ヴェール・デュノ その2

暗闇に溶け込んだ声の主=ヴェールは、右へ左へと声のする場所を変えながら、しかし仮面を被ったかのような、よそよそしい笑い声を立てながらもルースに語りかけていた。

「相変わらずだね兄さん。僕を前にすると途端に苦い顔になるの。そんなに僕のことが嫌い?」

「……当たり前だ。貴様は……」

「まーたその話? デュノ家の家訓だとか父上の話だとか、兄さんの口からはいつも堅苦しい言葉しか出てこないんだよね、たまには兄さんの……そう、母上の」

「やめろ!」ルースの怒号が暗闇を震わせた。


「……はぁ。兄さんは母上の話をするといつもこうだね。それほどまでに母上を殺されたことを根に持ってるの?」

「よくもその口で! 母さんは……母さんはお前のことをな!」

暗闇の中、真っ白な腕が闇の一端をぐいっと掴み上げた。

「……うん。そうだよね……あの人はこんな僕でも分け隔てなく愛してくれた」

空に眩く光る星と月の灯りが、徐々に彼の顔を照らし出す。

ヴェールのその両目には、漆黒の毛同様の黒い布が巻かれていた。

「……生まれた時から、目が見えなかったこの僕をね。けど分かるんだ。あの人の、レーネの笑顔も、そして艶やかな毛並みの色まで」

「母さんを……呼び捨てにするな!」

ルースはそのままぎりぎりとヴェールの首を締め上げた。

ほのかに照らし出されたその身体は、ルースの背格好とほとんど変わりはなく、まさに双子のような、瓜二つといって差し支えないほどの姿。

唯一違うものは、毛の色と……そして両目。

「兄さん……もう、苦しいったら」しかしその声は全くと言っていいほど自らの危機を認めていなかった。それも同様の他人事のような喋りで。

「貴様が! 母さんを……母さんを殺したから!」

白い双腕に、より一層の力が込められた。

「はあ、まだそんなことにこだわっていたの? 僕だって母さん……いや、レーネは大好きだったさ。けどそこまで愛されちゃいなかったよね」

「だから殺したのか……! そんな些末な理由で!」

そのふさがれた両目では分からなかったが、明らかにヴェールは笑っていた。

そしてその口の端には、馬鹿にするかのような……嘲笑の如き悪戯な笑みが浮かんでいた。

「勘違いしないで。レーネだけじゃない。兄さんも父さんもみんな僕を愛してはくれなかった。だからみんな殺したんだ。レーネ以外は惨たらしく、ね。自ら吐き出した血と吐瀉物、そして汚物の海の只中で苦しませて……」

「……優しいんだな、お前は」

「ううん、兄さんの心の声を代弁してあげただけさ」

嫌味にも似たその口ぶりがふと優しくなった時、彼の首を絞めていた手の力が、ゆるんだ。

「兄さんの優しさは……そう、母さんと同じだ。だから僕は兄さんも同じくらい大好きだよ」

「いい加減はぐらかすな。なぜわざわざここに来たんだ……?」

切り揃えられた雪のような白い髪を、イラつくようにわしゃわしゃと自身の手がかき乱した。

「兄さんこそはぐらかさないでよ。僕がここに来た意味くらい分かるでしょ?」

「僕たちの足止めをする気で……か?」

「まあね、その答えも一応合ってる。でも僕たちじゃない。兄さんただ一人に逢いたかったのさ。元気な姿……いや、あまり元気でもないようだね。ちょっとやつれてきてるみたいだし、やっぱり試毒に身体が蝕まれてきてるのかな。僕みたいに」

「お前の身体と一緒にするな……」その答えは図星だったのかも知れない。ぎゅっとかき乱した指は胸を押さえつける。

「ふふっ、それを聞きたかったんだ、兄さん……だから僕の言いたいこと、分かるでしょ?」

ルースのうめきにも似た、声にならないほどの小さな「ああ」という声が、闇に溶け込んだ。


「マシャンヴァルに来てくれないかい?」

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