獣人傭兵物語 ーいかにしてこの無知なる傭兵は獣人(けものびと)の王たり得ることができたのかー

べあうるふ

黒衣のはじまり

あれから、数十年の歳月が流れた。


どっちの国が正しくて、どっちが悪いのか、そんなことは今はもうだれも知ってはいない。

分かっていることはただ一つ。『お前の喉元に刃を突き立てるものは即座に殺せ」ってこと。ただそれだけ。

もちろん、家族や愛する妻や子供を護るという暖かな理由のために戦い続けている奴らだっているだろう。それもおおむね間違いじゃない。

だけど、それすらも持ち合わせていない奴らは、いったい何を心の糧にしているのだろうか。

答えは、奴らに直接聞いてみないとわからない。

もちろん、臆することなくそいつと会話できれば……の話だが。


軍馬の重い足音が、ごとごとと粗末な作りの馬車の中に響く。

目的地まではあと1時間もしないだろうか。それでも同じ姿勢のままじっとし続けている兵の腰は限界に近付いていた。

明かりすら灯されていないその中で、兵たちはじっとその時が来るのを待っていた。

時おり姿勢を少しでも変えようと、ぎしっと革鎧のきしむ音が聞こえるだけの狭い空間。だがその後端だけが不自然にカーテンによって仕切られており。おぼろげな月明かりで垣間見える向こう側には、おおよそ人とは思えない大きな人影が横になっているのが見えていた。

