、クラン・クレイターヴの街の中に潜伏していたのである。

 ローザニア軍がどれだけジョルジュを探しても見つからないわけはここにあった。クレイターヴ王を探しても見つかりはしない。王だというには、あまりにも酒場の若旦那として馴染みすぎていた。

 ジョルジュは昔からお忍びで街に抜け出すのが大好きで、『紅葡萄亭』の亭主とも昔馴染みだった。潜伏先に選んだのも、酒場ならば自然に情報を収集できると考えたからだ。

 ジョルジュの母方の祖父は商人で、まだ父が騎士候のひとりにすぎなかった頃は、よく街に連れ出してもらったものだ。自分は騎士には向いていない。ずっとそう思っていた。

 独立戦争のさなか、腹違いの弟が見つかったときは本当にうれしかった。弟は礼儀作法には多少難があったが、その戦いぶりは騎士となるのになんの問題もなかったからだ。

 まさか自分が父の後を継ぎ、王となり国を造るはめになるとはまったく考えもしていなかった。しかし人生とは得てしてそういうものかもしれない。

 自分が商人だったらこうやりたいと思っていたことを、執政者の立場に置きなおして考えるようにしていた。ひとつひとつの政策を丁寧にこなしていくと民が豊かになる。そう考えると王という仕事も悪くはないと考えるようになってきていた。

 ローザニアの侵攻はそんな矢先のことだった。

 屋上から見下ろした自分の都は、戦禍にくすんで見える。自分はあの活気のあったクラン・クレイターヴに戻すことができるだろうか。

 ジョルジュはぐるりと街を見渡し、兵の配置を確認していく。食事の量や武器の在庫から守備兵の数を割り出した。

「五千ってところかな。思ったより足止めできたじゃないか。あとはアンリが知恵を絞ってくれるだろう」

 ジョルジュはまだセルシーヴのアンリが代替わりしたことを知らなかった。


 一方、ジョルジュにあてにされていたアンリは、自分の騎士としての力をまったくあてにすることができなかった。

 リフランでの野営で不安と緊張でなかなか寝付けずにいると、知らない間にアンリ・アルベールの中にいるのに気が付いた。

 アンリが会いたいと強く願っていたこともあったのかもしれない。

 アンリ・アルベールは怒っていた。

『馬に乗って剣を振るったことのない奴が、どうして初陣なんて話になる?』

『いや、あの、その、これには事情があって…』

『俺は自分の命を粗末に扱う奴は嫌いだ。おまえの親父も兄貴もどうしてみっちり教えておかなかったんだ』

 アンリ・アルベールは続きを言おうとして、途中で口をつぐんだ。

『戦場に出したくなかったってことか』

 剣が使えなければ戦場に出るという選択肢を選ばないかもしれない。アンリだからと言って、騎士という生き方を選ぶ必要はない。現にアンリ・セロンは吟遊詩人として生きていた。彼が戦場で剣を振ったとはとても考えられない。

『仕方ねぇなあ』

 アンリ・アルベールはぼやきながら、自分の中にいるアンリに剣を教えてくれた。

 現実の世界とは時間の流れが違うのだろう。アンリはここでひと月近くの時間を過ごすことになった。

 アンリ・アルベールの稽古相手は、ロゼ・マリアと呼ばれる女騎士だった。片田舎の騎士の娘で、ロゼ・マリアの兄とアンリ・アルベールは戦場で背中を預けて戦った仲だったという。親友の戦死の報をもってロゼ・マリアとその両親の元を訪ねることになった。そこで、兄亡きあと家を継ぐため、跡取りとして頑張ることを決意した彼女の姿を黙って見ていられなかったという。

『あなたの盟約者なのですか?』

『いや。あいつはいい女だからな、俺にはもったいないよ』

 そう、アンリ・アルベールは笑っていた。あいつには家がある。セルシーヴには連れて帰れないといろいろ理由を並べ立てた。

 それでもアンリには、この後アンリ・アルベールがどうするかがわかった。自分の中には、アンリ・アルベールとロゼ・マリアの血が流れているように思えたからだ。

 一か月ではたいしたことはできないとぼやきながらも、アンリ・アルベールは稽古に付き合ってくれた。そしてなんとか及第点だというところまで、アンリを仕込んでくれると、元の時代へ送り返してくれた。

『おまえは自分に素直になれよ』

 アンリ・アルベールが最後にかけてくれた言葉が、どこかせつなく聞こえた。


 戦場での朝は、冷たい靄の中に包まれて迎えることになった。さっき眠りについたという感覚と、ひと月をアンリ・アルベールの中で過ごしたという感覚の両方が、アンリをぼんやりとさせる。

「寝ぼけるなよ」

 リュシオンがからかいながら、軽く頭をこづいた。

「あまり眠れなかっただけです」

「初陣は誰でも緊張する。俺もそうだった」

 リュシオンは剣を抜き、軽く素振りを繰り返した。アンリはそれを見て自分も真似て素振りをすると、不思議と気持ちが落ち着いてきた。

「大丈夫だ。ずっと俺の側にいろ」

「ええ、それが参謀の役目ですから」

「…そういう意味じゃない」

 リュシオンはそう言うと、もう一度アンリの頭をこづいた。

 こづかれたアンリは子ども扱いされたようで、少し腹がたったが、側にいていいという言葉は心強かった。

 クレイターヴ軍の天幕はリフランの東端の丘の上にある。ここからはリフラン全体が見渡せる。本陣をおくにはもってこいの場所だった。

 ここからクラン・クレイターヴに続くログラム街道沿いに、ローザニアの軍機が見える。朝靄のなかでぼんやりとしか見えないが、かなりの数だ。斥候の報告にある通り、やはり一万五千はくだらないのだろう。

 この靄が晴れるとき。

 それが戦いの始まる合図だ。


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