殺人人形
研究所の建物はこの国では珍しく木造三階建てのもので、一階と二階はこの国の魔法犯罪調査官たちの祭りのような騒がしさがあふれかえっていたが、ウェーブが最上階に足を踏み入れた瞬間、その喧噪ははるか遠いものとなった。まるで魔法のように。
階段を昇りきった瞬間、空気が冬のような冷たさを帯び、ぎしぎしと軋む長い廊下を進むにつれて妙な禍々しさを感じた。さながら犯罪現場に足を踏み入れた時のように。幾つもの死地を潜り抜けてきたウェーブでさえ、珍しく緊張してしまうほどである。
「どうも向こうの大陸の調査官は、全員そんな格好をしているのかね」
ノックしようとした瞬間、部屋の中から老人のしゃがれ声が聞こえた。ゆっくりと引き戸を開くと、声の主の背中が目に入った。「どうも」ウェーブの挨拶に返事もせず、しゃがれ声の老人は机上で行われている何かの分析を続行していた。
「この格好のことでしたら今回だけの特別な措置です。まあ、人死にの調査をするにあたって手段を選ばないのはどの国でも同じだと思いますが」
ウェーブがそこまで言うとようやく老人が振り返って見た。
鋭い眼光が特徴的な老男性であった。常に眉間に寄せられた皺が、額や頭部にまで広がっているように見える。傍らに杖を立てかけているところを見るとどうやら足が悪いらしい。着ている和服は町人やオオヤスのような身分の高い者が身に着けているそれとも異なる出で立ちである。ウェーブは自分の国の教皇やその使徒が身に着けている法衣を連想した。もしかしたらこの老男性もこの国で信仰を集めている何らかの宗教の先導者なのかもしれない。
「この国ではそうやって人をじろじろと眺めて推測を並べ立てるような野暮なことはしない。目を伏せ直視しないのがこの国の文化というやつだ。まったく馬鹿馬鹿しい限りだが、視覚に頼らない推理というのも存外悪くない。例えば君が異国の調査官だということは、視覚で捉えるより早く気が付いたよ」
「足音から推測したというのは理解できますが、是非ともその推理の中身を聞いてみたいものですね」
「君はこの部屋の前で立ち止まっただろう?」
「……」
「ノック――と言うそうだが、それは当たり前の文化ではない。少なくとも我が国ではね。異国から調査官が来るという噂は耳にしていた。それが君だというのはすぐにぴんときたよ。加えて君の妙な格好についてだが、体重に対して歩幅が狭かったから気が付いた。廊下の軋む音から体重は分かった、どうやら若い男のようだ。しかし歩幅が妙に狭い。それは不慣れな格好をしているせいだからさ。この国の女性向けの装束は、歩幅を狭く背筋を伸ばすようにできている。着るだけで美しい立ち姿になるようにな」
ウェーブはもはや呆れてものも言えなかった。足音からだけの推測――その内容はことごとく的中していた。ここまで自分のことを言い当てることができたのはレイだけであっただけに驚いた。
「この国の調査機関は全員あなたのような推理力があるのでしょうか」
「ここらでワシが何と呼ばれていると思う?」
「さあ」肩をすくませる。「僕の国なら間違いなく“先生”と呼ばれているでしょうけれど」
老人はふっと笑うと答えた。
「変人さ」
ウェーブも笑みを浮かべた。老人のあだ名――ウェーブやレイが散々言われてきた言葉。優秀な捜査官である証明。
老人が見ていた机の前まで進んだ。
机の上に横たわる身体――少女。機能を停止した華奢な体躯。妖艶な和服は剥ぎ取られ、全身の白い肌が露出している。両腕の肘から先が変形し、破損していた。
「お前さんが捕らえたんだって?」
老人の言葉に、ウェーブは静かに頷く。
殺人人形――対峙した瞬間こそ必死だったが、今にして思えば哀れな存在である。己の意思を持つか持たないか。ウェーブと少女の違いは僅かそれだけであった。
「お前さんにもよほど特殊な魔法がかけられているようだね」
「この少女と僕は同じなんです。人を殺すために造られた」
「ワシから言わせてもらえばそもそも人間と人形とを明確に区別しようとするのが間違いなのさ。“自立した意思を持つ”というのが人間の条件だと言うならば、その前段階にして混沌の中にある赤子という存在はどう定義付ければ良いのだろうか。ワシら人間と同じ身体構造をしていながら、意思の構造という点では全くと言って良いほど異なる存在だ」
「赤子は人間じゃないって?」
「お前さんが思っている人間の定義に沿って言うならばな」
見えてくる心理――“そんなことを考えても時間の無駄だ”。
ウェーブは老人が老人なりに自分を励まそうとしているのを理解した。
「そろそろこの少女型殺人人形の所見を伺いたいのですが」
「恐ろしく出来の良い人形だ」
「それは殺人人形として?」
「少女を模した人形として。原料は白樺だな。この辺りじゃ職人向けに運び込まれるだけだから足取りを追うのは容易いが、しかしここまで完成度の高い人形となると自立させて人間として運び込まれた可能性の方が高いかもしれない。いずれにせよ、時間をかければ足取りは掴めるだろう。しかし――」
老人がウェーブを見て頷く。意思疎通。“そんな時間はない”。
「第二、第三の殺人人形が現れんとも限らん」
「犯人の手がかりは?」
老人は徐に少女の腰を持ち上げると、左右に捻り、上半身と下半身とを分離してしまった。上下の肉体の接合部分には、ウェーブでは理解することができない文字列がびっしりと並んでいた。
「この国の魔法言語だ。お前さんらの国じゃあ、魔法を“言葉”によって発現させるんだろう? それが口頭であれ脳内での詠唱であれ。ワシらの国でも同じさ。しかし異なる点が一つある。ワシらの国じゃあ、“言葉”を“文字”にして魔法を発現できる。この国の文字を解さないお前さんじゃあ分からんだろうが、ワシらの国の文字は一つの単語に複数の意味を込めることができる。あんたらが手間暇かけて描いた魔法陣が、この国じゃあ数行の文字列で再現可能だ」
「それで、この人形にはどのような魔法が刻まれているのですか」
「そこが見事なのさ。こいつには二つの魔法が刻まれている。一つは人間に擬態する魔法だ。それもおそろしく出来の良いものがな。着飾って化粧でもすれば、まず外見では人形だとバレないだろう」
「もう一つは?」
「殺人能力だ」
三人のサムライの殺害、および二人への傷害。ウェーブでさえ対峙した際には数度殺害されてしまった。
「この国のあらゆる武術・剣術の情報が入力されている」
「それが可能な人物は?」
「つまりあらゆる武術や剣術の達人に接触できる人間だよ……ワシの口からはそれ以上は言えんな」
「この国そのもの」
師匠から聞かされたこの国の歴史――鎖国状態。ごく一部の地域のみの解放・接触。
鎖国の理由――他国からの侵略への備え。
その目的を達成するための最も効率的な国策――完璧な殺人人形の量産。どこへでも侵入し、どんな相手をも殺害する最強の兵器。
ウェーブとレイが呼ばれたことにも合点がいった。目的は犯罪調査に関する講義などではない。レイや、あるいは不死身である自分自身を分析して殺人人形を強化すること。もしくは試作した殺人人形の性能実験。あるいは既に暴走状態にあった人形を止めるためか。いずれにせよこの国によって利用されたのは間違いがなかった。
「マズイ……師匠が危ない!」
戦闘の鉄則――分断して攻撃せよ。
ウェーブはレイの元へ駆け出した。
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