差別問題の根本を目指して ——社会学・認知心理学的アプローチ

爆撃project

差別とは何か


 今、世間では差別が問題視されている。森喜朗元首相の発言に対するメディアの反応を見るに、おそらくこれは正しいだろう。

 では、差別は如何にして解決されるのだろうか。そもそも人は何故差別をするのだろうか、差別とは何なのだろうか。

 これまであまり深く考える機会がなかったので、大きなトピックになっていることだし、少し長く考えてみたいと思う。

 参考文献はできる限り文中で触れるようにするが、私個人の思想やどこで覚えたか定かではない知識がさりげなく混ざっているかもしれない。気になればご指摘いただきたい。


【差別の定義】


 差別問題を考えるのなら、まず差別とはなにかを明らかにしなければなるまい。

 手始めに、差別の定義をコトバンクで引いてみた。


『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為をさす…… 恣意的な分割によって行われる』


『デジタル大辞泉

 差別

 1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」

 2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」』


 この①の記述から、「差別が区別の一種」であることが分かる。

 ②の記述から、区別することそのものではなく、不当に低く取り扱うことを指して差別ということがあるのが分かる。この点を以て、区別と異なる意味とされていることが予想できる。


 この②の記述についてはブリタニカの方が詳しく記載しているので、部分的に引用しよう。なお全文はコトバンクに記載されている。


『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 差別

 特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為をさす』


 この記述では、区別の一種という要素が強調されていない。『特定の個人や集団に対して』『分割によって』という記述によって示されている程度である。

 それ以外の部分は、デジタル大辞林における②の意味を、より詳細にしたものも言えるだろう。

 一旦まとめてみる。

 区別のうち、正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為を伴うものが差別である。

 すると問題となるのは、「正当な理由」とはなんなのか、「不利益」とはなんなのか、という点であろう。不利益については、デジタル大辞林の定義が分かり易い。


『デジタル大辞林

 不利益

 利益にならないこと。損になること。また、そのさま。』


 つまり、不利益とは利益にならないことは全てである。

 となると残った問題は、「正当な理由」とはなんなのか、という点だけだ。ここもコトバンクにお助け頂こう。


『精選版 日本国語大辞典

 正当

① (形動) 道理にかなっていること。理の当然であること。また、そのさま。せいとう。〔文明本節用集(室町中)〕』


 するとまた、道理とは何か、という問題が浮かび上がる。これを繰り返したらどうなるのか。答えは、道理→正しいこと→道理にあうこと、といった風な堂々巡りになる。正当な理由とは、正しい理由であり、正しい理由とは、正当な理由だということだ。

 この先は、もはやコトバンクに頼る領域ではないということであろう。恐らく、倫理学の領域となる。

 しかし、個人的な話になるが、私は倫理学が好きではない。『入門 倫理学の視座』を読んだが、どうにも肌に合わない。何が「正しい」かを明らかにできないことは、説明は省くが、ニーチェ以降の哲学において殆ど常識となっている(興味があれば、ちくま新書の『哲学マップ』を参照)し、私も絶対的な正しさの存在には懐疑的である、


 しかし「絶対的な正しさ」が無いとはいっても、「正しさ」という単語は間違いなく機能しており、意味を持っている。そうでなければ、差別の定義にある「正当な理由」が成り立たない。

 絶対的な正しさというものはなくても、我々がそれぞれ理解する意味での正しさ、相対的な正しさは存在する。これを、「個人的な正しさ」としよう。これを差別の定義に当てはまると、次のようになる。


 差別は、区別のうち、生活全般にかかわる不利益を強制する行為を伴い、個人的に正しい理由がない場合を言う。


 直感的に、この定義には問題がある気がする。

 背理法で考えてみよう。もしこの定義が正しければ、私が黒人だけをパシリとして扱おうと、私が正しいと思っていれば差別では無いことになる。これは明らかにおかしいので、この定義「だけ」を差別の定義とするのは誤っている。

 では、「絶対的な正しさ」でも「個人的な正しさ」でもない正しさは存在するだろうか。個人的には、あると思う。それは集団における正しさ、「社会的な正しさ」である。

 社会的な正しさを用いた差別の定義は以下のようになる。


 差別は、区別のうち、生活全般にかかわる不利益を強制する行為を伴い、社会的に正しい理由がない場合を言う。


 こちらの方が、比較的人口に膾炙する一般的な定義と言えるだろう。そうなると、社会的な正しさとは何かが問題になる。

 いつ、どこで、集団の構成員が、なぜ、どのように、正しさを形作るのか。これから、社会学や行動経済学(認知心理学+経済学)の知見を活かして考えていく。

 


【まとめ】

・差別は区別の一種である。

・差別は、生活全般にかかわる不利益を強制する行為を伴い、正当な理由がない。

・正当な理由とは、個人的に正しい理由というだけでは説明できない。

・正当な理由とは、社会的に正しい理由と考えるべきである。

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