淡雪のエセリア 5

いろいろやることが増えた。マティエのために、そしてルースのため。さらにはリオネングの……まあこれに関してはどうでもいいか。とにかく国よりか二人を幸せにすることが先決だ。


しかし、俺には……うん。言われたことをなぞっていくだけで、具体的には何も考えてなくて。

一ヵ月待ってくれとは言ったものの、それもエセリアと逢う日って意味なだけで。


……俺が生きる目的って、なんなんだろ?


生まれて初めてそんな空虚な思いに包まれたまま、二回目の満月の夜となった。


……………………

………………

……

「あれ? ラッシュなんか痩せた?」

待ち合わせの通用門で、相変わらず能天気なイーグが、小さな籠を手に久々に俺に放った一言。

そんな感じはしてない。メシの量もいつも通りだし。

「ほら、俺からのプレゼント。焼きたてのクッキーな。嫁さんと二人で食べな」

籠の中には、不揃いだけど香ばしい香りに包まれたクッキーがたくさん入っている。こいつパンだけでなくクッキーも作れるんだな。


「まあ……正直言って姫様と俺たちが本気で結婚なんて無理な話だもんな。それが元でおっきな戦争に発展しちまったいい例がこの国なんだし。だけど無理とはいっても、俺はお前と姫様の仲を応援してるぜ」

そんな力強いイーグの言葉に、俺はどう返したらいいのか。


「ダチの幸せは裏切りたくねえもん」

え、幸せを裏切りたくない……?


「俺もさ、以前は必要以上に人と絡むのって苦手だったんだ。なもんで斥候をずっとやってたんだ。あれ一人でじっとやれるしな。でも結婚してみたらいろいろ考えとか変わってさ。ラッシュみたいな奴を幸せにしてあげることができたら、なんか俺の方も嬉しくなる……っていうのかな」

他人の幸せを見て自分が満足できる……? なんかよく分からねえし。


「人を幸せにできれば、きっと自分も幸せになれる。ラッシュもさ、もっとチビと向き合ってみたり、同居人とかに優しくしてみな。まあお前にはちょっと難しいかなとは思うけどさ」

ふふんと白い息をはずませながらイーグが笑った。


ほどなくして、使用人の着るモノトーンの地味な服装に身を包んだエセリアが現れた。

「こんばんは、ラッシュ様」相変わらず屈託のない、冬の空気のように白く澄んだ笑顔。

「ほら、お前も笑って返せよ」

まるでジールが俺にしてくれたように、イーグもほっぺたをぎゅっとつねって伸ばしやがった。やめろ痛い。


「ラッシュ様、なんかお痩せになられました……?」

姫様もかよ、だから食欲はいつもと変わらねえし。

「やっぱり、結婚のこと……気に障りましたでしょうか」

俺も違う大丈夫だと否定はしてるんだが……こいつも心配性なのかな。


心配なのは、そんなことじゃなくて。

姫様が死んでしまう日が刻一刻と近づいてきている……そのことだけだ。


「ラッシュさん、イーグさん……人の心って面白いですよね」

「え、なんでまた?」エセリアの身体が冷えないように持参したコートを着せたイーグが、不思議そうに聞き返した。


「私はもうすぐこの世からいなくなってしまう……でも辛くも悲しくもないんです。むしろ1日ごとに胸の奥が嬉しさに満たされていくんです」

「死んじまう。って分かっているのに……か?」

ええ、と答えるその周りには、まるで雲のように暖かく白い空気が、まるで姫様を取り巻くかのようにふわりとまとわれた。

そして……まだ冷たいその小さな手で、俺の岩のような手をぎゅっとつかんだ。

「毎日、ラッシュ様のことを想っていたから……でしょうか


「……ラッシュ、今すぐ姫様を抱け!」

とまどう俺の心の静寂の中、イーグが突然言い出した言葉。

「な、なんで……?」

「い、いいから……! 早くここで今すぐ姫様をぎゅっと抱きしめろ! 俺からの命令だ!」

「イ、イーグ様、それって、ちょっと……」動揺にエセリアも戸惑っていた。


「聞け! 姫様を幸せにできるのはラッシュ、お前だけなんだ。だから俺の見ているここでぎゅっと抱いて幸せにしてあげるんだよ! 姫様もだ! この不器用なバカをもっともっと好きになってやるんだ!」


キッと俺たちを見据えるイーグの目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「ラッシュも姫様も俺の大切なダチだ! だから俺がここでお前たち二人の幸せを願ってやる! 結婚したんだろ! 姫様をずっとずっと天国に行くまで幸せにしてあげたいんだろ! だからここで、とっとと幸せにしてあげろ……チクショー……!」

「イーグ様……」


「言ったろ……ダチの幸せは裏切りたくないって」涙と鼻水でイーグの顔がぐしゃぐしゃに崩れる。

俺はイーグに言われるがまま、エセリアの小さな身体をしっかりと抱き寄せた。

「なんでお前らそんなに不器用なんだよ……情けなくって俺の方が泣けてくるじゃねーか……」


そしてエセリアも、精一杯の背伸びで俺の身体をぎゅっと抱きしめた。

「俺が教えてやらなきゃそんなこともできねーのかよ……」


イーグ……ほんとお前って、バカでいい奴で……

だから、俺とエセリアはそれに応えた。

こいつも仲間に加えなきゃなって。ぎゅっと三人で抱きしめ合わなきゃなって。

「暖かいですね、イーグ様」


「バカやろ……ラッシュも姫様も大バカだよ……」

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