マティエの涙
諦めることなんてできるかってんだ……とはいうものの、ルースから待機命令を出されたときは流石に何も返すことが出来なかった。
いまの俺では足手まといになるだけだ。だから大人しくここで待っていてほしい。そうルースは告げたが、無理に決まってるだろそんな事。
だから俺は一人でもザンウォーネの居城へ向かおうと、みんなが仮眠を取った夜半過ぎに準備をし始めたというわけだ。
だけど、こう……右腕を失ったのはかなりの痛手だ。バランスも取れないし、まだ大量に流した血の影響で体力も回復しちゃいない。だけど……
「やっぱりな」
ザックを手に立ち上がった俺の後ろで相変わらずの押し殺した声。マティエの奴だ。
「納得なんてする性格じゃないことくらい、私には分かっていた」
じゃあ行かせろとは返したが、あいつは無言のまま。だがそれも想定内だ。
「腕一本でまともに戦えると思っているのか?」
「へっ、こんなのカスリ傷としか考えてねえよ」
ならば。とあいつはそばに放ってあったユールの大剣を取り、俺に投げ渡した。
言いたいことはわかる。「私を倒してみろ」ってな。
手にした剣がずしりと重い。当たり前か、片手でしか持たねえんだもんな。
対するマティエはいつものハルバード。だがいつもの全身鎧は着けていない……ヘソの出た短いシャツに短いパンツ姿だ。
だがあいつも俺と同じくらいの修羅場をくぐり抜けてきた。いや俺以上か? 何にせよそのむき出しの黒い毛並みの腕、そして太ももには、たくさんの傷跡が刻まれている。
「気になるか? だがこれ以上傷が増えたところで勲章にもならん」
あーそうかい。と俺は歯を食いしばり、大剣を真横へ薙ぎ払った! くそっ、なんて重さだ。
地面に鉾の刃を突き立てたままあいつは俺の一撃を受け止め、そのまま器用に大剣を絡め取る。これがハルバードの技ってやつだ。だから俺は即座に剣を捨て、あいつの胸元につかみかかって……って、あれ?
ドンと仁王立ちのまま、マティエは冷たく言い放つ。
「右手があると錯覚した……。分かるか? 今のお前なら首も飛ばされていたぞ」
そうだった。俺はすぐさまあったはずの右手で胸ぐらを掴むはずだったんだ。組みつきへ持ち込もうと思ってすっかり忘れていた。
「それで私を倒せるとでも?」
悔しさのあまり頭の中がごちゃごちゃになった俺の胸ぐらをマティエがつかみ返した。でっかい傷跡だらけの太い腕で。
「だがそれでもお前は納得しない。そうだろ?」
「ったりめーだろ。腕が千切れようが脚がもぎ取れようが俺は戦う! これ以上止めるンじゃねえ!」
「まっすぐすぎるんだ……お前は」
正直、パンチの一発くらい飛んでくるんじゃないかと覚悟はしてた。だけど違ってたんだ。
あいつは、マティエの奴、泣いていたんだ。すげえ大粒の涙を流しながら。
「ずっと私は、お前のことが憎らしかった……悪運の塊のごとくどんな死地でも生き延びて、なおかつたくさんの仲間に囲まれてきたお前のことを」
「いや、仲間っていってもそんなにいねえけど」
「だから、言わせろ……いまここで!」
え、なんなんだ言わせろって? お前ルースって婚約者いるだろーが! つーか俺はその手のことに全然関心ないから!
だが俺の予想は全く違っていた。好きだとかそういったモノじゃなく。戦友として、とてもマジメな、あいつらしい言葉を。
「同胞として、戦場で共に血を流した仲間として……私は、マティエ・ソーンダイクは!」
きらりと、あいつの涙が月明かりに輝いてみえた。
「……この命果つるまで、お前の右腕として戦い抜くことを誓う」
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