その影を誰も見ようとはしない。それはまるでその存在を避けているかのようだった。


「そろそろ到着するぞ、降りる用意しろ」

巨大な影とは反対側、一昼夜ぶっ通しで走り続けている馬の方から、けだるそうな男性の声が聞こえた。

しかしその声には誰も反応しない。馬車の中は狭く、動こうにもほとんど動けないからだ。

理由は一つ。件の大きな影が、車内を大きく占有していたからであった。

やがてぬかるんだ轍の上に、馬車はギシリと大きな音を立てて止まった。目的地だ。

ぽつぽつと安堵の声が聞こえる、大あくびをするのもいれば、長い間同じ姿勢で凝り固まった肩をごきごきと回す者も。


だが、真っ先に出てもらいたいはずのその大きな影は、一向に動く気配がなかった。

「あの……着いたから俺ら出たいんだけど」たまりかねた一人の男が、影に声をかけた。

しかし、その声に全く反応を見せはしなかった。

「やめろって、このデカブツは班長の命令しか聞かないって言ってたぞ」と、もう一人の男がたしなめる。

そう、馬車はいわゆる糞詰まり状態だ。このデカいやつがさっさと表に出てくれない限りは、中のすし詰めになった連中も外の空気を吸えない。

しばらくすると、先ほどののけだるそうな声の主が馬車を降り、やれやれといった面持ちで馬車のカーテンを開けた。

「降りろ、犬。着いたぞ」

ぎしりという音とともに、巨大な荷物が動き出した。

それとともに、わらわらと仕切りの奥から兵士が外の空気を吸いに一目散に外へと飛び出した。


「うわ……でかっ」別の一人が、驚きの声を上げる。


それは『獣人』と呼ばれる、人でありながら人とは一線を置かれている存在。

周りの連中と比べて二回りほどの大きな巨躯。体力に恵まれた人間でも子供に見えるくらいに大きく盛り上がった手足の筋肉。

それらはすべて硬そうな毛と、身体とは反対に長くふさふさな毛に包まれた大きな尻尾のおかげで、その身体をより大きく見せていた。

長く太く突き出た鼻面の先端には尖った黒い鼻。身体の毛と同じく硬めの髪の毛の左右には、三角に尖った厚めの耳。

もちろん、手足も人間の比ではなかった。

太く大きな4本の手の指には、同じく太く鋭い爪。

足も同様に鋭い爪の生えた4本指だが、人間にとって必要不可欠なはずの靴は履いていなかった。

そして、その身体から放たれる異臭。長らく着続けた革鎧のような形容しがたい蒸れた臭いが、その巨体から放たれていた。


その厚い毛で覆われた身体には鎧など必要はない……のだが、一応ということで支給された革製の鎧を胸と肩につけながら、獣人の男はつぶやいた。

「寸法合わねえぞこれ」身体のサイズが大幅に違う獣人のために急遽こしらえた鎧。数人分の鎧を解体し、どうにかつなぎ合わせた、見た目にも急造品といった作りだった。

「じゃあ着るな」

班長のこれまたシンプルな答えに、獣人はあっそと脱ぎ捨てた。

静寂の中に、無造作な音が響き渡る。


ついたその場所は、ようやく朝日が昇りだしたかのように見えるが、濃い霧が立ち込めているおかげでほとんど先が見えない。

そんな中、獣人は一人黒い鼻を空に上げ、ひくひくと動かしていた。何かを探っているかのように。

獣人はその恵まれた身体のほか、五感にも大きく秀でていた。その一つが嗅覚。

「なにか匂うか?」同じく班長の問いかけに、獣人は無言で霧の向こうを指さした。

「班長、こいつの感覚って頼りになるんですか?」濃い茶色の革鎧に身を包んだ兵の一人が口を開く。

「当たり前だ。じゃなきゃ高い金払ってこんなデカブツ雇やぁしねえぞ」班長と呼ばれる初老の男性は、苦笑しながらそれに答えた。


思い思いの装備を手に、兵たちは進み始めた。

前にいるものは槍と剣、そして後方は長弓。それは基本中の基本だ。

そして一番先頭にいるのが、巨大な獣人だった

しかし彼だけ装備はもっておらず、さっきの鎧のように何枚もの一枚革を縫い合わせた上衣とズボンのほかは、完全に丸腰状態だった。

「武器、どうすンだお前?」やや肌寒い中、白い息が班長の口から漏れた。

「いらねえよ。死んだ奴からもらうわ」獣人のその尖った鼻からは白い息が立ち上った。


……さて、結果なんて言うほどのものでも無いだろう。

あの名無しの獣人、俺たち部隊全員か息を巻くほどの強さだったのだから。

降ってくる矢なんて関係ない。あいつの身体は俺ら以上に頑強なのだから。いや、何本かは確かに身体に刺さったように見えたけどな……けど全く痛がることも怯むこともなく、目の前にいた弓兵の顔面に一発殴りつけた。

そのまま風に吹かれる案山子のように力無く倒れ、そいつは反撃することもなく躯と化したさ。

あいつが話していた通り、落ちてた剣を拾っては投げつけ、腹を貫き、あるいは口の中に突き刺し……と、おおよそ言葉にもし難い戦いっぷりだった。きちんと習ってるのかどうかは分からないが、あれだけ荒々しい立ち回りは自分も見たことがない。


……朝日を受けて、死体の山にすっくと立ったままの奴の姿が確認できたのは、俺たちが道となった躯の数を数えている時だった。

そういうことだ。こいつがほぼ一匹で済ましてしまった。

もはや血糊とは言えないほどのおびただしい、赤黒い衣に包まれたその姿。

「黒いローブでも着てるみたいだな」誰かがそうつぶやく。


なるほどな、黒衣の獣人って奴か。思わずこっちも吹き出しそうになってしまった。

いや……なぜ吹き出しそうになったのかは全然分からなかったが。

とりあえずはこいつは破格の強さを持っている……だがカネもそれなりにかかる厄介者だとは聞いていた。そう、それだけだ。


ちなみにカネの受け取りでも一悶着あったことだけは伝えておく。

分配の仕方をめぐってあいつが猛然と怒り出したんだ。当然大喧嘩になったのち、俺以外全員の鼻っ柱と手足をへし折っちまった。


え、俺はなんで無事なんだって?

恥ずかしながら、生まれて初めて命乞いをしたんだ……そうだ、オコニド以外の奴にな。

屈辱的だったが、二度と立ち上がることの出来ない身体にされるよりかは遥かにマシだったかもしれない。それだけ危険な存在だったと言うわけだ。


噂では聞いている。確かあの時は名無しだったが、今ではラッシュとかいう名前が付けられていることを。

しかしそうは言っても、俺にはまだピンと来ないんだ。


奴が戦っている最中に見た、あの血煙のような闘気を。

あいつは「黒衣のラッシュ」の方が相応しいかも知れない。

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