第33話 王都騒乱②

 ベヒーモスとの戦いはまだ続いている。


 戦闘に参加している騎士団や魔法師団、冒険者たちが一丸となって戦っているが、伝説級の魔獣であるベヒーモスには、なかなか致命傷を負わせられないでいる。幸いなのは、伝説級のベヒーモスと言っても、その中では小さい個体だったことだ。


 だが、ベヒーモスの最大の武器である角と牙は、未だ誰も折ることができず、そして、足止めもできていない。


 その中でも、善戦しているのは、私を門前で叱ったレティアという女剣士と、マルクという名の重戦士、利き腕を取り戻して戻って行った名も知らぬ冒険者であった。お父様たち王宮魔導師たちも頑張って応戦している。


 私はその彼らを少しでも支えるべく、必要なポーションを無償で支給していた。


灼熱火炎地獄インフェルノ!」

 お父様がそう唱えた。


「ベヒーモスの周囲の戦士たち、周囲から離れろ!」

 魔法師団から指示が飛ぶと、ベヒーモスに群がっていた戦士たちは一斉にその場から退いた。


 お父様がその両腕を掲げると、大きな火炎がその手のひらの中で渦を巻き、それをベヒーモスにぶつける。すると、その炎は、ベヒーモスが振り払おうとしても執拗にまとわりつき、その身を焼いていく。辺りに獣の毛が、皮が肉が焼ける匂いが充満する。

 ベヒーモスは苦痛に苛まれ、暴れ狂う。


 やっとその身から炎が消える頃には、ベヒーモスは瞳の水分を奪われ、視力を失っていた。


「さすが【劫炎】のヘンリー様!」

 魔法師団からお父様の魔法の威力に歓声が湧き上がる。

 ……お父様に二つ名があったなんて知らなかった。


 私は、大魔法を使った櫓の上のお父様にマナポーションを下から差し出す。

「ありがとう……だが、後で話を聞くからな」

 手を差し出し、マナポーションを受け取りながらもお父様に言われてしまった。

 ……やっぱり後でお説教だよね。


 だが、湧き上がった喜びもつかの間。

 視力を失い激昂したベヒーモスがむちゃくちゃに暴れだしたのだ。未だその角と牙は健在。非常に危険だ。そして、目も見えず、ただ感じる人の気配だけを頼りに特攻を試みた。


「危ないっ!」

 マルクがレティアに向かって駆け寄り、ベヒーモスの突撃に巻き込まれそうになったレティアを庇う。と、その時に丁度運悪くベヒーモスの牙に、マルクの腹は深く抉られてしまった。

「ぐっあ……」

 マルクは腹を押さえて、痛みに顔をゆがめて脂汗をかく。

「マルク!」

 マルクに庇われたレティアは、地面に這いつくばってベヒーモスの特攻が通り過ぎるのを待つ。

「済まない、ポーション切れだ。痛みはしばらく我慢してくれ」

 そう言って、安全を確認すると、レティアは直ぐにマルクを肩に担いで、門の中まで待避した。


「誰か!誰か!ポーション……」

「私が診るわ。ポーションあるから」

 助けを求め叫ぼうとするのを制し、私はマルクのえぐれた腹を見る。一瞬、その内臓を一部持っていかれた傷跡に、嘔吐感が込上げる。が、かろうじて我慢した。……そんな場合では無いのだ。


「子供が何を……!」

 レティアは私に抗議をする。当然だ。私は子供なのだから。でも、錬金術師の私には今やれることがある。


「そうよ、私はまだ子供!だけど錬金術師として出来ることがあるの!」

 私は、レティアに言うというよりも自分に言い聞かせるように叫んだ。


「内臓を一部持ってかれてる。ハイポーションを使うわ」

 そう言って、その傷口にハイポーションをかける。すると、欠けた内臓が盛り上がり元の形を取り戻し、綺麗に腹の中に納まっていく。そして、筋肉や肉や脂肪、表皮と言ったものが覆いかぶさり、無惨な傷跡がなかったことになる。


「……っは!」

 マルクは激痛が消えたことで楽になったようで、大きく息を吸い込む。荒い呼吸をいくつか繰り返したあと、呼吸は次第に落ち着いていく。……もう大丈夫だ。

「マルク!」

 レティアはマルクを抱きしめ、肩を震わせて泣いていた。

「……ダメかと思った……」

 マルクは腕をのばし、レティアの頭をポンポンと撫でる。

「……ばぁか。俺いなかったら誰がアンタの面倒見んの」

 レティアはマルクの胸に顔を填めていた。


「お嬢!」

 ポーションを追加作成していたマーカスが、人混みをかき分けて走ってくる。


「マーカス!まだまだポーションが足りないわ!あなたも配って!」

 私はやってきたマーカスに指示をする。

 マーカスが、周りの声に応えながらポーションを配布し始めた。



 私は、傷ついた戦士たちを見る。傷だらけながら戦士たちを蹂躙して暴れ回る魔獣を見る。


「……妖精さん、精霊さん、精霊王さま。私は傷つく人を見守ることしか出来ないのでしょうか」

 私のできることは、後手。傷ついたあとの回復でしかない。傷ついた人々を見るのは悲しい。彼らの痛みが自分の痛みのように辛く心を打つ。

 私の頬に一筋の涙が伝って、大地に生える雑草とも言える小さな葉にこぼれおちた時。


 頭の中に、その声がした。


『……デイジー。何をそんなに泣く』

 私の周りが緑の光に包まれて、厳かでいて優しい声が頭に響く。

「私には皆を守る力がありません。子供だからなのでしょうか。みなが傷つき苦しむのが悲しいのです」

 緑の強い光はやがて人型をとり、葉っぱの羽を持った成人男性の姿をとった。髪は長く、頭部には若葉のついた枝を編んだ冠を戴いている。

『泣くなデイジー、そなたは無力ではない。泣くな我が優しき愛し子……あやつは人と魔物の領域を弁えず侵し、本来ここに生きるものを傷つけすぎた。我は緑の精霊王、そなたの嘆きは我が嘆き。……力になろう』


 そう、緑の精霊王が宣言すると、あたりの木々、草花、ありとあらゆる『緑の眷属』が緑色に発光する。そして、緑生える地面や大木から、茨のついた緑の蔦が生え、ベヒーモスに向かう。

 そして、茨の縛めがベヒーモスの身体中に絡みつき、その動きを封じる。ベヒーモスが縛めを振りほどこうともがけばもがくほど、その縛めはきつくなり、茨が獣を苛む。そしてその最大の凶器である角と牙を動かすことも適わなくなった。


「「「今だ!」」」

 魔法師団や冒険者の魔導師たちは、一斉に魔法を放出する。その魔法に傷ついてもなお、縛めの蔦は新たに再生する。


「マルクの借りだ!」

 立ち直ったレティアが走る。

 縛められた獣の前まで来ると高く跳ね、その眉間に向かって、全体重をかけ剣を深深と突き刺した。

 その刃は、獣の頭蓋を貫通し、その内部を破壊する。


 どうっ……と土埃を巻き上げながら、獣が倒れた。


 すると、ベヒーモスを縛めていた蔦は緩んで地中に戻ってゆき、やがて地上から姿を消した。

『我が愛しい子デイジー。もう泣くことは無いぞ……ではな』

 緑色をした精霊王が、私の頬に残る涙の跡を拭うと、すうっと空気に溶けていくかのように姿を消したのだった。

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